□ 花びら □
うつらうつらと心地の良い睡眠から目覚めると、腕に何かを抱きかかえているみたいだった。
それの抱き心地が良くて思わず腕に力を込めると、ほんのりと暖かく、人肌くらいの温度でちょうど良かった。
そこでふと気づいた"……なんで、温いの?"しかも誰かが髪を撫でているらしく、手の感触が伝わってくる。
「ぅ、ん……だれ?」
上を向き、ゆっくりと重い瞼を上げると金色の髪が視界に入った。
さらさらとした金色の髪は、とても触り心地が良さそうで思わず手で掴んでしまう。
思ったとおり、髪通りが滑らかで触り心地が良かった。
「……起きたのかね?」
耳に馴染む静かな口調に"これは……シャカの声?でもなんで?"と、ぼんやりと考えた。
ふいに一気に頭が覚醒し、ついさっきまでシャカと話していたことを思い出した。
「ちょっ、え……っ?まさか私……っ」
慌てて起き上がると、シャカがすごく近くにいた。顔と顔が触れそうになるくらいに近く、息が止まる。
あまりの近さに緊張してしまい、後ずさるように離れる。
「ご、ごめんなさい……眠ってしまって……」
「ああ。私が許可したのだから、それはかまわない」
「それに私……気づいたら、ヌイグル……えっと、シャカを抱き枕のようにしてたみたいだし……」
まさか寝ぼけていたとはいえ、自分からシャカの腰に抱きついていたことには、さすがに恥ずかしさを覚える。
「フッ、あれにはさすがの私も少しばかり驚いたが……あまりにも心地良さそうに眠っていたのでな、悪くはない気がしてきた」
「シャカ……もしかして、熱でもあるの?」
ヌイグルミ代わりにされて悪くはない気がしてきたなんて、どうかしたのかと思って思わず熱を測るためにシャカの額に手を伸ばした。
一瞬、シャカが微かにだけれど動いたような気がしたけれど、気にせずに額に掌を当てて熱を測る。
「別に熱は無いみたいだけど……どうかしたの?」
「いや、君はあれだな……警戒心が無さ過ぎる。私だから良かったものを……」
どこか呆れたように話すシャカに、ついさっき爆睡してしまったことを言われているのかもと思い当たって、何気なく視線を逸らして言い訳がましく口を開いた。
「あの、さすがに誰彼かまわず寝ないから……シャカだからうっかり眠っちゃったのよ」
シャカの方をちらりとみると、なぜか固まったように動かなくなっている。
不思議に思って声をかけようかとしたときに、日がずいぶんと傾いているのに気づいた。
「……あっ、日がずいぶんと傾いてるわ!今日は沙織ちゃんにご飯を誘われてるから、そろそろ部屋に戻らないと……」
「ふむ、それは早く部屋に戻った方がいい。部屋までは、このシャカが送って行こう」
「ありがとう、シャカ」
沙羅双樹の苑を出ると、処女宮から急いで自室へと向かう。
各宮を次々と通っていき、教皇の間がある宮へと入ると、真っ直ぐと自室へと歩いていく。
シャカと雑談しながら歩いている途中、シャカの髪に薄い桃色の花びらが一枚だけ引っ付いているのに気づいた。
「シャカ、髪に花びらが……」
「花びら……?」
歩きながらシャカの髪に付いている花びらを取ろうと腕を伸ばすと、ふいに肩越しに誰かにぶつかった。
ふらついた瞬間、背後から誰かに支えられるように抱きしめられた。
「えっ!?ちょっ……と、って……シオンさま?」
「か……すまない、大丈夫か?」
「あ、大丈夫です。すみません、シャカに付いてた花びらを取ろうとしてて……」
そっとシオンさまから離れると、床に落ちてしまった薄桃色の花びらを拾い上げ、シオンさまに見せる。
シオンさまは視線だけを動かして確認すると、こちらに視線を戻した。
「たしかに花びらだが……もしや、2人でどこかに出かけていたのか?」
「え、ええ。出かけたというか……まあ、ちょっと処女宮の沙羅双樹の園に行ってましたけど……」
「……そうか。シャカはもう下がっても良いぞ。後は余が引き受ける」
シャカとの間を割り込むように、肩を掴まれるとシオンさまの方へと引き寄せられる。
明らかにいつもと違う行動に戸惑ってしまい、なすがまま大人しくシオンさまの腕に収まってしまう。
シャカが頭を下げた辺りで、まだシャカにお礼を言っていないことに気づいた。
「御意に……」
「さっきは、ありがとう。シャカ」
「ああ。では、また後で……」
急にシオンさまが歩き出したので最後まで話しきることができずに、そのまま教皇の間へと続いている道を進む。
「……それで、シャカといったい今まで何をしていたのだ?」
「え……何もしてませんけど……?」
「では、何もせずに今まで一緒に居たというのか?」
「…………まあ、ちょっとは……お昼寝しましたけど……」
教皇の間まであまり距離が無かったため、すぐに扉の前に着いてしまった。
シオンさまが扉を開けたので中に入り、ついでにシオンさまの腕から抜け出す。
どうもまだ開放してくれる気はなかったらしくて、腕を掴まれ引っ張られるが、なんとか踏みとどまる。
「昼寝というのは、シャカも寝ていたのか?」
「いえ、私が1人で寝てただけです……」
「ほう……2人きりの状態で、だけが眠っていたと……」
なぜか近づいてくるシオンさまに、一定の距離を保ちながら後ろへと下がっていく。
けれども場所が悪かったらしく、すぐに壁にぶつかる。
困ってシオンさまの方へと視線を上げると、瞳が逃がさないと物語っていた。
「そう、なりますね……でも本当に眠っていただけです」
シオンさまの顔がどんどんと近づいてくるので、反射的に顔を逸らすと、そのまま耳の傍に顔を近づけられた。
首や頬にかかるシオンさまの髪が、少しばかりこそばゆくて身じろぐ。
「ではなぜ、シャカの纏っている香りがからするのだ?」
「そ、それは……ちょっと距離が近かっただけで、本当になにもなかったんです」
耳元で囁かれると、吐息が耳にかかり気になるけれど、意識しないようにと必死にシオンさまの質問の意味を考えた。
そこでやっと、眠りながら抱きついていた時に香りが移ってしまったことに始めて気づいた。
おそらく、さっきシオンさまにぶつかった際に微かに付いてしまった匂いが漂ったのかもと思い至った。
「距離が近かっただけと、言い張るのだな。……仮に本当のことだとしても、その行動に問題があるのだ。やはりは、隙が多すぎる……」
「え、あっ……ちょっ、シオン、さま……っ」
耳のすぐ下の辺りの首筋にシオンさまの唇が触れ、吸い付かれる。
少しだけチクっとしたと思ったら、今度はぬるりとした感触が首筋をゆっくりと這っていき、ゾクリとしてくる。
これ以上は超えてはいけないと本能的に悟り、逃れるために身体を動かそうとすると、両肩を押さえつけられて動けなくなってしまった。
「っ……ちょっ、……や…っ」
逃れようにも肩を抑えられ動けない。必死に両手で懇願するようにシオンさまの胸板を押すがビクともしない。
いつものシオンさまなら、ここまではしない。いったい何が原因でこうなってしまったのか解らなくて、混乱してしまう。
どうすることもできない状況の中、微かな足音ともに教皇の間の奥の方から誰かが歩いてくる気配を感じた。
場所と気配から、沙織ちゃんだと気づいた。それにはシオンさまも気づいたらしく、やっと離れていってくれた。
「シオン。お姉さまは、もういらしたのですか……?」
こんな状況を沙織ちゃんに見せるわけにもいかないので、急いでシオンさまから少しだけ距離をとる。
ほどよく距離をとったあたりで、アテナ神殿に続いている道を隠すように遮っているカーテンを開けて沙織ちゃんが姿を現した。