□ 指し示される方向 □



沙織ちゃんが次々と名前を読み上げていく中、ふいに"カサンドラ"という単語が聞こえた。
その名前には聞き覚えがあって、思わず沙織ちゃんの方を凝視してしまった。

「今、カサンドラって……?」
「おそらく、の思っているとおりだろう……」

シオンさまも気になったらしく、こちらの方に視線を向けると頷いた。
沙織ちゃんは最後まで読み上げると、手に持っていた書類を伏せてこちらの方を不思議そうに見つめてくる。

お姉さま、シオン、もしかしてこのカサンドラという方をご存知なのですか?」
「以前、の侍女として女官長が推薦していた人物かと……」
「この間、アイカテリネの代わりに来てたのもカサンドラだったし……」

そういえばカサンドラは、最初の侍女候補として上がっていたっけ……それに女官長が選別したらしいから、もしかして女官長とは何か関係があるのかもしれない。
ふいにサガが何か思い出したようにカサンドラの名前を呟いた。

「カサンドラ?……どこかで聞いたことが……」
「サガ、知っているの?」

サガがカサンドラのことを知っていたことに驚いて、思わずシオンさまと沙織ちゃんと3人でサガの方を見てしまう。
3人からの視線に少し驚いたようだったけれど、すぐに頷いた。

「あ、ああ……たしか、今の女官長の妹だったはずだが……」
「女官長の妹?え、でもなんでサガが知っているの?」
「たしか……数年前に試験や紹介状ではなく、女官の紹介として入ってきたが……そのときに、許可を出したのが私だ。女官長ではなく、女官が直接連れてきたので覚えている」
「ああ、なるほど……私の代わりに教皇をしていたときだな。教皇から許可を貰えば、誰も文句は言えないからな……」

サガの話に、シオンさまは納得したように頷いた。

「あれ、でもそれだと……女官が女官長を通さずに、直接教皇に許可を貰いにきたってこと?」
「……当時の女官長は、あまり女官から信頼されていなかった」
「え……なんで?」

いくらなんでも、女官からまったく信頼のない人が女官長になれたなんて、どう考えてもおかしい。
シオンさまはサガから視線を逸らせると、あきれたようなため息を吐いた。

「おそらく、外見で選んだのだろう……私が復帰した時には、ずいぶんと艶のある女官長に交代していた」

サガは気まずそうに視線を泳がせているけれど、いったい何を基準に選んだんだろうって考えてしまった。
艶ってもしかして色気があるってことだろうかと考えていると、シオンさまは何かを思い出したらしくて微かに顔を歪めた。
沙織ちゃんもシオンさまの様子がおかしいことに気がついたらしく、不思議そうに首をかしげた。

「シオン、何かあったのですか?」
「教皇に復帰後、なぜか色仕掛けで攻めてこられましたよ……私も甘く見られたものだ、と当時は思ったものです」
「色仕掛けって……」

たしかに復活後は見た目が若くなったけど、まさかシオンさまに色仕掛けって……いったいどんなことをしたのかすごく気になった。
シオンさまはこちらに気づいたらしく、少しだけ苛立ち気に答えてくれた。

「……夜遅くに寝室に戻ると、私の寝室に女官長が忍び込んでいたのだ……しかも香まで焚き付けてな。復帰したばかりの忙しい時期だというのに、いったい何を考えていたのやら……」
「え、そのあと女官長はどうしたんですか?」
「ああ、すぐに女官長の役職から降ろしたが……それが気に入らずに、聖域から去った」

シオンさまは聖域から去った事は当然と言わんばかりだったけれど、それだけじゃないような気がする。
たぶん、シオンさまの視線に耐えれなかったんじゃないかと思った。
それにしてもサガからシオンさまに変わってすぐにってことは、その女官長は手馴れてたってことなんじゃないかと気づいて、思わずサガの方を見てしまった。。

「サガ……教皇だったときに、いったい何してたの?」
「……こほん、きちんと仕事はしていた……。そ、それよりもこれからどうする?」

よく見ると、サガの視線が珍しく泳いでいた。
しかも横からシオンさまの"呆れたものだな……色にぼけるとは"という呟きが聞こえてくる。
シオンさまの怪訝な雰囲気と、サガの話に触れないでほしそうな雰囲気に気づいて、この話はあまり深く聞かないほうが良いかもしれないと思った。

「どうするって言われても……とりあえず、カサンドラと女官長を調べるしかないんじゃない?」
「出自などの詳細は、こちらで調べることができるが……日ごろの行動の把握は難しいぞ」
「う~ん……とりあえず、アイカテリネにも話を聞いてみます。まあ、女中と女官って仲が悪いみたいなので、どこまで話が聞けるかはわかりませんけど……」
「少しでも手がかりになれば、それで良い」

シオンさまを見て、ふと洗濯物を押し付けてきた女官たちのことを思い出した。

「そういえばシオンさまって、女官長と仲が良いんですか?」
「いや、仕事上の付き合い程度だが……急にどうしたのだ?」

いきなり女官長との関係を聞かれて、シオンさまは不思議そうな表情を浮かべた。

「女官の人たちが妙なことを言ってて……ついさっき教皇宮を女中の服で歩いてたら女官と出会ってしまって、女官の人たちアテナ神殿の侍女だと思ったらしくて、何かあったら女官長に訴えれば良いって……それで」
「たいていのことは、女官長を通して私の方に伝わっているが……そういう意味ではないのか?」

シオンさまは、あまり気にしていないみたいだったけれど、あの女官たちの言い方は妙な感じがした。

「でもなんだか妙って言うか……まるで、女官長に言いつけて追い出すぞって感じの雰囲気だったから……シオンさまと女官長ってどんな関係なんだろうって思ってしまって……」
「なるほどな、そういう意味か……アデライードを女官長にしたのは、長年使えていただけのこともあり、仕事の手際も良く、判断力があったからだ。別に他意はない」

シオンさまのことだから、本当に能力だけで判断したんだと思うけれど、あの女官たちの態度はやっぱり気になる。
考え込んでいると、ふいに何かに気づいたらしい沙織ちゃんの声が聞こえた。

「あら……それはシオンの意見で、もしかしたら女官長はもっと別に考えているかもしれません」
「アテナ、別の考えとはいったい?」

シオンさまは気になったらしく、沙織ちゃんの方へと視線を向けた。
沙織ちゃんは何かに気づいたように、微かに笑みを浮かべて話し始めた。

「シオンの視点ではなく、女官長の視点で考えてみるのです。おそらく女官長は、お姉さまとシオンが昔からの知り合いとは知りません。突然巫女として現れて、自分よりもシオンの近くにいるのですよ……それを女官長がどう思っていて、周囲が何を思っているのかを考えてみるのです」

たしかに沙織ちゃんの言うとおり、私がシオンさまと幼い頃からの知り合いなんて女官長は知らないはずで……いきなり来た人が巫女の座に納まったようにしか見えない。
しかもかなり大切にされているとなると、面白くないかもしれない。

「……もしかして、私が巫女にならなければシオンさまに一番近かったのが女官長?」
「まあ、そうなるな……」

たしかに権限は教皇と同じという扱いで、教皇であるシオンさまに色々と教わっているけれど、よく考えたらそれが異例なことだったんだっけ。
本当なら女官を束ねている女官長は、教皇に一番近いところだったかもしれない。

「じゃあもしかして、女官長にとったら私の存在って面白く無かったってこと?」
「……そうなりますね」

沙織ちゃんの一言に思わず黙り込んでしまうと、周りが沈黙に包まれた。
やっぱり一番最初に、巫女をちゃんと断っておけば良かったのかもしれないと思ったけれど……今更考えたって仕方ないと吹っ切れた。
少しして沈黙を破るように、シオンさまが口を開いた。

「ふむ……少し煽ってみるか……」
「え、煽るって……いったい何をするんですか?」
「簡単なことだ。がアデライードの前で私と恋人のふりをすれば良い」

シオンさまは名案と言わんばかりにどこか得意げに話した。
その話しの内容に驚いて、サガと同時に目を見開いてシオンさまを見つめてしまう。
沙織ちゃんだけは別に驚いていなくて、なぜか普通にシオンさまを見ていた。

「きょ、教皇?!」
「そ、それはちょっと……いきなりそんな」
「何をそんなに焦っているのだ、ただのフリだ」
「で、でも恋人のフリはちょっと……」

ただでさえ、ムウにシオンさまには気をつけるようにって言われているのに、恋人のふりなんてとてもできない。
さすがに無茶がありすぎる。
それだけは絶対に避けなければいけないと本気で思った。
どうやって断ろうと考えていると、シオンさまの視線が真っ直ぐこちらに向けられた。

「……、私とでは嫌なのか?」
「え、あ……そういうわけじゃなくて……」

何かを探るようなシオンさまの視線に耐え切れずに、思わず答えてしまうとシオンさまは上機嫌に笑みを浮かべた。

「なら問題はなかろう」
「で、でも……恋人なんて……」

どうしようと考えていると、焦ってしまって何も思い浮かばない。
サガもなぜか焦ったらしく、反発するように勢い良く立ち上がった。

「で、ですが教皇っ、は就任して間もありませんっ!」
「そうですね。それだと、シオンが自分の恋人を巫女にしたように見える可能性も出てきます」

たしかに就任したばかりの巫女が、実は教皇の恋人でしたってなると周りが何を言うか解らない。
沙織ちゃんの一言がサガを後押ししたらしく、サガはシオンさまに向かって勢い良く言い放った。

「そうです教皇!今後のことをお考えください!」
「たしかには巫女に就任して間もなかったな……それなら仲睦まじいところを見せる。それで動きを探ればよかろう」

なぜか断定するように言われてしまい、もしかしてこれは決定されたのかもしれないと気づいた。

「え……これって、もしかして確定?」
「何を今更言っておる、当たり前だ」

上機嫌な笑みを浮かべて答えてくれたシオンさまとは対照的に、思わず乾いた笑いが漏れてしまった。
恋人のふりだけは逃れたから、まだ助かったのかもしれないと思うことにしよう。
女官達にはすごい誤解をされそうだけど、せめて黄金聖闘士には誤解を招きたくないと思った。

「……あの、ひとつ条件があるんですけど……」
「条件?」

本当に機嫌が良いシオンさまは、今ならどんな願い事でも聞いてくれそうな雰囲気を出していて、とても話しやすかった。
サガは少し落ち着いたようで席に着くと、話が気になったのかこちらを見ている。

「その、誤解を招かないように、黄金聖闘士全員に説明して欲しいんです」
「それは別にかまわぬが」
「では、明日にでも黄金聖闘士全員を集めましょう」

沙織ちゃんの言葉に、その場に居た全員が頷いて話が纏まった。
食事を終えると、沙織ちゃんをアテナ神殿まで送っていくことになり、そのまま沙織ちゃんに誘われてアテナ神殿の別邸で眠ることになった。