□ 無自覚無邪気 □
シオンさまは闘技場についたばかりだったらしく、嬉しそうな笑みを浮かべながら、真っ直ぐにこっちに向かって歩いてくる。
こっちに向かって歩いてくるシオンさまを見つつ、ムウの腕を外していて良かったと、本気で思った。
あのままだったら、絶対に根掘り葉掘り聞かれるし、今は色々な問題があるんだからタイミングをみて話さないと、話がこじれてしまいそうな気がする。
それにしても今日の予定は、いつもどおりで特に変わった事はなかったはずなのに、どうしてシオンさまが迎えに来ているのか解らなかった。
「、迎えに来たぞ」
「え……今日って何かありましたっけ?」
「いや、とくに予定はないが……」
シオンさまとは昼過ぎから顔を合わせるのに、わざわざ迎えに来る必要なんてないような気がする。
不思議に思っていると、ムウがシオンさまとの間に割りこむように入ってきた。
「シオン、アテナはどうしたのですか?」
「ああ、アテナから許可を貰っている。問題はない」
「シオン、おぬしまさかと思うが……に会いたいがために来たのではないか?」
「そうだが?」
あまりにも自然に答えるシオンさまを見て、童虎は飽きれたような溜息をついた。
会いたいためって……もしかして昨日、シオンさまと沙織ちゃんで話し合った時のことが原因で迎えに来ているかもしれないと気づいた。
「え、あれってもう始まってるんですか?!」
「当たり前だ。何も説明後からだとは言っておらん」
「そ、そうですけど……」
たしかに黄金聖闘士全員に説明して欲しいって言ったけど、説明後からまでは言っていない。
さすがにムウを挟む形でシオンさまと話しをしていたら、ムウもかなり気になったらしく、こちらの方に視線を向けてきた。
「、いったい何があったのですか?」
「え~っと……その、本当はムウにもちゃんと説明しようと思ってたんだけど……訓練のあとでもいいかなって思って」
「説明?またいったい何を……」
シオンさまに危機感を持つように言っているムウにとっては、面白くない話かもしれない。
それに上手く話さないと、後でもめそうな気がする。
思わず口ごもってしまいそうになるけれど、なんとか説明しなければいけない。
「それがね、えっと……何から説明したら……。ほら、前に賊の侵入があったりした時に女官が怪しかったじゃない?」
「……あれですか」
ムウは何かを思い出したらしく、言葉が少し苛立ち気になった。
それでも話を聞いてくれるらしくて、何も言ってこない。
「女官長のアデライードがシオンさまのことを好きらしくて、それでゆさぶりをかけようってなったの」
「ゆさぶり?」
「もしかしたら、女官の間で何か動きがあるかもしれないし……」
「それは「その件は後で話す。それより、髪が乱れておるが」」
シオンさまはムウの言葉を遮ると、ムウの横を通って背後に回りこんできた。
そのまま腰の近くまで伸びた髪を軽くすくい上げる。
「髪?あ、これは……」
ムウが纏めていた髪を解いたとは言い出せずにいると、シオンさまは髪の感触を確かめるように撫でてくる。
そのまま髪を束にして、すくい上げるように髪を持った。
「どれ、私が結い直そう」
「え、できるんですか?」
「もちろんだ」
大人しくしていると、シオンさまはずいぶんと慣れた手つきで髪を結い始めた。
髪をきつくもなく緩くもないくらいの力加減で結われると、なんだか心地良い。
「相変わらず器用なやつじゃ」
「え、相変わらずって……」
童虎の方に視線だけを向けると、童虎は感心するようにシオンさまの手つきを見ていた。
もしかして童虎は、シオンさまが誰かの髪を結っているのを過去にどこかで見たことがるのかもしれない。
「、おそらく過去の女性関係が影響しているのかもしれません」
「過去の女性関係って……やっぱりシオンさまって、女性好き?」
そう考えれば、シオンさまの行動のすべてに納得がいく。
シオンさまは呆れたように息をつくと、手の動きを止めた。
「まったく、髪ぐらいで何を言っておる。濡れ衣だ。ムウもくだらんことを話すでない」
「くだらないことですか」
「それよりも、髪を留めていたものがあったはずだが……」
そういえば髪を解いたのはムウだから、たぶんムウが持っているはず。
ムウに声をかけようとした時、貴鬼くんがシオンさまに向かって元気に声を張り上げた。
「あ、それならムウさまが持ってるよ!」
「……このピンですか?」
「それだ。貸せ」
シオンさまはムウから長細いピンを受け取ると、すぐに髪に差し込んで髪をまとめあげてくれた。
後は髪型の形を整えるように軽く調整をすると、正面に移動してきて、全体を確認するように見つめてくる。
シオンさまの視線に耐え切れずに、こっそり視線を逸らすとムウと視線があった。
ムウは、何かを言いたそうにこちらを見ていているのに、何も言ってこない。
よく考えたら、ムウが髪を解かなければこんなことにはならなかったはずだから、文句を言いたくても言えないだけなんだと気づいた。
「ふむ、こんなものだな」
「うわぁ、お姉ちゃん!すごく綺麗にできてるよ!」
確かめるように後ろに手を回して髪に触ってみると、両サイドを編みこんで後ろに流してから纏め上げられているらしくて、とても綺麗に仕上がっているみたいだった。
「あ、ほんとに綺麗に編みこまれてる……」
「当たり前だ。私を誰だと思っておる」
「え、教皇ですよね?」
自信たっぷりに話すシオンさまに、つい思ったことをそのまま言ってしまった。
シオンさまにしては、少し困ったような反応が返ってきた。
「いや、たしかにそうだが……」
「勢いで言うからじゃ」
ムウは楽しそうにくすくすと笑い声をこぼした。
楽しそうに笑っているムウに気づいたシオンさまは、ムウを軽く睨んだ。
「何を笑っておる……」
「いえ、さすがだと思いまして……」
ムウの方はシオンさまの視線をまったく気にせずに、いつものように微笑を浮かべている。
シオンさまは納得できないと何をか言おうとした時、"ぐーぎゅるる"という音が辺りに響いた。
その音に、その場に居る全員が音のした方を向くと、貴鬼くんが恥ずかしそうに俯いていた。
「ごめんなさい、オイラのお腹の音です……」
「あ、うん。もうお昼だものね。それに貴鬼君は成長期だし、仕方ないわ」
「はははっ!そうじゃのう、それにお腹が空くと言うことは健康ということじゃ!」
豪快に笑う童虎をよそに、なんだか和んでしまって優しい気持ちになってしまう。
ムウとシオンさまも、あきれたように貴鬼くんを見るけれど、どこか仕方が無いなという優しい雰囲気があった。
「貴鬼くん。お昼ご飯、一緒に食べる?」
「うん!」
貴鬼くんは元気に返事をすると、せかすように手を掴んで引っ張ってくる。
無邪気なのが微笑ましてくて、そのまま引っ張られる形で外に向かっていくと、シオンさまに止められた。
「、いったいどこで食べる気だ?まさか迎えに来た私を置いて、白羊宮で食べるなど言いはしないだろうな?」
「え……そ、そんなことは……」
何も考えてなかったけれど、貴鬼くんが引っ張っていこうとしているのは、どう考えても白羊宮の気がする。
それに貴鬼くんたちは白羊宮から来たはずだから、やっぱり白羊宮に帰るのが普通だし。
でもそれだと迎えにきたシオンさまの立場が無い気がするし、これはやっぱり教皇宮に帰るしかない。
それにしても良い天気だし、このまま屋内で食事というのはもったいない気がした。
「じゃあ天気もいいですし、日当たりの良いバルコニーに食事を運んでもらって、外で食べるとかは……」
「ふむ……それならば一番広い場所が良いな。アテナにも伝えなければ……」
ムウと童虎の方に視線を送ると、2人とも視線に気づいたらしく、こちらに視線を返してくれた。
「ムウも童虎も、それでいいわよね?」
「ええ、もちろんです」
「もちろんじゃ」
返事をすると同時に、ムウは穏やかに微笑んで、童虎は豪快な笑みを浮かべた。
笑みを返す前に、貴鬼くんがせかすように腕を引っ張ってきた。
「お姉ちゃん早く!オイラ、もうお腹がすっからかんだよ!」
「ふふっ、じゃあ早くご飯をお腹に詰めないとね」
早く早くとせがむ貴鬼くんに腕を引っ張られて、そのまま教皇宮へと急いだ。
気づいたらよく横に並んでいるムウとシオンさまも、珍しく童虎と一緒に後からついてくる形で、教皇の間へと向かった。