□ 絡まる想い -後編- □
目を覚ますと、知らない天井が目に入った。
ずいぶんと楽になったとはいえ、まだ体は熱っぽいし、頭痛も眩暈も完全に治まっていなくて、起き上がる気力が出ない。
とりあえず頭だけを動かして周りを見回してみると、キングサイズの大きなベッドに広い部屋。
家具も高そうなもので、どうしてこんなところで寝てるのか謎だった。
廊下の辺りから気配がして、そちらの方を見るとお湯を入れた洗面器とタオルを持ったムウがこちらに近づいてきてた。
「?気がつきましたか?」
「ムウ?ここ、どこ?」
傍まで来ると、ベッドサイドに運んできた洗面器とタオルを置いた。
ムウは気遣うように微笑み、そっと額に張り付いた前髪を払ってくれた。
「ここは、グラード財団が運営しているホテルの1つですよ」
「グラード財団ってことは……沙織ちゃんが手配してくれたの?」
「ええ。あの後、アテナに連絡を入れたのですが……事を大きくしないようにと、こちらのホテルを手配してくれました」
そういえば沙織ちゃんはグラード財団の総帥だったっけ。
つまりここは、もしかしなくてもホテルのスイートルームなんだろうなと思った。
病院での入院に比べたら、たしかにずっといいかもしれない。
「まあ、普通は病院行きと思うんだけど……たしかに入院とかしたら、後が大変そう……」
「ですから今夜はホテルに泊まらせて、こちらの方にグラード財団お抱えの医師を派遣させると……まあ、医師の方は、つい先ほど診終わって帰りましたが」
寝ている間に全て終わっていたことに、さすがに驚いた。
でも起こされなかったってことは、それほど大変な病気じゃないということかもしれない。
「そうなの?結局、これって風邪なのかしら?」
「過労からくる体調不良とのことです。ゆっくりと休めば、時期に良くなるそうですよ」
言われてみれば、最近は休みの日も出かけてたり用事を済ませたりしていたせいで、ゆっくりと休んだ記憶がなかった。
それにギリシャから日本まできて、人混みに揉まれているうちに、自覚のない疲労がたまっていたのかもと考えた。
「最近のは、ずいぶんとがんばっていたようですからね、仕方ないといえば仕方がないのですが……あまり私を、心配させないでください」
「ごめんね、ムウ……心配かけちゃったみたいで」
「全くは……仕方がありませんね」
やっぱり心配をかけてしまったのだと思って素直に謝ると、ムウは諦めたような溜息を零した。
それからすぐに、ムウは持ってきたタオルをお湯で濡らして、軽く絞った。
「ずいぶんと汗をかいていたようでしたから、体を拭きましょうか?」
「え……体を、拭く?そのタオルで?」
たしかに汗のせいで体中がベタベタして、少し不快だった。
無理にでもお風呂に入ってもいいけれど、なんだか悪化するような気がする。
正直に言えば、さっさと汗をタオルで拭きたい。
けれどムウは、凄く楽しそうにタオルを手に持っていて、その雰囲気に嫌な予感しかしない。
「もちろんです。熱で汗をかいて、気持ち悪いでしょう?さあ、服を脱いでください」
「脱ぐの?!ちょ、ちょっとそれは……あの、自分で拭くから!」
さすがにムウの前で服を脱ぐなんて、恥ずかしすぎてできない。
慌てて起き上がると、暖かいタオルをムウから取り上げようとタオルに手を伸ばした。
なぜかそのまま手首を掴まれてしまい、身動きが取れなくなってしまった。
ふと顔を上げると、ムウは楽しそうな笑みを浮かべている。
「遠慮しなくても良いですよ」
「そ、それくらいできるから!」
ムウは体を拭く気満々で、これはもしかして、追い込まれているのではと気づいた。
このままだと間違いなく、服を脱がされる。
焦っていると誰かが来たらしくて、廊下から通じている扉を叩いている音がした。
「ムウ、誰か来たみたいだけど……」
「やっと来ましたね……本当に、何をしていたのか……」
ムウは誰が来るのか解っていたらしく、不機嫌そうに扉を開けにいった。
少ししてムウが連れて来たのは、はぐれたはずのシャカだった。
「……シャカ?」
「……すまない。私は……っ」
シャカは、よほど責任を感じているらしくて、辛そうに眉を寄せると俯いた。
もっと早くに体調を崩していたことをシャカに話していれば、こんなことにならなかったのにと、シャカに申し訳ないような思いになった。
せめて安心させるように微笑んでみせると、何事もなかったように明るく話しかけた。
「私は大丈夫だから、そんな顔しないで。それにシャカがそんなに落ち込んでいたら、なんだか調子が狂っちゃうわ」
「……君は……」
シャカは少し驚いたように顔を上げると、微かに微笑んだ。
それに少し安心すると、気になっていたことを聞いてみることにした。
「それよりシャカ、今までどこに行ってたの?」
「あ、ああ。実は、はぐれないようにの手を掴んだはずだったのだが……間違って別の女性の手を掴んでいた」
「え……もしかしてそれが原因で、私とはぐれたの?」
いくらなんでも、そんな典型的なことをシャカがするなんて、と驚いてしまう。
シャカは肯定するように軽く頷いた。
「もちろんすぐに気づいた。だが、何を思ったのかは知らないが、相手の女性がなかなか聞き分けてくれなかったのだよ」
「聞き分けてって……いったいどんな話してたの?」
「私は人を間違ったと言ったのだが……なぜか名前と連絡先を教えてほしいと、しつこく聞かれた」
「連絡先?そんなの聞いていったいどうするのかしら」
人違いだったのに、どうして連絡先なんて聞くのか不思議だった。
もしかして知らないうちに、何か失礼なことでもしてしまったんじゃあ……そんなことを考えていると、ムウが思い出したように口を開いた。
「私がを探しに来た時には、シャカは見知らぬ女性に運命だと詰め寄られてましたから……シャカと親しくなりたかったのでは?」
「なるほど……私には全くもって理解不能だ。道理で話がかみ合わぬわけか……」
ムウの言葉にシャカは納得したらしく、呆れたように呟いた。
つまり必死にシャカを引き止める女性と、人違いだからと急ぐシャカで口論になっていたと……。
なんだか簡単に想像できてしまい、苦笑してしまう。
「もうそれって、不可抗力というか災難というか……」
「私なら日本に付いた時点での手を握りますけどね……。過ぎたこととはいえ、それはシャカの落ち度でしょう?」
いつもと違い、あまりにも厳しいムウに驚いてしまう。
シャカは返す言葉もないと言わんばかりに黙り込んでいる。
「ムウ、そこまで言わなくても……」
「、貴女自分がどれだけ危険な状況だったのか、少しも解っていないようですね」
「危険な状況とは、どういうことかね?私の居ない間にいったい何が……」
さすがのシャカも、危険という言葉は気になったらしくムウに問いかけた。
ムウは、あまり話したくなさそうに視線を逸らしたけれど、少しして苛立ち気にシャカを見て答えた。
「道端で体調を崩してしまい、不逞の輩に襲われかけたのですよ」
「なっ……私が目を離した隙に、そのようなことが……」
「大げさよ。それに何もなかったんだから「は、黙っていてください」」
話を遮られて、思わずムウの方を見てしまった。
ムウからは、いつもの穏やかな雰囲気は全くなくて、まるで苛立ちを抑えこむようにシャカを見ている。
シャカはムウの雰囲気を感じ取って、何かを考えているように黙っていた。
「の看病は私がします。シャカ、貴方は先に聖域に帰ってください」
「……わかった。ムウよ、後は頼む」
シャカは何か言いたそうにこちらを見ていたけれど、何も話さずに、そのまま立ち去った。
広い部屋でムウと2人だけになると、妙にムウが静かすぎて、怒っていると気づいた。
「ムウ……もしかして、すごく怒ってる?」
「……怒ってないように見えますか?」
「えっと……見えない、かも?」
物凄く怒っていることは、纏っている雰囲気で伝わってきてるけれど、なんだか怖くて視線を逸らしてしまう。
ムウはわざとらしい溜息を吐くと、ベッドのすぐ傍へと近づいてくる。
「、1つ聞いてもいいですか?」
「え、何を?」
「どうして、シャカと2人で出かけたのですか?」
ムウはシャカと出かけたことをよほど気にしているらしく、真剣にこちらの見つめてくる。
でもムウの誕生日プレゼントを買いに来たと言ってしまうと、なんだか特別感がなくなりそうな感じがして、本人に言ってしまっていいのか悩む。
悩んでいると、ムウは何か勘違いしたらしく、感情を抑えるよう視線を逸らした。
「私には、言えないことですか……」
「え、そんなことは「それならっ、どうして……っ」」
いきなり詰め寄るように両肩を掴まれてしまい、驚いてムウの方を見てしまう。
ムウが何かに耐えているみたいに、あまりにも辛そうにしていたから、つい手を伸ばしてしまった。
そっと頬に触れてみると、ムウは少し驚いたように軽く目を見開いた。
安心させるように視線を合わせて微笑んでみると、ムウは少し落ち着いたらしく、肩を掴んでいた手から力を抜いた。
「言えないってわけじゃないの。ただ、日本に買い物に行きたかっただけで……別に他意はないの」
「……それなら、どうして私に言わなかったのですか?に頼まれれば、どこにでも行きますよ」
「うん、ごめんね。たまたまシャカがいたから、シャカに頼んじゃったの」
本当に偶然で深くは考えてなかったけれど、ムウにとっては面白くなかったことなのかもしれない。
ふとムウを見てみると、やっぱり納得がいかないらしくて、あまり良い顔をしてなかった。
「よりにもよって、どうしてシャカに……」
「え、シャカが付いてきてくれるっていうから」
つい普通に答えてしまったら、ムウの周りの温度が一気に下がった気がした。
ムウは妙に真剣な目でこちらを見てくる。
「いいですか、。シャカはに好意を寄せているんですよ。そんな相手と2人で出かけたと聞いて、私が冷静でいられると思いますか?」
「まさかムウ……私がシャカと出かけたって聞いて、慌てて日本まで来たの?」
「そうですよ。アテナにとシャカが日本へ出かけたと聞いて、急いで駆けつけました」
そういえば日本への買い物を進めてくれたのは沙織ちゃんだったっけと、ぼんやりと思い出した。
まだ少し眩暈と頭痛がするけれど、我慢できないほどじゃない。
それになにより、先にムウの誤解をとかないといけないと思った。
「私が、どれだけを愛しているか、はまったくわかっていないようですね……いつも私ばかり、を想っている」
どこか自嘲気味に話し始めたムウを見て、さすがに焦りはじめる。
「そんなことはないわ。私もムウが好きよ」
「……子供じみた独占欲と、焦りからの嫉妬だとは解ってはいても……気持ちを抑えれないんです」
ムウは、どこか弱弱しい様子で視線を逸らせた。
ここまで不安にさせてしまうなんて、思ってもみなかった。
さすがに、どうして日本まで来たのかちゃんと言わないといけないと思った。
「日本に来た本当の理由はね……ムウ、貴方の誕生日プレゼントを買いにきたの」
「私の……?そのために、は日本まできたのですか?」
ムウにとって意外だったらしく、驚いたようにこちらを真っ直ぐに見てくる。
返事をするように頷くと、視線を合わせて微笑む。
「うん、さすがにプレゼントするのに本人を連れてくるのもどうかと思ってたら、シャカが一緒に来てくれるって言うから来てもらったの」
「そうだとしても、そのままシャカと仲を深められたらと思ってしまうと……」
「大丈夫よ、だって私が好きなのはムウだもの……ムウのことを思って、ムウに喜んで欲しくて、ここまで来たのよ」
驚いたように目を見開いた後、やっといつものムウに戻ったらしく、穏やかな笑みを浮かべながら嬉しそうに見つめてくる。
あまりにも見つめてくるから、なんだか恥ずかしいような苦しいような気持ちになってくる。
そっと横を向いて視線を逸らせると、逃げることは許さないと言わんばかりに頬を手を添えられ、顔の向きを真正面に戻された。
高揚したような熱を持った翡翠色の瞳と目が合い、捕らわれそうな感覚に陥る。
「、それは嬉しいのですが……どうせなら物よりも、をください」
「……私を?」
「ええ、そうです。私が一番嬉しいのは、……貴女が傍に居て、私だけを見ていてくれることですよ」
翡翠色の目を細め、あまりにも優しく切なげに見つめてくるから、どれだけの想いか伝わってくるようで、胸が苦しくなってくる。
切ないような胸の苦しみに耐え切れず、ムウの背中に腕を回して、引き寄せるように抱きしめた。
そのままベッドの上に転がるように倒れると、ムウが上に覆いかぶさるように重なった。
密着した場所から伝わるムウの体温と、纏っているお香のすっとした甘い香りが微かに漂ってくる。
「ムウ……どうしよう、なんだかすごく幸せかも」
「もですか?ふふっ……ずっと、このままでいたいですね」
髪をすくように頭を撫でられると、あまりの気持ち良さに目を細めた。
満たされるような安心感に包まれて、とても心地良い。
「うん……このまま、眠れそう……」
「いいですよ、眠ってしまっても……」
何度も髪をすかれ、耳元で優しく呟かれると、抵抗なんてする気力がなくってしまう。
疲れきった体はとても正直だったらしく、数分もしないうちに意識が解けるように眠りについた。
次に起きた時には、とてもよく眠っていたらしくて、日がずいぶんと高い場所にあった。
体調はずいぶんと良くなっていたけれど、ムウは完治するまではと言いながら、食事から湯浴みまで、断っても聞き入れてくれずに手伝ってくれた。
結局、聖域に帰ることができたのは、その翌々日だった。