□ 羊狂想曲(前編)□



珍しく朝早くにムウが尋ねてきた。最近は修復の仕事が立て込んでいると聞いたので、何かあったのかもと少し不思議だった。
せっかく来てくれたのでムウと一緒に朝食を食べようとした時に、いきなりシオンさまが来て、アテナが帰還されたと教えてくれた。
出迎えのために急いで沙織ちゃんのところに向かうと、そのまま4人で朝食をすることになった。
その帰りに沙織ちゃんから、4日後に他国と親睦を深めるためのパーティーがあるから代わりに出てほしいと頼まれた。

「ええーっと……つまりは沙織ちゃんの変わりに、それに出ればいいのよね?」
「ええ、せっかくご招待を頂いたのですが、その日はあいにく予定が入っておりまして……ぜひお姉さまに行って頂けると助かるのですが……」

困ったように微笑む沙織ちゃんに、軽く微笑み返した。
特に予定らしい予定もないし、それにアテナである沙織ちゃんからの頼みだったら、シオンさまも口を出さないはず。

「そのくらいなら、私が行くわ」
「まあ!ありがとうございます、お姉さま」

沙織ちゃんは両手を合わせて、嬉しそうに微笑んだ。
思わず嬉しくなって、顔がほころんでしまう。

「自家用ヘリを出しますので、行き帰りは大丈夫です。あとは、誰がエスコートをするかですね……」
「「それなら私が……」」

ムウとシオンさまの声が、見事に重なった。
思わず沙織ちゃんと2人揃って、シオンさまとムウの方を見てしまう。

「あら、シオンとムウの2人が立候補するのですね。ですが今回は、1人で充分ですよ」

2人とも驚いたように互いを見ていたけれど、すぐに状況が変わった。
どこか不適な笑みを浮かべるシオンさまに、ムウは動じることなくいつもの笑みで見返す。

「シオン、そろそろ教皇の業務に専念したらどうですか?最近は、仕事の大半をサガにさせているようですし」
「何を言っておる。あれは教皇としての教育方針だ。お主こそ、修復の仕事が全て終わっていないではないか」

そういえば最近、廊下でサガとすれ違うことが多かったことを思い出した。
それにムウも修復の仕事を全部終わらせてなかったらしい。
ということは、後で仕事が忙しくならないのか少し心配になってくる。

「大丈夫です。シオンに心配されるような仕事の仕方はしていません。それよりも、その日の朝は早めでいいですね?」
「え……早朝から出るの?」
「もちろ「まて、ムウ。は私と共に行く予定だ!、帰りにどこか寄りたいところはあるか?少しくらいなら、寄り道できる時間があると思うが……」」

ムウの言葉を遮ってシオンさまは話しかけてくる。
心なしかムウを押しのけるように、どんどんとこちらに進んでくる。

「そんな予定は、ありません。むしろシオンは教皇として、このまま聖域に留まっていてください」
「何を言っておる。、ムウの言うことな「、どこか行きたい場所があるなら、私に遠慮なく言ってください」」

さらにムウがシオンさまの言葉を遮って話しかけてくる。
しかもムウも、シオンさまに負けじとこちらの方へ進んでくる。
2人そろって距離を縮めてくるので、少しずつ壁に追いやられてしまう。

お姉さまは、どちらとお出かけしたいのですか?」
「どちらとって……別にどっちでも良いんだけど……」

ムウは修復の仕事があるし、シオンさまは教皇の業務がある。
それを考えると、どちらにも負担になる気がして選べなかった。
ただムウとシオンさまは納得がいかないらしくて、2人ともあまり良い顔をしなかった。

「どちらでも?、それでは決まらぬ」
「ええ。この際ですから、にははっきりしてもらいましょうか……」
「そうですわね。……何か、良い方法があれば……」

沙織ちゃんは、少し首を傾けて考え始めた。
ふと沙織ちゃんの過去の言動を思い出してしまい、なぜか嫌な予感しかしない。

「シオンとムウ。どちらも引かないようですので、ここはお2人が納得するように自力でお姉さまを捕まるというのは……どうでしょう?」
「捕まえる?え、それってもしかして3人で鬼ごっこをするってこと?……鬼ごっこにしては、鬼が2人もいて不利な気がするんだけど……」
お姉さまが、もし鬼から逃げ切れたら……今回の話は無かったことにしますよ」

沙織ちゃんは、軽く微笑みながら言い放った。
最初からそうしてくれれば何も問題はなかったのにと、少しだけ顔が引きつってしまった。
ふとムウとシオンさまを見てみると、互いに挑発的な笑みを浮かべ、けん制し合うような視線を送っていた。

「どちらが先にを捕まえるか……シオン、たとえ大恩ある師であろうと、は譲りませんよ」
「フッ……それは私のセリフだ、ムウよ」
「お2人とも、気合充分のようですね」

沙織ちゃんは、こちらの方を見ると、にっこりと微笑んだ。
まさに女神の微笑みだったけれど、その微笑みは拒否権はありませんと告げていたようなものだった。

「それでは、お姉さま。先にお姉さまを捕まえた方が、お姉さまをエスコートする……ということで、よろしいですね?」
「え……あ、うん」

押し切られるように頷くと、いつの間にか持っていたニケの杖を掲げあげた。
それを合図に窓の外から見える時計台に火が灯った。
あまりの手回しの良さに愕然としてしまう。

「あの大時計は、10分ごとに1つ消えるようにしています……全てが消えるまでには、120分。シオン、ムウ……2時間の間にお姉さまを捕まえて、ここに連れてきてください」

沙織ちゃんはどこか威厳に満ちた声で静かに告げると、それに合わせるようにムウとシオンさまも膝をついて頭を下げた。

「御意に……」
「女神の仰せのままに」

まるで何かの任命式のような雰囲気だったけれど、よくよく考えると、ただの鬼ごっこ。
でも鬼ごっこをここまで大げさにできるのは、ある意味凄いかもしれないと思わず1人で納得してしまう。
2人の返事に満足するよう頷くと、沙織ちゃんはこちらに振り返った。

「では、今からわたしが30数えます。その間に、お姉さまは全力で逃げてください」

30秒と聞いて、冷や汗が流れる。
どう考えても、ムウとシオンさま相手に距離を取れるわけがない。

「沙織ちゃん!せめて100にして!」
「ふふっ……良いですよ。がんばってくださいね、お姉さま。では……」

沙織ちゃんは、ゆっくりと数を数え始めた。
急いで教皇の間から逃げ出すと、とりあえず小宇宙を極限まで押さえ込んだ。
向かう先に悩んでる暇はなくて、教皇宮から急いで出るために出入り口に向かって真っ直ぐ走る。
相手は黄金聖闘士と教皇。どう考えても、このままだと簡単に捕まってしまう。
せめて何か障害物でもと考えながら走っていると、サガと遭遇した。

、何をそんなに急いでいる?」
「あっサガ!ちょうど良い所にっ!あのね、ちょっと双児宮を迷宮にしてくれないかしら?」

いきなりの発言にサガは不振そうに眉を寄せた。
物凄く変なことを言っている自覚はあるけれど、そんなことはかまっていられなかった。

「双児宮を迷宮に?」
「沙織ちゃんの提案で、シオンさまとムウとちょっと鬼ごっこをしてるところなの!」

まさに理解不能というように訝しげに頭を傾けたけれど、すぐにアテナの提案なら仕方ないと溜息を吐いた。

「……そうか、なら仕方がない。わかった、引き受けよう」
「ありがとう、サガ。じゃあ私、行くわね。それとシオンさまとムウに私のことを聞かれたら適当にはぐらかしといてっ!」

早く遠くへ行きたくて、サガが頷いたのを確認すると、すぐに走り出した。
12宮の階段を下りて双魚宮の手前でアフロディーテがちょうど出てきて、もう少しで衝突するところだった。

「おっと……そんなに急いで、どうしたんだい?」
「アフロディーテ!ごめん、ちょっとこの辺りに魔宮薔薇を敷いておいてくれない?」
「は?どうしてそんな物騒なものを……」

いきなりのことにアフロディーテは不思議そうに首を傾けた。
さすがに自分でも話が急すぎるとは思うけれど、すぐ後ろに羊2匹が迫ってきている状況を考えると焦ってしまう。

「今ちょっとムウとシオンさまと鬼ごっこしてて時間がないの!お願いっ」
「どうしてそうなっているのか、まったく解らないんだけど……まあ、の頼みなら、仕方ないね」
「ありがとう!じゃあ、私がんばって逃げ切るから!」

走り去りながらアフロディーテに向かって手を振ると、振り返してくれた。
すぐに双魚宮を駆け抜けると、そのまま各宮も駆け抜けていく。
どこかに隠れる場所がないか探しているけれど、どこにもなくて焦りが出る。
そのまま白羊宮の近くまで降りてきたのはいいけれど、聖域から出れないから困ってしまった。
少しして、猛烈な勢いで下ってくる黄金色の小宇宙が2つ感じとれた。
この速度なら、数分もしないうちに追いつかれてしまうと思い、慌てて近くにあった宮の入り口を支える柱の物陰に身を潜めた。