□ 羊の忠告 □
目を覚ますと、白壁のような天上が視界に入った。
周りを見るとテーブルと椅子が置いてあるだけの質素な部屋で、自分の部屋じゃない。
でもどことなく見覚えがあって、必死に記憶を探っていくと、以前に来た白羊宮の客室だと思い出した。
「なんで私、白羊宮にいるの……?」
たしかにさっきまで沙羅双樹の苑にいて、ミニブーケを作ろうと花を摘み取っていたはずだった。
それが気がつけば白羊宮の客室。いったい何がどうなっているのか頭が混乱してくる。
仮にここが処女宮の客室なら、シャカに申し訳ないなと思えるけれども、なぜか白羊宮なんてわけがわからない。
いったい自分に何が起こったのか頭を悩ませていると、いきなり扉が開いてムウが入ってきた。
「、起きたのですね」
「え、ええ……って、ムウ!これはどういうこと?私、さっきまで沙羅双樹の苑にいたはずなんだけど?」
「たしかには、処女宮の沙羅双樹の苑に居ましたよ。ただ、そこで眠ってしまったのです」
ムウに言われて、とうとうやってしまったという気持ちになった。
暖かな日差しの心地良さのせいもあるけれど、前日の寝不足で眠かったせいもあり不覚にも沙羅双樹の苑で眠ってしまった。
後でシャカに謝りに行かないとと思いながら、内心で溜息を付く。
「外なので風邪を引くと、シャカが沙羅双樹の庭から連れ戻したのですよ。それで、ちょうど白羊宮を通りかかった私に、が次に白羊宮に行こうとしていたという理由で、私に預けたのです」
「シャカ……ありがたいのか、迷惑なのかよくわからないわ」
「シャカもシャカなりに考えることがあったのでしょう」
「それもそうね、後でお礼を言っておかないと」
せっかくムウの誕生日にミニブーケでも贈ろうと思って、シャカに頼み込んで沙羅双樹の庭に入れてもらったのに、まさか熟睡してしまうなんて全て無駄になってしまった気分だった。
とりあえず、シャカには何か菓子折りでも手土産に持っていけばいいかと考えた。
「それよりも。男の前で無防備に寝てはいけません。前々から思っていたのですが、には危機感がなさすぎる」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。だってシャカよ?」
何事にも淡白な印象で、自分の気になること意外は無関心を決めているシャカに危機感をと言われても、心配しすぎにしか思えなかった。
不思議に思ってムウの方を見ると、ムウにしては珍しく少し苛立っているような雰囲気を漂わせていた。
「そういうことを言ってるのではありません。貴女は本当に、自分が女性だということをわかっているのですか?」
「女性だからって何か問題でもあるの?性別なんて気にしてたら聖域で生きていけないわ。それに私、聖闘士だもの。女なんてとっくに捨てたみたいなものよ」
「がそう思っていても、回りはどう見ているのかなんてわかりませんよ。仮面を外し、巫女の服装で宮内を歩いてる時のは……とても女聖闘士には見えません」
「何それ。みんな外見で判断しちゃうのね。まあ、何があってもそこらへんの聖闘士には負けない自身はあるからいいけど」
「が聖闘士としても実力があったとしても、光速を超えることはできないでしょう?」
ムウの言うとおり、聖闘士のトップとも言える黄金には叶わない。
それはムウだって知っていることなのに、なぜそれを今更聞いてくるのか不思議だった。
「そうね、無理なことは自分でもわかっているわ。でも、いつか追いついてみせるわ」
「そんな考えではダメなのですよ。たとえば、今……」
ムウの手が伸びてきて、両肩を抑えるようにベッドに沈められた。
顔を上げて上を見るとムウの顔がかなり近くにあって焦った。
慌ててムウの両肩を手で押しやろうとするけれど、動かない。
「ムウ……っ、何をっ」
「こんなふうに、急な自体になった時の事を考えていますか?」
「ふざけないでっ!いいかげんにっ」
どうにかどかそうとしても、全く動かない。体力的に差があるのは良くわかっていた。
だったら小宇宙でと考えて小宇宙を高めようとしたら、ムウの方も高めてきた。
自分の小宇宙と比較にもならない強い黄金色の小宇宙に、本能的に叶わないと悟ってしまい、身震いしてしまう。
それでもなんとか両手に力をこめて、ムウの両肩を押しやろうとするけれども、上手く力が入らない。
「無駄な抵抗……というやつですね」
「ばかっ……早く離してっ」
ムウが首もとのすぐ下に顔をうずくめる。暖かな吐息と、柔らかな何かを押し付ける感触がする。
それがだんだんと下へと移動していくから、くすぐったくて仕方ない。胸元まで来るとチクリとした痛みが走った。
自分が何をされているのか、なんとなく解ってしまい、悔しさと恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだった。
自然と視界が潤んでいき、大粒の水滴が眦から流れていく。
「ムウっ……なんで、」
声がどうしても震えてしまう。ムウもさすがに気になったのか、顔を上げて覗き込んでくる。
浮かんでいる涙に気づくと、ムウは驚いたようで固まった。
固まるムウを軽くにらみつけると、やっとムウは上からどいてくれた。
「っ……すみません、やりすぎてしまいました」
軽くなった身体を起こすと、手で涙をぬぐった。
ムウの方をチラリと横目で見ると、どうも反省しているらしく、落ち込んだように少し俯いている。
よくよく考えたらムウは私に注意していたのに、私がちゃんと聞かなかったのも原因かもしれないと思うと、なぜか自分が悪いような気がしてきた。
「もういいわよ……ムウは、私にもっと危機感を持って欲しくてしたことなんでしょ?」
「ええ、ここには黄金聖闘士が揃っています。さっきみたいなことは、可能性として起こりえるのです」
「わかったわよ。もう少し、気をつけてみる。それでいいんでしょ?」
ムウは納得したらしくて、いつものように穏やかに微笑んで頷く。
さっきまでの落ち込みはどこにいったのかと突っ込みたくなったけれども、自分にも非があると思って止めた。
誕生日プレゼントをあげようとしていたのを思い出して、ムウにあげるために用意していた物を裾から取り出した。
「これ、ムウにあげようとおもって」
「これは……何ですか?」
「これはね、風呂敷と言って昔の日本では物を包むのに使われてたの。ほら、貸してみて」
風呂敷を広げると中に適当な本を置いて包み込み、取っ手の部分を持ってムウに見せる。
ムウは興味を持ったらしく、じっとそれを眺めていた。
「面白いですね」
「そうでしょ?ムウってよく修復の材料取りに行くから、その時に便利かなって思って選んだの」
「でも、どうして私に?」
「今日がムウの誕生日だからよ。もしかして忘れてたの?」
ムウにしては珍しく、視線を泳がせて少し考えているみたいだった。
まさか、ムウは自分の誕生日を忘れているんじゃあと、その時になって気づいた。
「最近、修復の仕事ばかりしていたもので……」
「つまり、工房に篭ってて忘れてたのね……まあ、いいわ。お誕生日おめでとう、ムウ」
包みを解いて中から本を取り出すと、風呂敷を小さく畳んでいく。
ずいぶんとコンパクトになった風呂敷をムウに渡すと、ムウはどこか嬉しそうに受け取ってくれた。
「ありがとうございます。大切にしますね」
「どういたしまして。あとそれね、無くしても大丈夫なように名前を刺繍しておいたから、ちゃんと使ってね」
「……まさか、夜に刺繍をして寝不足になっていたので、処女宮の庭で眠ってしまったということは、ないですよね?」
まさにその通りで、乾いた笑いしか出なかった。
ムウがこれ見よがしに溜息を吐くので、思わず言い訳がましい言葉が口をついで出てきた。
「だって、思いついたのが昨日なんだもの。時間が夜しかなくて……それにせっかくの誕生日だし、買ったものをそのままあげるなんて味気ない気がしたの」
「そうですか。でも、らしいですね」
不意打ちのように優美に微笑まれると、苦しいくらいに胸が高鳴って誤魔化すように視線を逸らした。
ふいにさっきのことを思い出して、余計にムウの顔を見れなくなった。
ただ、この場から早く去りたいという思いでいっぱいになる。
「私、夜の宴会の準備しないといけないから、そろそろ戻るわね」
「ええ、外まで送りますよ」
ムウと一緒に白羊宮から出ると、お礼を言って1人で12宮の階段を上っていく。
途中でムウに付けられた紅い跡を思い出して急いで手で押さえて隠すと、バレませようにと冷や汗を流しながら各宮を通り過ぎる。
部屋に戻ると、今度はどうやって夕刻までにこの紅い跡を見えないように誤魔化そうかと頭を悩ませた。