□ 羊狂想曲(後編)□
身を隠すように、白羊宮の入り口を支えている一番外側の柱に隠れていると、何か攻撃しているらしい音が聞こえる。
好奇心で覘いて見ると、ムウとシオンさまは互いに牽制し合うように、攻撃を繰り出しながら階段を駆け下りていた。
足止め代わりに互いの必殺技を放ちあっているけれど、階段が穴だらけになってしまって、凄まじく迷惑な気がする。
教皇と黄金聖闘士が2人揃っていったい何をしているのと、思わず溜息を零してしまう。
「ムウっ!さきほどから邪魔だ!」
「シオン、貴方こそ邪魔ですよっ!」
少しだけムウの方が先行しているらしく、叫ぶシオンさまにムウが振り返りながら叫び返していた。
2人とも、きっとあの調子で下ってきたんだと簡単に想像できた。
「少しは遠慮というものをせぬか!スターダスト・レボリューションっ!」
「クリスタル・ウォールっ!それはシオンの方でしょうっ、たまには歳相応の落ち着きを見せたらどうですかっ?」
クリスタル・ウォールにシオンさまが指先で触れると、触れた場所から亀裂が入り音を立てて崩れていった。
ムウがかなり近くに着たのに気づいて、慌てて柱に隠れる。
小宇宙を極限まで押さえ込み、気配を絶っているけれど、見つかるのは時間の問題かもしれない。
息を潜めて通り過ぎるのを待っていると、いきなり背後にムウが現れた。
抵抗する隙を全く与えずに、そのまま横抱きにすると来た道を走り出した。
ほんの一瞬のことだったので短距離の瞬間移動だと気づいたけれど、ほぼ気配を消したのにどうしてという疑問で頭がいっぱいになる。
「えっ、えっ……なんで??」
「簡単ですよ。どんなに小宇宙を押さえ込んでいようと、探知できる範囲内に入れば解ります。……小宇宙を完全に消せることができれば、別の話ですが」
つまり、ムウの探知できる範囲が考えていたよりもずっと広かったということで……よく考えれば、ムウも黄金聖闘士。
いつもは穏やかに接してくれるのですっかり忘れてしまっていたけれど、実力は並みの聖闘士なんて足元にも及ばないくらいある。
ムウはシオンさまの近くまで来ると、短距離の瞬間移動で通り越していった。
「待てムウっ!をよこさぬかっ!」
「それはできませんっ」
固定するように抱えている腕に力をこめると、階段を駆け上がっていく。
ムウはシオンさまとの交戦で空けた穴の部分を器用に飛び越え、いっきに金牛宮を駆け抜け、双児宮の中へと入っていった。
途中でちらりと大時計をみると、蟹座の火が消えたところだった。
「、どうして私を選ばなかったのですか?」
「だ、だって……ムウ、最近は修復で忙しそうだったし……」
「たしかにここ最近は、修復の依頼が立て込んで入っていますが……ですが、急ぎの仕事というわけではありません」
ムウの言うとおり、急ぎの仕事なら今頃はここにいない。
それでもやっぱり、修復の仕事があるムウに頼むということは気が引けた。
「う、うん……でも半日くらいで帰ってくるのに、そんなに気を使わせるわけにもいかないかなって……」
「……気を使ってくれるのは嬉しいのですが、そこは甘えてください」
穏やかなのに優しげに、愛おしいと言わんばかりの笑みで微笑まれる。
あまりの至近距離と密着した部分からの体温を妙に意識させられてしまい、心臓が煩いくらいに音を立ててしまい、恥ずかしいのに胸が息苦しい。
耐え切れずに視線を逸らすと、くすくすと小さな笑い声が頭上から聞こえてきた。
「それにしても、なかなか外へ出ないですね。これは、まるで迷宮……」
「あ、ジェミニの迷宮……サガに頼んできたの。たぶん時間差で発動したのかも」
サガに頼んでいたことをすっかり忘れていて、ここにきてやっと思い出した。
おそらくだけど、発動する前にムウとシオンさまが通り過ぎてきたのだろうと考えた。
どうせ発動するなら、もっと早くに発動してくれれば、少しは羊たちの進行を食い止めれたのにと、ほんの少しだけ思ってしまう。
「こんな短時間にですか?本当には、突拍子もないことをするのが得意ですね」
「だって、サガとアフロディーテがタイミングよく出てきたから、つい」
「だからと言ってサガと、……アフロディーテ?、もしかしてですが……魔宮薔薇も頼んでいるのですか?」
「うん。なるべく沢山トラップがあった方がムウとシオンさまの足止めになるかなって思って頼んだの」
「そうですか……それはその時に対処しましょう。さて、これを解除するには少し時間がかかりそうですね……」
ムウは走る速度を落とすと、何かを考えるように辺りを見渡し始めた。
さすがにずっとムウの腕の中というのも、心臓が耐えれないかもしれない。
「ごめん、降ろしてくれる?」
「わかりました。ただし、この迷宮を脱出できるまで、ですよ」
「うん、ありがとう」
腕から下ろされると同時に、光が飛んでくるのが見えた。
それが誰かからの攻撃だと気づいた時には、体が反射的に距離を取るように後ろへと飛びあがった。
その光は、ちょうどムウめがけての攻撃だったらしく、さっきまでムウが立っていた場所に見事な穴が空いていた。
ムウは、しっかりと攻撃をかわしていたらしく、少し後ろの位置に下がっていた。
「シオンっ!また貴方ですかっ」
呆然と空いた穴を見ていると、いきなり風が吹いて視界がぐるりと反転した。
気づいたら走っているシオンさまの腕に抱えられていた。
「……甘いなっ!このままは頂かせてもらうっ」
「させませんよっ!スターライト・エクスティンクションっ!」
シオンさまは足元にムウの必殺技の光が集中して炸裂しても、余裕で飛び超えるように避けて走っていった。
ムウはまるで的当てをするかのように、次から次へと攻撃を繰り出していく。
よく見みると双児宮が穴だらけになりつつあるけど、これって誰が直すのか少し疑問に思った。
「サガっ!聞こえておるのだろう?!早くこの迷宮を消さぬかっ!」
「シオンさま、いくらサガでもそんな簡単には……」
「ええい!消さぬのなら、双児宮ごと破壊するぞっ……!」
シオンさまの一言に、双児宮の空間が一瞬だけ歪むと、外への光が差し込んできた。
「え、ちょっサガ??!!そんな簡単に消していいのーっ?!」
「フッ……それでこそ、サガだ」
「シオンさまも何言ってるんですか!!」
さりげにサガとシオンさまの日頃の関係が垣間見えた気がする。
シオンさまは双児宮を走り抜けると、穴だらけの階段をものともせずに次の巨蟹宮へと向かっていった。
人気のない巨蟹宮を抜けると、さらに進んで獅子宮や処女宮も抜けていく。
ふと大時計を見てみると、天秤座の火が消えたところだった。
「もう半刻か……ずいぶんと時間がかかったものだ」
「2人で喧嘩してるからですよ。なんで喧嘩なんてしてたんですか?」
「ムウに譲れといっているのにきかぬからだ。本来なら、とうに女神の御前についている」
少し拗ねたように話すシオンさまは、いつもの威厳ある雰囲気がずいぶんと抑えられていた。
なんだか少しだけ可愛らしく見えてしまい、顔がどうしても緩んでくる。
それを誤魔化すように、視線を教皇宮の方へと向ける。
「でもシオンさま、出かけるって言っても半日で帰ってくるんですよ?だったら、別に行かなくても……」
「いや、今回は女神の許可が正式に下りるのだ。何の気兼ねもなく出かけれるだろう?」
「でもシオンさま……お出かけくらい、いつでもできるんじゃあ……」
「が思っているほど簡単にはいかぬのだ。私も教皇としての自覚はあるのでな……こういう時でなければ、そう簡単に動けぬ」
さっきと違い、声音に少しの寂しさが漂っていて、何も言えなくなる。
順調に残りの宮を抜けていき、双魚宮を越えた辺りの階段で妙な違和感を覚えた。
よく見ると、階段が緑色と赤色で覆われている。
あと少しで教皇宮というところで、魔宮薔薇が階段に見事に咲き誇っていた。
さすがのシオンさまも走る速度を落として、立ち止まってしまう。
「これは……魔宮薔薇。だが、なぜ魔宮薔薇が撒かれているのだ……」
「すみません、私がアフロディーテに頼んだんです。なんだか凄く不利な条件だったんで……つい」
「そうか。さすがに、この中ををつれて突破というわけにも行かぬな……ふむ」
咲き誇る薔薇たちは、そのどれもが毒香を放っていてるはずなのに、とても美しかった。
香りさえ吸わなければ、たぶん大丈夫なんだろうけど、この長い階段を息をせずに通過する自信はない。
「いっそうのこと……吹き飛ばすか……」
「え……吹き飛ばすって……」
それはそれで、後で回収するのが大変なんじゃないかと思ったけれど、シオンさまはすごく真剣だったので、とても言えない。
「、少しの間ここで待っててくれぬか?」
「あ、はい」
やっと腕から下ろされて、シオンさまの少し後ろの方に立っていると、背後にある双魚宮の影から見覚えのある人物が見えた。
どうもタイミングを計っていたらしく、シオンさまが目の前の薔薇に向かって小宇宙を集中しているのを感じ取って、走ってくる。
全く気づいていないシオンさまに教えた方が良いのか悩んでいるうちに、凄い速さで間合いに入ってきた。
シオンさまが小宇宙を放って薔薇を蹴散らしたとほぼ同時に、もうムウの腕に抱きかかえられた。
やっと気づいたシオンさまが振り向いた時には、もうムウの腕の中にいて、まっすぐに階段を駆け上がっていた。
「ムウっ!またおぬしか!!いいかげんにせぬかっ!」
「先にを見つけたのは私ですよっ!シオンの方こそ、さっさと諦めてくださいっ!」
ムウはそのまま教皇宮の中に駆け込むように入ると、教皇の間へと入り込んだ。
教皇の間の奥には、沙織ちゃんが椅子に座って待っていた。
ムウは沙織ちゃんの前まで進むと、そっと腕から降ろしてくれる。
「アテナ……を連れてきました」
「ふふっ、おめでとうございます。ではムウ、お姉さまのエスコート、お願いしますね」
「そのお役目、ありがたく、お受けします」
ムウが膝を折って頭を下げていると、教皇の間の扉が勢いよく開いた。
シオンさまは、真っ直ぐにムウの方へと歩み寄った。
「ムウよっ……あと少しというところで、よくも私の邪魔を……っ」
「隙を見せたシオンの負けですよ。ここは大人しく引き下がってください」
「シオン。負けてしまったことに、かわりはありません。次のチャンスをまってください」
「ええっ?!沙織ちゃんっ、これまだあるの?!」
「もちろんです」
穏やかに微笑みながら告げるけれど、いつもより笑みが深い。
これはぜったいに楽しんでいると、思わず確信した。
シオンさまは次もあると知ると、ずいぶんと落ち着いたようだった。
「アテナ……わかりました。このシオン、次は必ずを……」
「ふふっ……その意気ですよ、シオン」
沙織ちゃんは首を少し傾け、それはそれは可愛らしく微笑んだ。
後日、シオンさまとムウが2人がかかりで壊した場所の修復に勤しんでいたのを見つけた。
ムウの方は、すごく上機嫌だったのに対して、シオンさまの方は凄まじく不機嫌で誰も近づけなかった。
とくにサガとアフロディーテは、完全に巻き込まれただけだったのに、シオンさまに無言で睨まれていた。
それを見かけてしまい、なんとも言えない申し訳ない気分になってしまった。