□ 甘味の如く -前編-□
勉強の最中よほど気になることがあるのか、シオンさまは落ち着きなく何度も考え事をするように視線を泳がせる。
あんまりにも気になったので、シオンさまにどうしたのか尋ねてみると、珍しく口ごもってたけれど少しして諦めたように口を開いた。
「……この間、ムウに聞いたのだが……誕生日プレゼントに、風呂敷というものをあげたそうだな?」
「ええ、たしかにあげましたけど……もしかしてシオンさまも風呂敷が欲しいんですか?」
「興味深かったのだが、欲しいというまでもない。それよりも、何かを忘れておらぬか?」
「え……何かありましたっけ?」
まったく心当たりがないけれど、たぶんシオンさまが珍しく落ち着きなくしている理由はここにあると思った。
シオンさまは、やっぱりなという風に溜息を付くと、伏せ目がちに見つめてくる。
「……余は、ムウの師で先代のアリエスだが……なにゆえ、アリエスだったのか覚えておるか?」
「それはもちろん、シオンさまも牡羊座で……あ、もしかしてシオンさまの誕生日って……」
こくりと頷くシオンさまを見て、シオンさまの誕生日はムウの誕生日に近いんだと、気づいた。
ということは、さっきからシオンさまの様子が変だったのも実は誕生日プレゼントを待っていたということで……。
そうすると、まさかと思うけど誕生日は……嫌な予感を打ち消すように、ごくりと喉を鳴らすと、シオンさまに尋ねた。
「あの、ちなみに誕生日はいつでした?」
「今日だ。もしやと思うておったが……ムウの誕生日は知っていても、余の誕生日は知らなかったのだな」
これはもしかしなくても、シオンさまが拗ねていると気づいた。
「え、いえ……その、ムウの場合は小さい頃に聞いた事があったので、覚えてたんです」
「その時に、余の誕生日も近いと教えなかったのだな。とすれば……ムウは、あえて言わなかったのかもしれぬ」
普段のシオンさまだったら、言わないようなことまで言い始めてたので少し焦る。
これは、完全に拗ねている。しかもなぜかムウに対抗心まで燃やしている気さえする。
なんでもいいから、さっさと誕生日プレゼントをあげて落ち着かせてしまえればいいと解っていても、差し上げれるものを用意してない。
「シオンさま、その……本当のことを言うと、誕生日プレゼントを用意してないんです。だから、その……一緒に出かけません?」
「余と一緒に?ほう、それは嬉しい申し出だ。あまり時間を避けないのでな、それで、どこに出かけたいのだ?ここからなら、ロドリオ村か近隣の町になるが……」
前にムウと一緒に行った時に、とんでもない誤解をされているから町だけは絶対に行けない。
もしもシオンさまを連れて行ったら、恐ろしいことになるのは簡単に予測できた。
どうにかして、近隣の町だけは避けたい。それにロドリオ村は近すぎて、教皇を連れて行くなんて無理。
なるべく遠くへと必死に考える。そういえば、ムウはよくテレポートで移動していたのを思い出した。
テレポートなら、長距離も可能かもしれない。
「シオンさまもテレポートできるんですよね?」
「もちろんだ。が望めば、どこへでも好きなところに連れて行ってやれるが?」
「ほんとですか!?なら、日本に行ってみたいです!」
「ああ、余にまかせておけ。ではすぐにテレポートを……」
シオンさまがテレポートをするために、手を差し出しながら近づいてくる。
差し出された手を握れば、すぐに日本へと飛んでくれると解った。手を握ろうとした時に重要なことを思い出した。
私は巫女の服を着たままだし、シオンさまも教皇衣のままだ。これで日本なんかに飛んだら、絶対に視線の的になる。
「待ってくださいっ!よく考えたら、この服装で日本に行くとおかしくないですか?沙織ちゃんだって、日本に戻る時は着替えてるんですよ。私たちもそれっぽい格好しません?」
「ふむ、それもそうだな。だが、余は聖域からあまり出ることがないのでな、教皇服しかもっておらん。ん?……そういえば、ムウがアテナの警護についていく為の服を数着持っておったな。よし、それを借りてくるとするので少し待っておれ」
部屋から出て行くシオンさまを見送ると、急いでクローゼットを開ける。
たしか前に沙織ちゃんから、似合いそうな服を見つけたと言われては服をプレゼントされたけど、着ることがなくそのまま放り込んでいたのを思い出して、急いで探す。
適当に一番前にあったモノクロのシックなワンピースに袖を通すと、カーディガンを羽織った。
「服はこれでいいとして……後は、お金よね。たしか前に沙織ちゃんと日本に出かけるかもしれないことを考えて用意してたお金があったはず……」
貴重品を入れている引き出しを開けると、奥の方にしまい込んだ日本のお札を探し出して、鞄に詰め込んだ。
少ししてシオンさまが服らしき物を抱えて戻ってきた。
こちらを見たとたん、ピタリと動きを止めたシオンさまを不思議に思いながら首を傾ける。
「シオンさま、どうかしたんですか?」
「……いや、別人のようだなと思うてな。服が変わると、ずいぶんと印象が変わるのだな……」
そう言いながら普段と違い穏やかに微笑むシオンさまに、まともに視線を合わせることができなくて視線を逸らした。
とても整った秀麗な顔で、不意打ちのように微笑まれると、心臓に悪い。
自覚が無いのか、わざとしているのか判断に悩むけれど、わざとならとんでもない策士かもしれない。
「シオンさまも、早く着替えてこないと時間がなくなりますよ?」
「ああ、そうだった。少し待っておれ、すぐに着替えてくる」
隣に続いている別室へと行くと、少しして着替えたシオンさまが戻ってきた。
グレーのスーツを着込んだシオンさまは、元々持っている威厳のせいか、見事に着こなしている。
ただ、少しだけスタライプ柄のネクタイの結び目の所が膨らんでいた。
「シオンさま、ネクタイが歪んでます」
「ん、これか……付け方がわからなかったのでな。見よう見まねで付けてみたのだが……」
「ふふっ……少し、整えますね」
少し歪になっているネクタイを引っ張りながら調整して、形を整える。
ネクタイの付け方なんて知らないけれど、それを見よう見まねでしてしまったシオンさまには感心する。
それにしても、ネクタイを締めなおすなんて……これじゃあまるで、と考えかけたけれど恥ずかしくって考えるのを止めた。
「まるで夫婦のようだな」
「ふ、夫婦って……何言ってるんですかっ。ほら、できましたよ?」
考えていたことが読まれてたのかと、一瞬だけ焦ったけれど、それ以上に恥ずかしかった。
思わず照れてしまい、紅くなった顔を隠すように後ろを向いた。
シオンさまは照れていると気づいているらしく、くすくすと忍び笑いが聞こえてくる。
これはもしかしてなくても、シオンさまにからかわれたと気づいた。
「もうっ……シオンさま!人で遊ばないでください!本当に時間がなくなりますよ?!」
「すまぬ。が可愛かったもので……つい、な」
「つい……じゃないですよっ……もうっ」
横目でシオンさまを見ると、シオンさまの手が伸びてきて、頭を撫でられた。
まるで幼子をあやすような手つきで、心地よかった。思わず、ほだされそうになる。
「そう怒るでない。は、日本のどの辺りに行きたいのだ?」
「そうですね……京都に……久しぶりに行ってみたいです」
小さな頃、両親に連れて行ってもらった記憶が微かに残ってる。
もし日本を訪ねる機会があれば、行ってみたかった場所の1つだった。
「わかった。地図はあるか?行ったことの無い場所なのでな、地図を頼りに移動する」
「地図ですか……ちょっと待ってください」
確か世界地図の中に各国の地図も一緒に入っていたことを思い出して、勉強用の資料集の中から地図の束を取り出した。
その中から日本を選んで、シオンさまに手渡した。
「ああ、ここか……ここなら、テレポートとサイコキネシスで移動できるな。場所は、どの辺りだ?」
「この辺りです……あ、印つけますね」
赤ペンで京都の辺りを囲むと、シオンさまはだいたいの位置を把握したらしく地図を受け取ると折りたたんで胸ポケットにしまった。
何を思ったのかシオンさまは近づいてくる。呆然としていると、膝下に手を入れられ横抱きに抱えあげられた。
「シ、シオンさま?!」
「すっかり忘れておったが、聖域内部でテレポートはできん。このまま光速で移動するゆえ、しっかり捕まっておるのだぞ?」
返事をする前に、窓をサイコキネシスで開けるとそのまま飛び出した。
驚くと同時に、このままだと落ちるかもしれないと思い、反射的にシオンさまの首に抱きつくように腕を回して目を閉じる。
地面に着地すると同時に、シオンさまはいっきに光速で12宮を駆け下りていったらしく凄まじい圧力と風圧がかかった。
それも一瞬のことで、次には風が柔らかく肌を撫でるのを感じた。そっと目を開けると、12宮が高くそびえたっているのが見える。
「あれは……12宮?ということは、ここは12宮の入り口……」
「ああ、ここからならテレポートできるのでな。ここから、数回に分けての移動となるが……もう少し、目を瞑っておれ」
言われるがまま目を閉じると、小宇宙が全身を満たすように流れ込んでくる。
何回かムウにテレポートで町に送ってもらったことがあるけれど、穏やかなムウの小宇宙と違って雄大でとても威厳に満ちていて、なぜか安心してしまう。
すぐに重力に逆らうような、ふわりとした感覚が襲ってきくる。それを2,3回繰り返すと落ち着いた。