□ 薔薇の特訓 □
あの後、結局すぐに眠ってしまって気がついたら朝だった。
沙織ちゃんとシオンさまの3人で朝食を取ると、童虎を連れて闘技場へと足を運んだ。
夕方に黄金聖闘士を全員集めると言っていたから、それまではいつもどおり闘技場で訓練をしてから、シオンさまに教わる予定のはず。
童虎を連れて双魚宮を通過する前に、薔薇の花束を抱えて歩いているアフロディーテに出会った。
「あら、アフロディーテ?おはよう。朝から会うなんて珍しいかも……」
「なんじゃ、アフロディーテか」
「やあ、おはよう。ふふっ、珍しいか……まあ、私もほとんど双魚宮の奥に居るから」
サガやシオンさまは教皇宮に居ることが多くてよく顔を合わすけれど、アフロディーテ達、黄金聖闘士はあまり出歩いたりすることが少ないらしくて、出会うことは少ない。
まあ、たまに任務とかで教皇宮に来たり、12宮の道で会うことがあるけれど、それも時間が合えばで出会うことが珍しい。
「その薔薇は、教皇宮に持っていくの?あ、そういえば今は沙織ちゃんが居るから、アテナに贈るの?」
「ああ、綺麗に咲いたからね。もちろん、後で君にも届けようかと思っているけど……は、今からどこに?」
「ありがとう。今から朝の訓練で、闘技場に向かっているの」
「そうか……。そういえば、巫女が訓練をしているなんて話も聞いたことがあるけど……本当のようだね」
アフロディーテのイメージが、ずっと薔薇のイメージだったんだけど、さすがに年中薔薇が咲いているのか疑問になってきた。
「そういえば、薔薇っていつも咲いているの?」
「いや、時期が決まっているが……。ああ、そうだった。今育てているのは、四季咲きの薔薇だ」
言われてみれば、いつも持っている大輪の鼻と違って少し小さな薔薇だけれど瑞々しくて綺麗だった。
それに数が多いせいかボリュームがあって、やっぱり綺麗だった。
「四季咲きなんてのもあるんだ……」
「ああ、品種改良された種類なんだ。……ああ、そうだ。、動かないで」
「え……?」
アフロディーテは手に持っている薔薇の花束から桃色の小さな薔薇を数本選ぶと、そのまま近づいてきた。
あまりにも綺麗な顔が近づいてきて、金縛りにあったように動けないでいると、アフロディーテは選んだ薔薇を左耳の少し上の辺りに上手に差し込んでくれた。
「の黒髪には、どんな色の薔薇でも映えるね。まるで薔薇の精のようだ」
あまりにも間近で微笑まれ、自然と顔に熱が篭ってしまい、不自然に視線を逸らせてしまった。
聖域で一番美しいと言われるだけあって、思わず見とれてしまうような笑みだった。
「あ、ありがとう……でもすぐに取れちゃうんだけど」
「ふふっ、今度はしっかり絡ませてるから、簡単に取れないはずだ」
そういえば、前にアフロディーテに白薔薇を髪に飾って貰ったのを思い出した。
とっても綺麗な白薔薇だったけど気がついたら取れてたから、少し残念だった。
あの貰った香水も使ってないし、少しだけアフロディーテに申し訳ない気持ちになった。
「今度は……?、そろそろ行かなくても良いのか?昼からシオンが待っておるんじゃろ?時間がないぞ」
「あ、そうだったわ。また夕方にね、アフロディーテ」
「ああ、また夕方に……」
急いでアフロディーテから離れると、12宮を降りていくために双魚宮へと入っていった。
アフロディーテは、その場で見送ってくれていたらしく、双魚宮に入る直前に振り返ると、手を振ってくれたので手を振り替えした。
「、おぬし……」
「童虎?どうしたの?」
「いや、なんでもない」
何か物言いたげなのに、童虎は珍しくそれ以上は話さなかった。
それよりも気になることがあるらしく、ふいにこちらの方に視線を戻した。
「で、昨日はどうなったんじゃ?」
「昨日?」
「今朝会ったシオンの機嫌がえらく良いのでな。何かあったのじゃろう?」
シオンさまの名前を聞いて、シオンさまとすることを思い出した。
夕方には、沙織ちゃんとシオンさまから説明があるから、今説明しても問題はない気がした。
「えっと、怪しい人物リストにカサンドラの名前が挙がってて……どうもカサンドラと女官長のアデライードが姉妹ってことがわかって、それでアデライードがシオンさまに好意を抱いてるみたいなの」
「なんじゃそれは……つまりじゃ、カサンドラがアデライードのために動いている可能性があったというこか?」
「今のところよくわからないけど、たぶんそうなんじゃない?それでシオンさまが私と恋人のふりをしようと提案してきたんだけど……」
童虎はかなり驚いたらしく、こちらの方を眼を見開いて見つめてきた。
何か顔が引きつっている気がするけど、きっと気のせいだと信じよう。
「ま、まかさと思うが……、おぬし承諾はしとらんじゃろうな?」
「当たり前じゃない。ちゃんと断ったわ。そうしたら、なぜか仲睦まじいところを見せようってなったの」
「……意地が何でもとの距離を縮めるつもりじゃな」
闘技場に入ってから、体の緊張を解すようにストレッチをしていると、入り口の辺りでムウと貴鬼くんがこっちに向かって歩いているのが見えた。
手を振ってみると、貴鬼くんはすぐに気づいて元気に手を振り替えしてくれた。
「おはよう。ムウ、貴鬼くん」
「おはよう!おねえちゃん!」
「おはようございます、。シオンとアテナは?」
ムウは、シオンさまと沙織ちゃんが居ないのを確かめるように、辺りを軽く見渡した。
もしかして2人に用事でもあったのかもしれない。
「2人とも、日程の調整があるからって行っちゃったんだけど……夕方には戻るみたい。あ、でもシオンさまは午後からちゃんと部屋に来るって行ってたから早いかも?」
「そうですか……部屋というのは、の私室ですか?」
「え、そうだけど……」
いつもシオンさまが私室に来ているのを知っているのに、どうして聞いてきたか解らなくて首を傾げてしまう。
童虎は気づいたらしく、なぜか呆れたような半目になった。
「なんじゃ、シオンのことを気にしておったのか……それなら大丈夫じゃ。以前、シオンが言っておったが、があまりにもまじめすぎて真剣になってしまうそうじゃ」
「なるほど……そういうことですか」
ムウは何か納得したように笑みを浮かべた。
せっかく教えて貰うんだから、ちゃんとまじめに話を聞くのは当たり前のことで不思議だった。
「えっと、よく解らないんだけど……ムウは、シオンさまがちゃんとできてるかどうか気にしてったてこと?」
「は、そのままがんばって勉強をしてください。いいですね」
「う、うん」
ムウは、いつもどおりの穏やかな笑みを浮かべているけど、なんだかそれ以上は聞いてはいけない気がして、思わず頷いてしまった。
「そういえば、ムウたちは練習相手に来てくれたの?それとも見学?」
「オイラ達は「訓練に来たのです」」
「え、ムウさま?」
貴鬼くんは、驚いたようにムウの方を見るけれど、ムウは貴鬼くんの視線を全く気にしていないようだった。
それよりもこちらを気にしているらしく、なぜかずっと見つめてくる。
「貴鬼、の髪に付いている花をとってきなさい」
「あの花をですか?」
「えっ、ちょ……何言って「ええ、特訓するのに花を髪に付けたままだと邪魔でしょう」」
ムウは話を聞いてくれる気がなさそうで、どうやら本気らしいことがわかった。
「それと忘れてはいけませんよ。サイキコキネシスは禁止ですから」
「はい!」
「さあ、いきなさい」
頭に向かって飛び掛ってくる貴鬼くんをするりとかわすと、距離をとる。
貴鬼くんも合わせるように近づいてくるけど、間合いを詰められたくなくて距離を保つ。
「せっかく貰ったのに、取らせるわけないじゃないっ……」
これでも一応、聖闘士なんだから聖闘士見習いに負けるわけにはいかない。
それに貴鬼くんとは、完全に動きと速さが違う。
まあ、サイコキネシスが許可されていたら、どうなっていたかは解らないけれど。
「くっそぉ~!負けないぞー!」
「ふふっ、そんな簡単にはいかないわよ」
貴鬼くんは小さいから小回りが利いて、すごく良く動く。
それに貴鬼くんの動きが不規則すぎて、余分に動かされる。
これ、もしかしてしっかりと髪に刺さっていなかったら激しい動きだけで薔薇が落ちたかもしれない。
それも計算のうちだとしたら、かなりの策士なんじゃないかと思った。
「これって、いつ、終わるのっ?」
「貴鬼が花を取るか、訓練の終わる正午になるまでですね……」
「え、私、不利、じゃないっ?」
気のせいかもしれないけれど、激しい動きで花が落ちるのを待たれている気がする。
だって、さっきから貴鬼くんはがんばって向かってきているけど、音速の域じゃないから余裕でかわせる。
でも薔薇は、本当にただの花だから、風圧でもピンチなんだけどっ。
「いえ、は聖闘士ですから……大丈夫でしょう」
「なんか、納得、できないん、だけどっ」
「やぁっ!」
なんとか話している間も、貴鬼くんは必死になって飛び掛ってくる。
少し離れてみているムウと童虎は、暖かく見守っているけれど、絶対に先を予想していたいに違いない。
「がんばるんじゃ、~。おぬしの蒔いた種じゃろう?……ちと違うか。刺した花じゃなっ。はっはっはっ!」
「笑い事、じゃ、ないわっ」
高らかに笑う童虎に、少しだけ怒りがわくけれど、それよりも目の前の貴鬼くんの方がやっかいだった。
それでも、さすがアフロディーテが朝一番に摘んできてくれた薔薇。
とても瑞々しくて丈夫だったおかげもあって、昼がずいぶんと近づいてもなんとか髪に刺さっている。
「もう、そろそろ、ねっ」
「がんばっておるのぅ」
「ただの花が、これほど持つとは……」
ムウにとっても薔薇の丈夫さが予想外だったらしく、少し驚いているみたいだった。
貴鬼くんの息も、ずいぶんと上がってきている。
太陽もずいぶんと高いところに昇っているから、そろそろ正午かもしれない。
「貴鬼くん、そろそろ時間が……」
「はぁー、はぁー……オイラ、まだっ」
「貴鬼、引きなさい」
貴鬼くんが動きを止めたと同時に、閃光のようなものが一瞬だけ見えた。
気づいたら背後から腰をがっしりと掴まれていて、首の辺り自分の髪が解け落ちる感触があった。
「え……」
「一点だけを見ずに……全体を捉える。つまり、本体を捕まえた方が早いですよ」
「ムウさまっ、すごいです!」
地に落ちた薔薇を呆然と見つめていると、耳の傍で"アフロディーテから貰った薔薇でしょう?"と呟かれた。
まるで離さないと言っているみたいに、腰に回された腕の力が強くなった。
「ムウ……大丈夫よ。だって、ただの花だもの」
「ええ、解ってはいるのですが……」
腰に回された腕に、そっと手を伸ばすと、腕がゆっくりと離れていった。
後ろを振り返って見上げると、ムウと目線があった。
そっと頬に手を伸ばそうとしたとき、遠くからシオンさまの声が聞こえた。
驚いて振り向くと、出入り口の辺りでシオンさまがこちらに向かって手を振っていた。