□ 薔薇の香りと生真面目 □



せっかくの休日でも沙織ちゃんは仕事でいないし、シオンさまは忙しそうで声がかけづらい。
街にはこの間、出かけたばかりで行く気にはならない。そういえば、まだ師匠に挨拶に行ってないことを思い出した。
護衛は……とりあえず12宮を降りてその時に誰かに頼むことにしようと考えて、12宮を降りることにした。
その最初の双魚宮で、薔薇の花を抱えて歩いているアフロディーテと出会った。

「おや、珍しいね。今日はお休みかい?」
「うん、今日はお休み。アフロディーテは何をしているの?」

アフロディーテの両手いっぱいに抱えられている薔薇の花を不思議に思い見ていると、全部が傷んでいる花だと気づいた。
その視線に気づいたらしく、アフロディーテも自分が抱えている薔薇を見る。

「ああ、これかい?薔薇の剪定をしていてね、この薔薇はその時の薔薇だよ。このくらいの傷みなら、まだ色々と使い道があるからね」
「せんてい……?」

初めて聞いた剪定という言葉の意味が解らなくて、思わずアフロディーテの方を見てしまう。
その時に気づいてしまった。今までこんなに近くで見たことがなくて気づかなかったけれど、アフロディーテがとてもつなく美しいということに。
そういえば、魚座の黄金聖闘士が聖闘士の中で一番美しい容貌をしているという話を昔聞いたことがあったけど、本当のことだったんだと感心してしまう。

「病気になったり痛んだりした薔薇を摘み取って、世話をすることだよ」
「薔薇って、育てるのが大変なのね」
「ああ、でも手がかかるほど可愛いって言うだろ?」

凄く楽しそうな顔をしながら話しているアフロディーテを見て、この光景に見覚えがある気がした。
そういえば、街中で見かけた小さな子供を可愛がっている親ってこんな感じだったっけと思い至った。

「なんだか、子育てみたい……」
「子育とは、少し違うけど……まあ、似たようなものだね。ああ、そうだ!ちょっと待ててくれるかい?良い物があるんだ」

頷くと、アフロディーテはそれを了承の意味だと思ったらしく、そのまま双魚宮の奥へと入って行った。
少ししてガラス製の小瓶と茎の短い真っ白な薔薇を1輪だけ手にして戻ってきた。

「それは……?」
「動かないで、すぐだから」

アフロディーテの手が纏め上げた髪に伸びてくる。思わず一歩後ろに下がりかけるけど、言われた言葉を思い出して耐えた。
くすぐったい感触と、あまりにも近い距離で、胸の鼓動が激しくなる。しかも、薔薇の香りらしい甘く澄んだ香りが、ふわりと漂ってくる。
変に意識しないように視線を逸らして紛らわせる。時間は短いはずなのに、長く感じた。それもやっと終わったらしく離れて行く。
すぐにさっきの薔薇を髪に飾ってくれたんだと気づく。アフロディーテの方を見ると、なんだか満足したように微笑んでいた。

「あ、ありがとう」
「どういたしまして。うん、白百合も良いけど、その黒髪にはやっぱり白い薔薇が映えるね。それとこれ、ささやかなお礼だよ。受け取って」

手渡されてた小さな小瓶は、よく見るとほんのりとピンク色をしていた。
キャップを外してみると、薔薇の瑞々しくもほんのりと甘い上品な香りがする。

「これって……もしかして香水?」
「そう、薔薇の香水だよ。もちろん君に合わせて薔薇の種類を組み合わせて作っているから、きっと君に合うはずだ」

嬉しいけれど、こういう凄く女の子らしい物を貰っても、使い方が解らない。
困っているとアフロディーテが気づいたらしく、小瓶を取り上げると、そのまま手首に1,2滴ほど振り掛けられた。
今度は両手首を捕まれ、左右の手首を擦り合わせる。何をしているのかが解らないけれど、危害があるわけじゃないので、大人しくしていることにした。

「使い方は、こうやって手首に振りかけて、両手首を合わせてから、その手首を耳下にこすり付けるんだ」
「なるほど。こうやって使うのね。本当にありがとう、アフロディーテ。ありがたく頂くわ」
「ああ、君の為に作ったんだ。大事にしてやってくれ」

そう言いながら微笑んだアフロディーテは、その美貌も相まって凄く眩しく見えた。
しかも人からこんな物を貰ったのも初めてで、頬に熱が溜まっていくのが解って、思わず顔を背けた。

「そ、そういえばさっき持って帰った大量の薔薇は、放置してても大丈夫なの?」
「そうだった。早くしないと劣化するから、私は戻ることにするよ」

そう言って双魚宮の奥に戻って行ったアフロディーテを見送ると、次の宝瓶宮へと足を運んだ。
たしか宝瓶宮は水瓶座のカミュが居たっけと思いだしながら進んでいくと、あと少しで宝瓶宮というところでカミュの姿を見つけた。

「カミュ!どこか出かけるの?」
「ああ、か。少しシベリアに出かけようかと思っていてな。今から教皇の許可を取りに行くところだ」
「シベリアって……なんでまたそんな所に……」

シベリアと言えば、ほぼ雪に覆われて凄く寒い土地というイメージしかないので、用事があるとしたら任務くらいしか思いつかない。
でもカミュは私服姿で……黄金聖闘士としての任務なら聖衣を纏っているはずだから、これは私用で行くんだ気づいた。

「あそこでしか売っていないものを買いに行くのだが……まあ、買出しに行くようなものだな。それにあそこは、私の修業場所だったからな。やはりたまには、足を運びたくなるのだよ」
「うん、たしかに何年も居ると土地に愛着が沸くのよね。それで、ふいに懐かしくなるなっちゃうのよ」

聖闘士となるべく修業をしていた"浩然の滝"を思い出した。
滝の上にある川は、緩急の差が激しくかった。最初の頃は恐怖でしかなかった川も、知り尽くして慣れていくと不思議と怖くなくなった。
師は訓練となると、普段は穏やかなのにその時だけはとても厳しくて、何回も死ぬと思ったことも今では思い出だから、人間って不思議だなと思う。

にもそういうのがあるのか」
「あるに決まってるでしょ、失礼ね」
「それは、すまなかった」

軽口を叩くように言葉を返したら、真面目に返されてしまった。
少しだけ焦ったけれど、彼が生真面目な性格だったことを思い出して、これが彼の普通の反応なんだと納得した。

「ふふっ、ごめんなさい。本当は気にしてないわ。それより急がないと、時間がもったいないわよ」
「ああ、そうだな。では、行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」

カミュは微かに微笑むと、少し急ぎ足で12宮の階段を上って行った。ふいに後ろを振り返ったから、手を振ると振りかえしてくれた。
カミュの姿が双魚宮に吸い込まれるように消えるのを確認すると、次の宮へを目指して階段を降りていった。