□ 甘味の如く -後編- □




聖域からの移動でのテレポートの重力も、光速での移動時の圧力も風圧も全く感じなくなった。
不思議に思っていると、少ししてシオンさまの声が頭上から降り注ぐように聞こえてきた。

、着いたぞ。ここでよいか?」
「え、もう着いたんですか……」

目をそっと開けると、そこは屋根が三重になっている和風の紅い建物の裏側だった。
ずいぶんと和風の建物で、ここがどこかの観光地かもしれないということは、なんとなくでわかった。

「ここは……シオンさま、いったい何を基準にしてここに飛んできたんですか?」
「ん、ああ。だいたいはに渡された日本地図の位置の通りだが……細かな位置の把握は、以前にアテナの仕事の関係で日本の資料に目を通したことがあってな。その資料の中に、この場所が観光地として乗っていたのを思いだしたのだ」

そういえば、日本地図の京都の辺りを赤ペンで丸く囲んだだけだった。
ただ京都と言っても、どこに着地すればいいかなんてシオンさまにも解るわけがないのにと、さすがに申し訳なかった。

「ごめんなさい、もっと細かく説明すれば良かったですよね……」
「気にするでない。それよりも時間が無いのであろう?」
「そうでした……シオンさまが聖域に居ないと気づかれる前に帰らないと、他の黄金聖闘士たちが探し始めるかもしれませんしね」
「とくにサガは煩いであろうな……あやつは、生真面目すぎる」

シオンさまは何かを思い出したらしく、苦いものでも食べたときのように顔を歪めた。
何を言えばいいのか解らなくて、苦笑しながら建物の表へと出ると真正面に有名な観光地の寺が見えた。

「え……ここって……もしかして清水寺?」
「そういえば、そのような名前が資料には書かれておったな。今更だが、ここでよいのか?」
「はい。本当に小さい頃のことなので、うろ覚えなんです……だから、京都にまたこれたら良いなぁくらいにしか思ってなかったんです」
「そうか……余は、が望むところならどこでもよい。さて、少しばかり観光をしようではないか」

どうもこちら側は人通りの少ない場所で、しかも少し降りた場所が帰りのルートの辺りらしく観光客らしき人たちが一本道を進んでいた。
同じように人の流れに沿って歩こうかと考えていると、シオンさまが何かを呆けるように眺めているのに気づいた。

「シオンさま、どうかしたんですか?」
「……あれは、もしや桜か?」

シオンさまの視線の先を辿って見ると、白く淡い桃色の花を咲かせている木々がいくつもあった。
日本を発ってからは、見ることが無かった桜花。
春を告げるように咲き乱れる、その美しさに郷愁にも似た想いが胸を締め付ける。

「桜……ですね」
「なんとも雅で、美しいな……」

感慨深げに話すシオンさまに、少しだけ嬉しくなる。
やっぱり自分の出身国を代表する花をほめられると、自然と嬉しくなってしまう。

「桜、あの舞台から見てみません?」
「少しばかり人が多いのが気になるが……行ってみるとするか」
「じゃあ、出入り口に行ってみましょうか。そこからなら、入れるかもしれないですし」

シオンさまを連れ立って人の流れに入っていくと、そのまま出口まで歩いていく。
途中で、またシオンさまの視線がどこかを見ていることに気づいた。

「何か気になるものでもあったんですか?」
、あの小屋のようなものは……出店か?」

壁が無くて屋根のみの吹き抜けに、赤い布が敷かれた横長の椅子。
日本語で書かれたメニューらしきものに"茶団子"と書かれている。

「たぶん、茶屋ですね」
「茶屋……?」

なじみの無い言葉だったらしく、シオンさまは不思議そうに首を傾げる。
茶屋をなるべくわかりやすい言葉でと考えていると、1つだけ思い浮かんだ。

「え~っと……甘味処です!」
「ほう……このようなところにも甘味所があるのは、面白い」
「食べに行ってみます?」
「うむ。何事も経験と言うのでな」
「そうですね!行ってみましょうか」

シオンさまを連れて茶屋まで行くと、どうすればいいのか解らなくて少し悩む。
困って周りを見ると、他の客が座ってお店の人を呼んでいるのが見えた。
同じように赤い布が敷かれている横長の椅子に座って店員らしき人を呼ぶと、お金を渡して茶団子とみたらし団子を頼んでみる。

、もしや今のは……お金を支払ったのか?」
「え、ええ。もちろん、払いました」
「余は、ちゃんとお金を持ってきておる。自分の分は自分で買えるが?」
「シオンさま、ギリシャのお金は使えないですよ?」
「それくらいわかっておるわ。以前、どこかに出かけようと話したときに、余がジャミールでアテナが日本に行きたいと言っておっただろう?あの後に、もしや出かけることがあるのかもしれぬと思ってな、日本のお金を用意しておったのだ」

それは沙織ちゃんとの旅行にシオンさまも着いて来るつもりだったということに気づいて、少し驚いた。
しかもそのために、日本円をあらかじめ用意しておくなんて、準備の良さに思わず感心してしまう。

「シオンさま、準備がいいですね」
「なに、教皇として当然のことだ」

当然だといわんばかりに腕を組みをするシオンさまがなんだか可愛くて、くすりと小さな笑みが漏れる。

「でも、今日はシオンさまの誕生日ですから、気にしないでください」
「それでは、余の気がすまん」
「じゃあ、私の誕生日に同じようにしてください」

シオンさまは、まるで意表を突かれたように少しだけ目を見開くと、呆然と呟くように言葉を発した。

の……誕生日にか?」
「ええ、楽しみにしています。だから今日は、私に甘えてくださいね」
「それなら、仕方あるまい」

渋々という風に見えるけれども、シオンさまは少し照れているらしく視線を逸らした。
その反応が可愛くて、くすくすと笑っているとシオンさまに軽く睨まれてしまった。
話しているうちに暖かなお茶と団子が運ばれてきた。それを受け取るとシオンさまとの間に置いた。

「これは、何を串刺しにしておるのだ?」
「団子って言うんですよ。緑色のが草餅で……あとは、タレのかかったみたらし団子ですけど……どっちにします?」

あまり食べたことが無い食べ物だったらしく、シオンさまは訝しげに団子たちを眺める。

「……先にが好きな方を選んでよいぞ?」
「え、私が先に選んでも良いんですか?実は、あまり食べたくないから私に先に選ばせたなんてこと無いですよね?」

どうも図星だったらしく、シオンさまは少しだけ目線を泳がせると黙った。
ほんのイタズラ心で、茶団子の串を持ってシオンさまの方に近づける。

「シオンさま、茶団子とても美味しそうですよ。ほら、あ~ん」
「……余は、子供ではないぞ」
「ふふっ、知ってます。シオンさまは、この茶団子食べないんですか?」

手に持っている茶団子を軽く振ってみると、シオンさまはじーっと見た後に、茶団子をパクリと食べた。
それが雛鳥を思い出すようなしぐさだったので、とても可愛く見えて顔が緩んでしまう。

「味、どうですか?」
「……ふむ、これは……なかなかの弾力性と、独特の風味と甘さ……美味だな」
「良かったです」

小さな団子だったので、二口ほどで一本を食べきった。
ついでに、みたらし団子のほうにも手を伸ばして、同じようにシオンさまの口元へと運ぶ。

「シオンさま、もう一口どうぞ。このみたらしっていう団子は、とっても甘いタレをつけてるんですよ」
「ほう。どれ、一口……」

茶団子の味が美味しかったのか、さっきと違って素直にパクリと食べる。

「うむ、甘さと香ばしさが絶妙だな……、おぬしは食べぬのか?」
「ちゃんと食べますよ」

自分の分を食べようとみたらし団子に手を伸ばしたら、先にシオンさまの手が伸びてきた。
そのままみたらし団子の串の部分を掴むと、自分で食べるわけじゃなかったらしく、なぜかこちらの顔の前に持ってこられた。

「シオンさま、これは……」
「余だけとは、不公平ではないか?」

つまりは、シオンさまが食べさせてくれるということなのだろうけれど、周りの人目が気になって食べづらい。
ちらりとシオンさまを見ていると、楽しそうに顔をほころばせている。もしかして遊ばれているんじゃあ、と疑ってしまう。

「あの、私……自分で食べれますよ?」
「わかっておる。余だけ食べさせてもらうのは、少しばかり気が引けてな……もちろん、は食べてくれると思うておる」

どこか自信満々に話すシオンさまに、どうしようかと少し焦る。
さっきの自分がしたことと同じことだったので、食べないわけにもいかない。
諦めてシオンさまの手に握られているみたらし団子を食べた。弾力があって柔らかく、香ばしさと甘さが絶妙だった。

「……すごく美味しい」
「そうか、美味いか。ほれ、もう一口」

一口も二口も変わらないと考えて、言われるままに残りのみたらし団子を食べる。
口の中のみたらし団子をごくりと飲み込むと、シオンさまより先にみたらし団子の串に手を伸ばし、小さな意趣返しにシオンさまの口元に運んだ。

「シオンさまも食べてください。はい、あ~んは?」
「う、うむ」

シオンさまは驚くように少し目を見開いた後に、すぐに微笑んだ。それがとても幸せそうで、思わず嬉しくなってしまう。
食べ終わったシオンさまは、茶団子を手に取ってこちらに食べさせてこようとするから、ちょっと恥ずかしいけれどさっきと同じように食べた。
結局、互いに食べさせあうという形で全てのお団子を2人で食べ終えると、ほうじ茶を啜った。

「童虎の出すお茶に、とても似ている味がする」
「そういえば、このさっぱり感。なんだか似てますよね」

なぜか童虎のお茶を思い出しながらお茶を全て飲み終えると、お店を後にした。
人の流れに乗って進んでいると、舞台の入り口が見えてきた。
入り口に近づいてみると、みんな入場券みたいなのを入り口で見せて通っているのに気づいた。
どうも入場券を買って中へ入るみたいで、入り口の横の当たりにあるお店らしきところで、入場券を買う人たちが並んでいた。

「シオンさま、ここで少し待っててください!すぐに戻ってきますから!」

シオンさまに一言だけ言うと、返事を聞く前に急いで並んだ。
そこで入場券を二枚購入すると、すぐにシオンさまのところへと戻る。
シオンさまは、ちゃんとその場から動かずに居たようで安心した。
栞の形をした入場券をシオンさまに手渡すと、不思議そうに栞を見ている。

「これは……栞?」
「栞みたいですけど、これが入場券らしいです」
「入場券……もしや、これを買いに行っておったのか?」
「はい。これがないと、入れないですし……でも、栞が入場券って面白いですね」
「そうだな。ここは、興味深いものばかりだな」

入場券を係りの人に見せると、中にすんなりと入らせてもらえた。
清水の舞台の中に入ると、桜の時期の影響もあって観光客でいっぱいだった。
はぐれないように注意しないとと思っていると、いきなり誰かに手を握られる。
驚いて自分の手を見ると、シオンさまに手を繋がれていた。

「シオンさま……?」
「はぐれたら帰れなくなるのでな、手を離すでないぞ」

自分の手よりも大きな手に、少しだけ緊張しながら返事を返すように頷いた。
すぐに手を引かれて、清水の舞台の手すりの辺りまで引っ張られる。
眼前に見える色づいた山林の風景に、素直に凄いと思った。真正面に、最初に見た建物も見える。

「うわぁ、すごいですね」
「うむ。やはり、見る場所が違うと景色の美しさも違うのだな……」

2人で景色を堪能するように眺めると、また人の流れに沿って進んだ。
流れに進むのは簡単で、そのまま進んでいると下へ降りる階段が見えたけれど、そこを降りずに進んでいくつかのお堂の前を通り過ぎる。

「作りがどれも独特で興味深い建物が多いな。それに、色々な神々が祭られておる」
「ふふっ……前にシャカも同じような事を言ってました。日本には、多種多様な信仰があるって……」
「なに、シャカがか?……ふむ、そういえばシャカの出身はインドだったな。それならば、仏教に関心があっても仕方あるまい」

1人で納得するシオンさまを見て、なんとなく可愛らしく見えてくすりと笑ってしまう。
奥の方にある大きなお堂に入ると、そこには人だかりができていた。
どうも手すりの向こうの風景を眺めているらしく、同じように舞台の方を眺める。

「桜が……絨毯みたいで、神秘的……とても綺麗ですね」
「ああ、見事だ……建物と桜の調和も、とても美しい……」

ギリシャではけっして見ることができない、柔らかで華やかな桜の絨毯に、浮かぶように建っている歴史と文化の魅力溢れる建物。
2人でじっと感慨深げに眺めていると、ふいにシオンさまの誕生日だったことを思い出した。

「シオンさま、お誕生日おめでとうございます」

シオンさまは、まるで不意打ちをうけたように軽く目を見開いた。
それもすぐのことで、シオンさまにしては珍しく柔らかな微笑みを浮かべる。
弟子であるムウの微笑みと、とても似ているけれどもどこか違う微笑み。

、ありがとう……」
「いいえ。私、こんなことくらしかできませんでしたけれど……」
「こんなこと?……違うぞ、。こんなことではない。……今、こうして2人で異国にいる。その間だけ、立場も何も関係ないのだ。それは私にとっては、とても大切なことだ」

普段のシオンさまから聞くことのない"私"という言葉に、どうしても驚いてしまう。
そしてその言葉の意味は、いつもの教皇としてのシオンさまではなくて、ただのシオンさまとして居るということなんだと理解してしまった。

「シオンさま……?」
「仕事でもなければ、義務でもない。ただ2人で、こうして一緒に歩いて同じ風景を見ているだろう?いずれ、こうしたことが大切な思い出になるのだから」

相変わらず微笑みを浮かべているシオンさまに、変に胸が高鳴ってしまう。
きっと顔も赤くなっているんじゃないかと思うくらい熱が篭ってしまって、まともに顔を合わせることもできない。
それをシオンさまは疲れていると勘違いしたらしく、"大丈夫か?"と心配げに聞かれ、首を振るのが精一杯だった。

「あまり長居はできぬのでな、そろそろ戻るとするか」
「ええ。そうですね……サガに何も言ってないので、気づいたら慌てて探し始めるかもしれませんしね」
「うむ。あやつならやりかねん」

すごく真面目に返事をするシオンさまに、くすりと笑みが漏れる。
また最初の建物まで戻ると、裏側に回りこむ。
来た時と同じようにシオンさまに抱きかかえられると、そのまま聖域へと戻って行った。