□ 浮かれる熱。□
静まり返った部屋に、妙な沈黙が広がる。
サガに掴まれた腕が妙な熱をもって熱い気がする。
「サガ、あの……手を、離してくれない?」
「……その首筋にある、赤い跡はどうした?」
「え……赤い跡って……」
サガの視線の先を辿ると、耳の下の辺りを見ていた。
そこには、身に覚えがあった。
たしか、教皇の間でシオンさまが悪ふざけ絡んできた時に付けられたものだった。
「こ、これはシオンさまのちょっとした悪戯というか、からかわれていたと言うか……ええっと、その」
「……なぜ、教皇が?」
「し、知らないわ。シオンさまの気まぐれじゃないの?それより果物でも剥いてくるから、ちょっと待ってて」
なんだか気恥ずかしすぎて、思わず逃げるようにサガの手を振り払うと、急いで部屋か出る。
けれど、ほとんど来たことのない双児宮の台所がどこにあるかなんてわからなくて、結局サガの居る部屋に戻ってきてしまった。
「サガ、あの……果物ナイフってどこ?」
「果物ナイフか……少し待ってくれ」
サガはベッドから立ち上がると、そのまま部屋を出ていった。
少しして果物ナイフを手に持って帰ってくると、手に渡してまたベッドへと戻った。
サガはベッドで横になるわけでもなく、上半身を起こした状態で起きている。
さすがに寝室には椅子を置いてなくて、座るところが無くて困ってしまった。
「、遠慮せずベッドに座ってもかまわないぞ」
「え、でも……」
さすがにベッドの端に座るなんて、行儀が悪い気がしてできない。
とくに最近は、シオンさまにアテナの巫女として自覚を持つように言われているから、どうしても悩んでしまう。
ちらりとサガを見てみると、なぜか機嫌が悪そうに眉を寄せている。
「そのまま立っていても気が散るだけだ」
「わかったわ、ありがとうサガ」
仕方なくベッドの端に座って、バスケットからリンゴをひとつとって剥き始める。
どちらとも話すことがなくて、静かな空間にリンゴを剥く音だけが響く。
はっきり言って、非常に気まずい。
何か話題を探そうと考えていると、ふいに背後から何かに包まれた。
「えっ、ちょっ……サガ?!」
いきなりのことに驚いて手元が狂ってしまって、指を切ってしまった。
あまり深くない傷は、薄っすらと赤い線を作り、線の端から血の玉を作り始めていた。
「あ、血が出てる」
「血か……、大丈夫か?」
サガは切ってしまった手を掴むと、背後から覗き込むように確認する。
密着したところから体温が伝わってきて、どうしても意識してしまう。
今更になってよく考えてみると、サガの私室に入ったのは失敗だった。
「こんなの舐めておけば治るわよ。それよりもサガ、離れてほしいんだけど……」
なんとか自然にサガから離れようとしても、背後からがっちりと肩を掴まれてしまっては動けない。
いきなり掴まれていた手を引っ張られ、切れた指先をぱくりと口に咥えられた。
あまりのことに驚いていると、舌のざわりとした感触と傷口の痛みが伝わってきて、どうしても動揺してしまう。
「なっ、なっ……なんでサガが舐めるのよっ」
「舐めておけば治るのだろう?」
どうしてそうなのか不思議で仕方なかった。
たしかに言ったけれど、意味合いが違う。
「い、言ったけどっ、それはサガじゃなくて私が舐めるのっ!」
「フッ……何もそこまで反応する必要もないんじゃないか?」
「だ、だってサガが……っ!」
ふと、首の後ろの辺りから忍び笑いが聞こえてきて、遊ばれているのに気づいた。
なんだか一気に脱力してしまい、緊張が抜けた。
「もうサガ、私で遊ばないで……」
「いや、そんなつもりは無いが……気を悪くしてしまったのなら、すまない」
サガは謝っているけれど、声音が微かに楽しそうだった。
どう見ても反省しているようには見えなくて、横目でサガを睨むように見るけど、サガは気にしていないようだった。
なんだか面白くなくて、思わず拗ねるように視線を逸らしてしまった。
少しして急に静かになったと思ったら、サガが真剣な顔でこちらを見ていた。
「に、聞きたいことがある……」
「聞きたいことって?」
「はアテナの巫女だ……教皇と一緒に居るのは、当たり前のことだが……は、シオン教皇をどう思う?」
急にシオンさまのことを聞かれても、正直に言ってなんて答えたらいいのか解らない。
あまりに身近な存在で、最近は常に近くに居るような感じさえある。
しかも物心つく前から、シオンさまの弟子だった母に連れられて何度もしかも物心つく前から、シオンさまの弟子だった母に連れられて何度も会っているせいで、違和感も全く無い。
「シオンさま?シオンさまは教育係みたいなもので……それに小さい頃から知っているから、保護者に近いような感じというか……」
「だが、教皇は……いや、すまないが聞かなかったことにしてくれ」
どうして急にシオンさまのことを聞いてくるのか不思議で気になるけれど、サガがそう言うなら聞いても仕方ないと思って、諦めた。
「まあ、サガがそう言うなら……」
だんだんと背後から抱きしめてくる腕の力が強くなってきた。
ますます体温が伝わってきて、妙に意識してしまう。
首にサガの髪が触れてきて、くすぐったい。
「え~っと……あの、サガ?ちょっと苦しいんだけど」
今日のサガは、いつもと少し違う。
いつもなら抱きついてきたりなんてしないし、嫌がることなんて絶対にしない。
それにシオンさまのことを聞いてくるなんて、やっぱりおかしい。
「、私は……」
サガは何か言いたそうに口を開いているけれど、躊躇っているらしく何度も言葉を飲み込んでいた。
ときおり耳元に吐息がかかってきて、くすぐったい。
背後からの体温と耳元での吐息は、たまらなく恥ずかしいような苦しいような変な気持ちになってきた。
心臓が煩いくらいに音を立ててしまって、どうしていいのか解らなくなる。
サガが先に言葉を発するよりも早く、誰かが扉を開いた。
「すまんのう、すっかり遅くなってしまった」
「童虎!お目当てのものはあったの?」
捕らえていた腕の力が弱まると、慌てて立ち上がった。
「ああ、そうじゃが……おぬしら、ここで何をしておるんじゃ?」
「サガを寝かしつけようと思って、部屋に押し込めたの」
「そうじゃったのか。じゃがのう、ここはサガの私室じゃろう?サガが連れ込んだようにしか見えんかったぞ」
言われてみれば、そうかもしれないと思わず乾いた笑いが漏れた。
どうりで部屋に入る前にサガが焦っているというか、動揺していたわけだった。
「あ、あはは……童虎、サガがそんなことするようにみえる?」
「そうじゃのう……サガはシオンと違い、その辺はわきまえておるじゃろうて」
「そうそう、なんたってサガよ」
「……悪いが、私も男だ」
なぜか苦虫を噛み潰したような顔でサガが呟いた。
いきなり性別のことを言ってきたので、意味が良くわからずに思わず首を傾げてしまう。
「え、それは見れば解るけれど……」
「いや、そういう意味で言ったのでは……」
「はははっ!これはしてやられたのう、サガ」
童虎は快活に笑うと、手に持っていた怪しげな袋をサガに差し出した。
漢方薬と言っていたけれど、あれって期限は大丈夫なのか少し気になる。
でもせっかく気を使ってくれたのに、水を注すのはよくない気がする。
それに童虎が自信満々だし大丈夫なのかもしれない。
「ほれ、滋養強壮に効く漢方薬じゃ!これでも飲んでゆっくりと休めば、時期によくなろう」
「老子、ありがとうございます」
「気にするでない。、ではそろそろ帰るとするかのう」
「ええ。じゃあまたね、サガ」
見送ろうとしていたサガに断りを入れると、そのまま童虎と教皇宮にある私室に戻っていった。
翌日にはサガは元気そうに執務に取り込んでいたので、やっぱり童虎の薬は大丈夫だったんだと感心してしまったけれど、もしかしてサガの回復力が凄まじかっただけかもしれない。
サガに直接聞くと、漢方薬の効果は治っているので効いているのではと言っていたけれど、なんだか怪しかった。
シオンさまにそれとなく聞いてみると、おそらく童虎の漢方薬よりサガの回復力だろうと言っていたけれど、真相は不明だった。