□ 酒気の戯れ □



夜もずいぶんと更けた頃、沙織ちゃんは明日も予定があるからと与えられた私室へと戻っていった。
本当なら一緒に部屋に戻りたいけれど、シオンさまがすぐ横に居て、なかなか離れてくれない。
それにこのまま部屋に戻ると、確実にシオンさまが部屋まで着いてきそうで、少し困る。
仕方なく飲み終わったシオンさまのグラスに、お酒を注いでは次々に飲ませていく。
結構な量を飲んでいるはずなのに、シオンさまはなかなか酔いつぶれない。

は呑まないのか?」
「日本だと、お酒は二十歳からで、だから私は飲めないんです。ほら、沙織ちゃんも飲まなかったでしょ?」
「そうか……そういえば、アテナも日本で育ったな」

過去を思い出すように、シオンさまは少し遠くを見ていた。
それにしても本当に、シオンさまはいつ、酔いつぶれてくれるんだろうかと気になる。

「それにしてもシオンさまは、お酒がすごく強いですね」
「フッ……これくらいなら問題ない。それより

いきなり腰に手を回して引き寄せられてしまい、そのままシオンさまに密着してしまう。
シオンさまから、微かなアルコールの匂いが漂ってくる。

「……今日は、一段と美しいな」
「あ、ありがとうございます」

今日は気合を入れてきたから、褒められるとさすがに嬉しいけれど、あまりにも見つめてくるから恥ずかしい。
見つめてくるシオンさまの視線に困って、顔を横にそらすと少し離れたテーブルの近くに居るムウと目があった。
なぜかムウの手に持っているワイングラスには、もち手部部分から細かいヒビが入っていた。
シオンさまは、顔を背けたことが気に入らないらしくて、今度は頬を両手で挟むと顔を無理やりシオンさまの方へと向けさせられた。

「どこを見ている」
「え、あの、ちょっ、シオンさまっ」

焦っていると、シオンさまは誰かに髪を引っ張られたらしく、頭から後ろへと下がっていった。
誰だろうと思ってシオンさまの後ろを少し覗いてみると、シオンさまの髪をを引っ張っていたのは童虎だった。
そういえば沙織ちゃんが帰った後、シオンさまの横に童虎が座っていたのを思い出した。

「おぬし、わしが居るのを忘れておるじゃろう」
「空気を読め、童虎」

空気って、まさかシオンさまは童虎に黙って立ち去れといっているんじゃないかと思ってしまう。
もし本当に童虎が去ってしまったら、非常にまずい気がする。
さすがに焦っていると、誰かが腰に回っているシオンさまの手を外してくれた。
急いでシオンさまから距離をとってから振り向くと、外してくれたのはムウだった。
ムウは呆れたように軽く目を伏せ、シオンさまに話しかけた。

「シオン、何を馬鹿なこと言っているのですか……我が師ならが情けないですよ」
「ムウか……まったくムウも童虎、少しは雰囲気というものをだな」
「雰囲気?嫌がっているに、無理やり迫っているようにしか見えませんでしたが?」

ムウが笑みを浮かべると、なぜかシオンさまもどこか余裕の笑みを浮かべた。
互いに笑みを絶やさずに、牽制しあっているらしくて下手に動けない。
困っていると突然、楽しそうな歓声が響いた。
歓声のする方をよく見ると、みんなでサガとアイオロスを囲んで盛り上がっている。
ただ少し変だったのは、平然とお酒を飲んでいるアイオロスの横で、サガはうつ伏せに倒れていた。

「何か盛り上がってるみたいだけど、向こうで何かしてるの?」
「あそこはたしか、サガとアイオロスが飲み比べをしていたはずですが……どうやらアイオロスが勝ったようですね」
「なんじゃ、面白いことをしておるのう」

うつ伏せで倒れていたのは、酔いつぶされていたからなんだと気がついた。
酔いつぶされたサガは、アルデバランが金牛宮に帰るついでだと言って、そのまま担いで連れて行った。
空の空き瓶に囲まれて、平然としているアイオロスを見ていると、なんとなくシオンさまを思い出す。

「飲み比べ……あ、シオンさまも、どうですか?お強いみたいですし……」
「私か?……別にかまわぬが」
「アイオロスー!!シオンさまも参戦するって!」

シオンさまの腕を掴むと、そのままアイオロスのところへと引っ張っていく。
アイオロスは驚いたようにこちらを見るけど、気にせずにアイオロスの横にシオンさまを座らせた。
周りからは歓声や口笛の音で、すごい盛り上がりを見せた。

「教皇、いいのですか?」
の頼みだからな。仕方あるまい」
「シオンさま、かなり強いから覚悟した方がいいわよ」
「それは楽しみだ」

シオンさまが杯を手に取ると、そこへ酒を注いだ。
ついでにアイオロスの杯にも酒を注ぎこんでいくと、アイオロスは嬉しそうな笑みを浮かべた。
そこから2人が猛烈な勢いで飲み始めて、止まらない。
女官達によって次々と酒瓶が運ばれてくるけれど、新しく空けた酒瓶の数が10を超えると、さすがに不安になってくる。

「2人とも、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
「私もだ」

二人とも平然としているけど、並んでいる空き瓶の数が尋常じゃなくて、本当に大丈夫かとも心配になってくる。
さすがに20を超えると、周りで観戦していた黄金聖闘士も驚きを隠せなくて静かに見守るように2人を見ている。
それにしても2人とも飲むペースが早くて、だんだんと疲れてくる。
ふいに童虎が割り込んできて、シオンさまとアイオロスに酒瓶を手渡した。

「おぬしら、もう自分で注いだほうが早いぞ。も疲れるじゃろう」
「そうか……」
「わかりました、老子」

2人とも返事を返すと、そのまま飲み続け始めた。
そっと2人から離れると、入れ替わりに童虎が2人の前に座り、見守るという形になった。
シオンさまとアイオロスは、ほんのりと顔が赤い気がするけれど、気のせいかと思って場所を離れた。
少しお腹が空いたから、テーブルに並んでいる食事に手をつけて、軽いサンドイッチやデザートやフルーツに手を伸ばした。
テーブルに用意された飲み物で喉を潤していると、いきなり肩に誰かが手を置いた。

「え、だれ?って……ムウ」

驚いて振り向いてみると、なぜかムウが背後に立っていた。
目が会うと、どこか安心したように微笑んだから、つい釣られて微笑み返してしまった。

「どうかしたの?」
、あちらで少し風に当たりませんか?」
「え、うん。良いけど……」

ムウについて外へ行くと、冷たい風が心地よかった。
扉の前で立ち止まって風に当たっていると、ムウの目的の場所じゃないらしくて、手を放してくれない。
ムウは少し回りを見渡してから、また歩き始めた。
柱の物陰に連れて行かれると、急に立ち止まったからムウを見上げると、ムウは急に抱きしめてきた。
そのまま肩に顔を埋めてくるから、自然とムウの背中に腕を回してしまう。

「ムウ?どうかしたの?」
「どうしたも何も……、シオンには気をつけるようにと言ったはずです。どうしてこんなことに……」

ムウの腕に力が篭ってきて、触れる体温が暖かくて心地いいのに、少し息苦しい。
ずっとムウに言われていたことなのに、本当にどうしてシオンさまとなると気が緩んでしまうんだろうと不思議に思う。

「ごめんね、私がもっとはっきり断っていれば……ムウは心配しなくてすんだのに」
……本当に、もっとはっきり言ってください。シオンには、はっきり言わないと伝わりません」
「う、うん……」
「本当に解っていますか?」
「シオンさまには、必要以上に近づいてこないように言うわ」

さっきみたいに、密着されたら身動きが取れないし、なんだか雰囲気がおかしくなりそうで嫌な予感しかしない。

「必要以上に……ですか。まるで必要があれば、必要以上に触れても良いみたいに聞こえますが」
「ムウ?本当にどうしたの?」

ムウは肩に埋めていた顔を持ち上げると、覗き込むように真っ直ぐに見つめてくる。
あんまりに見つめてくるから、心臓が煩いくらいに音を立てて、胸が苦しい。
耐え切れなくて思わず顔をそらしてしまうと、ムウの手が頬に触れて、真っ直ぐにムウの方へと顔を向けられる。
いつもと違って真剣なムウに、思わず見惚れて動けない。
翡翠のような瞳が微かに揺れているような気がする。

……」

ムウは、そのまま瞳を閉じると、ゆっくりと顔が近づいてくる。
同じように瞳を閉じると唇に柔らかな感触が触れる。
気のせいかもしれないけど、微かにお酒の匂いがするような気がする。
背中に回していた手に少し力をこめると、触れるだけの口付けが深いものへと変わった。
はっきりとお酒の匂いだと確信して、ムウから離れようとするけど、しっかりと顔を固定されていて動けない。

「んぅっ……んーっ!」

背中を軽くたたくと、やっとムウは離れてくれた。
でも少しムウの機嫌が悪くなったらしくて、いつもの穏やかさがなかった。

「なんですか?」
「ムウ、お酒を飲んだの?」
「少しだけですよ……」

そういえば、ワイングラスを握りながらこちらを見ていたのを思い出した。
細かいヒビが入っていたのは気になるけど、それ以上にいつから飲んでいたのか気になる。

「本当に、少し?」
「少しです」

平然と答えるムウに、時間を考えても絶対に少しじゃないはずと確信してしまう。
このまま聞いても、きっと"少し"としか言わない気がする。

「ボトル何本?」
「……おそらく……1本ほど?」
「それ、少しって言わないと思うんだけど……本当は酔ってない?」
「私が酔っていたとしたら……」

少し考えるように間をおいた後、すごく楽しそうに微笑んだ。

「もちろんが、介抱してくれますよね?」
「えっ……介抱って、必要なの?」

どう見ても元気そうなムウに、介抱が本当に必要なのか疑問だった。

「ええ、必要です。が」

なぜかムウは腕をしっかりと掴んでくると、そのまま腕を引っ張ってくる。
もうそれは介抱じゃなくて、ただたんに私と一緒にいたいだけなんじゃないかと気づいた。
それはそれで嬉しいけど、酔っ払っているのが気になってしまう。

「ちょっ、ちょっとムウ」
、静かに……」

すぐ近くの柱の傍にくると、柱を背にしてムウが座り込む。
ムウが座り込むと、腕を引っ張られたままの状態だったせいで、一緒に座り込んでしまう。
座り込んだ膝の上に、いつの間にか横になっていたムウの頭が置かれた。

「もう、ムウ……本当は、膝枕して欲しかっただけじゃないの?」
「くすくす……私がそれだけで満足すると思いますか?膝枕程度で、すませたんですよ」
「そ、そう」

なんだかあまり深く聞いてはいけない気がして、膝の上に置かれたムウの頭を軽く撫でる。
そのまま綺麗な藤色の髪を指で梳かしながら、さわり心地を楽しんだ。
ムウは心地良さそうに目を細めながら、こちらを見つめてくる。

「眠たいの?眠かったら白羊宮に戻った方が……」
「……も、一緒に来てくれますか?」
「え、私も?どうしようかしら……」

このままムウを介抱していたとして、一緒に白羊宮に行こうかと迷ってしまう。
今なら、ムウについて行ってもちゃんとした理由があるから、大丈夫かもしれないと考えている。
扉の開く音がして、誰かが教皇の間から出てきたのに気づいた。
柱が邪魔をして、気づかれないと思っていると、なぜかこちらの方へと真っ直ぐに歩いてきた。
月明かりに照らされた人影に驚いて覗き込むと、金色の長い髪を風になびかせながら、シャカがすぐ近くまで来ていた。

「シャカ……どうしたの?」
、やはりここに」
「シャカ……せっかく良いところなんですから、邪魔をしないでください」
「ムウか。邪魔をしたつもりは無いが、ここで何を?」

シャカは、膝の上に頭を置いているムウが気になるらしい。
目を閉じていても気配だけで解るらしくて、ムウの方を見るように顔を向けている。

「え、お酒を飲んだムウが介抱して欲しいって言うから……介抱してる最中?」
「たしかにそうですが……」

何も間違ってはいないのに、ムウは何か言いたそうに膝の上から見上げてくる。

「そういえば、私を探していたみたいだけど、何かあったの?」
「アイオロスが酔いつぶれたらしく、そのまま眠ってしまった」

ムウは膝から起き上がると、そのまま寄り添うように腰に手を回せて引き寄せてくる。
つい、そのままムウに寄り添うように体を預けてしまう。

「シオンが勝ちましたか……あの2人は、酔っていないように見えていますが、かなり酔っていましたからね」
「そうなの?」
「顔が少し赤くなっていました。それに言動が少しおかしかったはずですよ。気づきませんでしたか?」
「いつもとあんまり変わってない気がするけど……そういえば、すごく近づいてきていた気がする」

普段のシオンさまと違って、すごく密着してきて困ったのを思い出した。
それがお酒のせいだとしたら、妙に納得してしまう。

「その時点で、もう酔っていたはずですよ。アイオロスが負けたとなると、そろそろシオンが騒ぎ出す頃ですね……」
「ああ、を探している」
「え、私を?」
「離れていたことにも、気づいていなかったんでしょう」

言われてみれば、シオンさまにしては珍しく、童虎の一言であっさりと離してくれたような気がする。
酔っ払っていたとすれば、適当に頷いていたかもしれない。

「ほんとに酔ってたのね……仕方ないから、シオンさまのところに行くわ」

シオンさまのところに行くために立ち上がろうとすると、ムウが腕を掴んできた。
不思議に思ってムウの方を見てしまう。

「待ってください、
「ムウ、どうかしたの?」
「シオンのところに行かずに、自分の部屋に戻りませんか?」

シオンさまが探しているのに、さすがに自分の部屋に戻るというのも気が引けてしまう。
でもムウが戻って欲しそうだし、どうしようかと悩んでしまう。

「戻ってもいいけど、でもシオンさまが探しているんでしょう?」
「シオンがを部屋に送りたいだけですよ。それなら私が送ります」

腕を掴んだ状態でムウが立ち上がるから、引っ張られるように立ち上がってしまう。
そのまま腰に手を回されて、引き寄せられてしまう。

「え、ムウ?でも……」
、行きますよ」

返事もしていないのに、腰をしっかりと掴んで、部屋に戻るために歩き始めた。
ムウは少し歩くと、何かを思い出したように立ち止まって、シャカの方を振り返った。

「シャカ、シオンを頼みます」
「……わかった」

ムウがシャカの返事を聞くと、上機嫌で歩き始めた。
教皇の間に繋がっている扉が突然開くと、中からシオンさまが現れた。
シオンさまと目が合った瞬間、あまりに嬉しそうに微笑むから、耐え切れなくてつい視線をそらしてしまう。

、ここに居たのか」
「シオンさま、どうかしたんですか?」
「ああ、気づいたらが消えていたのでな。探したぞ」
「えっとその、外の空気を吸いたくて……」

シオンさまに近づこうとすると、腰に回っているムウの手に力が入ってきた。
腰に回っているムウの手は、服の裾に隠れてしまっているせいもあって、シオンさまは気づいていないみたいだった。
シオンさまは、なぜか嬉しそうに近づいてくる。

「具合が悪いのか?なら私が、を部屋まで送ろう」
「いえ、シオンはもう部屋に戻ったらどうですか?なら、私が部屋に送り届けますから」
「それはが決めることではないか?」
「シオン、はっきり言いますが、酔っていますよね?そんな状態で送り届けるなど……送り狼になるのが目に見えていますよ」

2人とも余裕そうな笑みを浮かべながら話しているけど、お互いに牽制しているみたいで間に入りたくない。
それに選べといわれても、どっちも送り狼になりそうな気がして、つい苦笑してしまう。

「ほう、どちらが送り狼になることか……ムウ、お主も飲んでいた事は知っているぞ」
「シオンが飲んでいた量に比べれば、かわいいものですよ」

なんだかすごく嫌な予感がするけど、逃げようとしてもしっかりと腰を掴まれてて、動けない。
ふと背後を見ると、シャカがまだ居たのに気づいた。
掴まれている腰の辺りを指差すと、シャカに吐息にも近い小声で"これ、外せる?"と言ってみるとシャカは薄っすらと目を開けた。
シャカは何をして欲しいのか、すぐに気づいたらしく、そのままゆっくりと近づくと、何も言わずに腰に回されていたムウの腕を解いた。

「なっ……シャカ、いったい何を」
が、動けずに困っていた。何か問題でもあるのかね?」
「私、沙織ちゃんのところで寝るわ。その、ごめんね。おやすみなさい」

ムウとシオンさまが何か言う前に、さっさと教皇の間の奥にあるアテナ神殿への道へと進んだ。
沙織ちゃんに与えられている寝室に向かうと、沙織ちゃんは喜んで迎えてくれた。
翌日、なんだか物凄く何か言いたそうなシオンさまとムウにあったけど、沙織ちゃんと一緒にいるから2人とも何も言わなかった。
代わりに食事をしながら雑談をして、日本に帰る沙織ちゃんを見送ると、いつもの日常へと戻っていった。