□ 偶然という疑惑 □





沙織ちゃんが日本に帰ってからは、昼まで訓練をして、午後からはシオンさまの講義を受けて、いつもと変わらない穏やかな日々を過ごしていた。
ただ少し違うところは、シオンさまが朝の訓練のお出迎えに来るようになったことぐらいだった。
それと最近は、ささやかな嫌がらせか偶然かわからないようなことが次々と起こっているぐらいで、それを除けば平和だった。
いつものように朝の準備を終わらせ、テーブルに着くとアイカテリネが軽い朝食を並べ始めた。

さま、朝食でございます」
「ありがとう。すぐに食べるわ」

アイカテリネが出してくれた朝食のサンドイッチとフルーツヨーグルトとサラダがテーブルに並べられる。
サンドイッチを食べてみると、いつもよりも酸味が強い気がする。
そのままヨーグルトを食べると、フルーツ入りなのに、なぜか濃い塩味だった。
まさかと思いサラダを食べみると、今度はシーザードレッシングが甘かった。

「塩と砂糖を……間違えてる?」
さま、どうかなさいました?」

食事の手を止めたのを気にしたらしく、アイカテリネが不思議そうに近寄ってきた。
アイカテリネの方に顔を向けると、海色の瞳と目が合った。

「えっと、もしかして料理する人が変わった?」
「いえ、変わってはいませんが……どうかなさいました?」
「見た目は同じなんだけど……このドレッシング、甘いの」
「え!?そんなはずは……す、すぐにお取替えいたします!」

アイカテリネは慌ててテーブルからお皿を引き下げると、部屋から出て行った。
本当に偶然か意図的か解らなくて、悩んでしまう。
今回は砂糖と塩の入れ間違いで、料理を作るときの代表みたいな失敗の仕方だったから、わざととは思えない。

「やっぱり……ただの入れ間違いかしら?」

悩んでいると扉を叩く音が聞こえて、返事を返すと扉が開いてシオンさまが現れた。

「シオンさま、おはようございます」
「おはよう、。もう朝食は済んだのか?」

最近は毎朝のように、シオンさまは迎えに来てくれているので、驚くこともなくそのまま挨拶をする。
シオンさまも慣れたように、向かい側の椅子を引いて座った。

「え、いえ。まだですけど……」
「そうか……の侍女が食事を持って去っていったのでな。もしやと思ったが……何か手違いがあったのか?」

そういえばアイカテリネとシオンさまは、入れ違いで入ってきたんだっけと思い出す。

「手違いというより、ミス?調味料を間違えて入れてしまっていたみたいで……取替えに」
「調味料を入れ間違えた?ふむ……今までそんな事は一度もなかったが」

たしかに一度もミスなんてなくて、いつも美味しい料理が運ばれてきていた。
それが今回、初めて失敗した料理が運ばれてきて、なんとも言えない気分になった。

「塩と砂糖は似ているから、もしかして見間違いで入れたのかも……」
「ふむ、そうなると料理人が味の確認をまったくしていなかったということになるが……」

シオンさまの言うとおり、ちゃんと味見をしていたら、間違えてそのまま出すわけがない。
そうなると意図的になるけど、まさかと疑いたくなる。

「……まさか、出す直前に入れ替えたとか……?」
「料理人が味を確認して出したということなら、そうなるな」

料理を持ってきたのはアイカテリネで、自然とアイカテリネが摩り替えたことになってしまう。
とても素直な性格をしているアイカテリネが、そんなことをしたなんて考えられない。

「でもアイカテリネがそんなこと……」
「直接、料理人から受け取らずに出されていたものをそのまま持ってきたとしたら……」

それはつまり、料理人からアイカテリネに渡る前に誰かが手を加えたことになる。
そういえば前にもアイカテリネが持っていた書類が偽造されていて、アイカテリネに疑いがかかったことがあったのを思い出した。
でもそれは濡れ衣で、アイカテリネに疑いが向くように細工されていただけだった。
もしかして今回も、アイカテリネに濡れ衣をかぶせようとしているのかもしれない。

「シオンさま、アイカテリネだけは考えられません」
「わかっている。だが、確認はせねばならぬ」

たしかにシオンさまの言うとおり、疑いをかけたままなんて、アイカテリネに失礼すぎる。
思わず俯いてしまうと、ふいに頬にシオンさまの手が触れてきた。
自然と顔を上げると、シオンさまと目が会った。

、なにもアイカテリネだと決め付けておぬら……ただ、疑いは早く晴らすべきだ」
「……でもアイカテリネばかりに疑いが向かってしまうなんて……」

扉を叩く音が聞こえて、アイカテリネかもと思って返事をすると、思っていたとおりアイカテリネが料理を持って部屋へと入ってきた。
思わずシオンさまと2人でアイカテリネを見てしまう。

さま、お待たせいたしました!え……教皇さま……」
「アイカテリネ、アデライードを呼べ」
「か、かしこまりました……!」

アイカテリネはシオンさまに頭を下げると、急いで部屋から出て行った。

「シオンさま、なにも女官長を呼ばなくても……」
、サガのときのこともある……小さなことでも頻繁に続くということは、誰かが意図的にしたということだ」

シオンさまの言うとおり、頻繁に続いているから、誰かが故意的にしているんだと思う。
でもいったい、何をきっかけにしてと考えてしまう。
最近になって変わったことと言えば、シオンさまとの距離が縮まってしまったことくらいで……。

「まさか……本当に効果が?」
「ああ、効果はあったということだ」

シオンさまは、悠然と笑みを浮かべると、一口サイズに小さく切り分けられたサンドイッチにピックを刺し、自分の口にサンドイッチを放り込んだ。
きっとシオンさまもお腹が空いているんだと見ていると、シオンさまはサンドイッチにまたピックを刺して、こちらの方に向けてきた。
まるで食べろと言わんばかりに、こちらの口元までサンドイッチを突きつけてくる。

「え、あのシオンさま……?」
「味は大丈夫だ」

なんだか恥ずかしくて食べづらいというだけで、味は気にしていないのだけど、シオンさまは味を気にしていると勘違いしているみたいだった。
困って背もたれの方へ下がると、勘違いをしたままのシオンさまは、さらにサンドイッチを近づけてくる。

「そういうことじゃあ……」
、食べないのか?」

まるで当たり前のように聞いてくるけど、さすがに食べづらくて困ってしまう。
仕方なく、そのまま口を開いてしまうと、一口大に切り分けられたサンドイッチが口に放り込まれた。
新鮮なレタスの触感とトマトの瑞々しさ、チーズの濃厚な味が絡み合って美味しい。

「あ、美味しい……」
「そうか。口に合ったようだな」

そのまま次々と口に運んでくるから、まるで雛鳥のように出されるサンドイッチを食べていく。
完食してしまうと、今度はスプーンを手に取りヨーグルトまで口元に運んでくる。
もう今更なので口をあけてしまうと、ヨーグルトが口の中に入れられた。
ヨーグルトの微かな酸味に、新鮮なイチゴの甘酸っぱさが口の中で広がって美味しい。
思わず、顔が緩んでしまう。

は、幸せそうに食べるな」
「あ、美味しくって……つい」
「いや、気にする必要はない。私も楽しいからな」

気を良くしたシオンさまは、そのままどんどんとスプーンを運んでくる。
ヨーグルトを半分ほど食べた頃、扉の叩く音が聞こえた。
急いで返事をすると、アデライードが扉を開け、部屋に入る前に頭を下げた。

「アデライード、参りました」
「やっと来たか……アデライード、おぬしに少しばかり聞きたいことがある」

シオンさまは手に持っていたスプーンを静かに置くと、アデライードの方に視線を向けた。
アデライードは、頭を上げるてシオンさまを見つめる。

「はい、何なりと」
の……巫女の食事に不手際があったそうだが、いったいどういうことだ?」
「その件に関しましては、さきほど巫女さまの侍女、アイカテリネから伺いました。この度は、わたくしの管理不足による落ち度……誠に申し訳ございません」

アデライードは、裾がつかないように持ち上げつつ膝を突き、頭を深く深く下げる。
きっとシオンさまが声をかけない限り、このまま姿勢を保ち続けるんだろうなと思ってしまうような頭の下げ方だった。

「アデライード……貴女は本当に、気づかなかったの?」
「全ての行動の確認はしておりませんでしたので。巫女さま、わたくしは、女官の方々を信用しております」
「そう……」

それはまるで、女官側に落ち度はないと言っているのも同然で、おそらくアデライードは侍女のアイカテリネか女中を疑っているのだろうと思う。
それに砂糖と塩が入れ替わっていたとか、服の裾に模様かわからないような薄っすらとした、足跡のような染みが付いていたとか、新調された服に待ち針が刺さっていたとか、別に女官でなくても、仕組めることばかりだった。

「信用か……まあ良い。アデライード、私もおぬしを信頼してこそ女官長の任に就かせた……わかっているな、あまり私を失望させるな」

シオンさまの発言は、暗にこれ以上の失態は許さないと言っているのと同じだった。
その言葉の意味に、アデライードも気がついたらしく、表情を崩すことはなかったけれど、微かに肩を揺らして反応した。

「か、かしこまりました……」
「多忙な時間にすまなかったな……行っても良いぞ」

アデライードが立ち去った後、扉のすぐ傍で困ったようにアイカテリネが立っていた。
ふいにアイカテリネと目が合ってしまったので、安心させるように微笑むと、アイカテリネの表情が微かに和らいだ。

「アイネ、入ってきても大丈夫よ」
「し、失礼いたします……」

シオンさまが居るせいか少し緊張したらしく、アイカテリネは少し硬い動きで部屋に入ってくる。
いつもなら部屋の中で、色々な仕事をこなしているけれど、今日は部屋の片隅に待機するように固まっていた。
いつもと違う反応が、なんだか可愛らしくて、思わず笑みが出る。

「アイネにひとつ、頼みたいことがあるの」
「は、はい!なんでしょうか?」
「女中たちの待遇に注意してほしいの。気のせいかもしれないけど、アデライードは女官のことは信用しているって言ってたけど……女官のみで、その下にいる女中の人たちは信じてないみたいだったから」
「さようでございますか……女官の方々と比べ、わたくしたち女中は家系や家柄などございません。信用も薄いのは仕方の無いことでございます」

以前、アイカテリネから聞いた話を、ふと思い出した。
箔をつけたり自分の結婚相手を探したりするために、女官として働いているなんて、同じようにアテナに使える身としては、とても信じられないことだった。
でもだからこそ、巫女という存在が面白くないことも、おそらく邪魔だと思っていることもわかる。

「本来は、女官や女中と言えどもアテナに使える身であることは変わりないはずなのだが……」
「そうですよね。本当に、いったい何を思って聖域に来たのかしら……」

ふと時計を見ると、もう9時を軽く回っていた。
貴鬼くんの修行の刺激になるからと、ムウが毎日のように貴鬼君を連れて闘技場にきているから、そろそろ行かないとムウと貴鬼君が迎えに来るかもしれない。
ただでさえ、シオンさまが毎朝のように闘技場まで見送るようになってしまって、ムウの機嫌があまり良くないから、これ以上は待たせられない。

「シオンさま、そろそろ闘技場に行きますね」
「ああ、送っていこう」

腰の辺りに手を伸びてくるシオンさまの手を避け、少し早足で扉の方へと急いだ。
シオンさまは、少し後ろの方からすぐに追いついて、気が付けば横に並んで歩いて、軽い世間話をしながら闘技場を目指した。