□ 花の約束 □
ベッドに横たわると、色々なことが頭をよぎる。シャカに愛を告げられ、シオンさまに唇の横だったとはいえ口付けられた。
聖域の女官達の話も……きっと、アイネを襲わせたのは女官達なのに、決定的な証拠がないのがはがゆかった。
考えることは山ほどあって考えがまとまらない。そのうち、ムウと女官とのことを思い出して苛立ってきた。
「ムウの……ばか」
ごろりと寝返りをするように横になると、今は何も考えたくなくて目を閉じる。
それでも頭の中をよぎるのは、ムウと女官との光景で苛立ってくる。
誰かが扉を叩く音がして、もしかしてシャカかもしれないと考えて、ベッドから起き上がり扉を開けに行く。
さっきアイネからシャカの言付けを聞いたばかりなのに、何かあったのかなと扉を開けると、そこに居たのはシャカじゃなかった。
「こんばんは、。夜遅くに、失礼します……少し、お時間をいただいても?」
「……ムウ?なんで……」
さっきまで考えていた人物が目の前にいて、あまりの驚きに呆然となり頭が止まった。
けれどすぐに、さっきの光景が頭をよぎって苛立ってくる。今は会いたくないという思いが強くて、視線をムウから逸らす。
「ごめん。もう寝るから、また明日ね。おやすみなさい」
勢いよく扉を閉めようとしたら、扉は完全に閉まることなく半分くらいで動かなくなった。
よく見るとムウの手が扉の縁をしっかりと捕まえていて、それのせいで全く扉が動かなくなっている。
普段のムウからは考えられない行動に驚いてムウの方を見ると、いつも通り微笑んでいるけれども何かかが違う。
心なしか目が笑ていないというか……表情が仮面じみているというか……なんだか冷たいものを感じる。
「シャカはよくて、私だと拒むのですか?」
「なっ、何言ってるの……拒む、なんて……っ」
いきなりシャカの名前が出てくることに驚いたけれど、それ以上にムウの言葉と行動に驚いた。
言ってる意味が解らなかったけれど、すぐに腰を痛めた時にシャカを部屋にいれた時のことを言っているのだと気付いた。
でもなんでこんなことになるのかが不思議だった。やっぱり、いつものムウと何かが違う。
「そうですか……なら、部屋に入れてくれますよね?」
断ろうにも断れる状況じゃなくて、躊躇いがちに頷くとムウは部屋へと入ってきた。
いきなりのことにどうすればいいのか解らなくて悩んでいると、ムウが振り返り視線が重なる。
いつもと違う強い意志を秘めたような視線に、思わず視線をそらしてしまう。
「腰の方は、もう大丈夫ですか?よければ私が診ますよ?」
「えっ……大丈夫よ?シャカのおかげで、ほとんど治ってるもの」
「、万全に越したことはありません。それに小宇宙ヒーリングなら私も得意です」
ムウは言い終わると強引に手を引いて、ベッドへと引っ張っていく。
普段のムウなら、こんな強引なことは絶対にしない。
混乱しているうちにベッドの端に腰を下ろさせられた。さすがにこれは不味い気がする。
「ちょっ、ちょっと待ってよ!今日のムウ、どこかおかしいわよ?」
「……おかしいですか?の方が、おかしくありませんか?」
「え、私が……?」
ムウの言うとおり、今までの行動を考えてみると、不自然な行動をしているのは私で……もしかして、ムウにこんな行動を起こさせたのも私が原因なのかもしれない。
それでも、ムウと女官との関係が気になってしまって胸の中に渦巻いている感情のことをムウ本人にとても言えなかった。
「そうです。は、私のことを避けてますよね?」
「そ、そんなことは……」
「ではなぜ、目を逸らしたり、すぐに立ち去ろうとするのですか?ほら、今も目を逸らしてますよ」
驚いてムウの方に顔を向けると、そこにはいつもの微笑はなくて、どこか冷めたような瞳がそこにあった。
もしかして嫌われたかもしれないという恐怖が沸き起こり、胸が苦しくて、辛くなってきて、熱いものが目に溢れてくる。
溢れてきたのが涙だとわかると、見せたくなくて俯く。とたんに腕を引かれて、引っ張れるように倒れこむと、暖かな何かに包まれた。
「、すみません……怖がらせるつもりはなかったのですが……もう、待てなくなったのです」
「ムウ……?」
「前に、の師匠の墓前で言ったことを覚えていますか?」
前にムウを連れて墓参りにいった時のことをうろ覚えに思い出す。
大切な師との別れを現実に突き付けられ、辛さに耐えている時、ムウはどこまでも優しく慰めてくれた。
そして巫女としてではない私自身の答えをムウは求めてきた。なのに、あの女官とのことでムウの本心が見えなくなった。
「好きって……愛してるって……。でも!だったらっ……なんでっ、あの女官とあんなことをっ……!!」
思い出してきて、涙が次から次へと溢れては零れていく。
もう自分の中の感情がぐちゃぐちゃとしてきて、どうすれば良いのかわからない。
呆れたようなため息が聞こえてきて、よけいに苛立つ。
「やはり思っていた通り、は誤解をしているのですね」
「…………誤解?」
「ええ、あの女官とはなにもありません。たまたま目にゴミが入ったので見てほしいと頼まれたので見ただけです」
目にゴミ……?言葉を理解するのに数秒かかった。
たしかにあの時は、後ろしか見えなかったから、私がかってに想像しただけで……。
「じゃあ……私の勘違い?」
「そうです」
静かな声で答えるムウの言葉を理解すると同時に、今までの行動が脳裏に走馬灯のように流れていく。
恥ずかしすぎて穴があったら入りたい……むしろ、自分で穴を掘ってでも穴に入りたくなった。
「私ったらっ……なんて勘違いをっ……っ」
「どうやら誤解が解けたようですね……」
あまりの恥ずかしさで縮こまっていると、間近からくすくすとムウの忍び笑いが聞こえる。
思わず顔を上げて睨みつけるようにムウの方を見ると、かなり近い距離でムウは優しく微笑んでいた。
抱きしめられている状態だったことを忘れていたために、不意打ちのように飛び込んだムウの微笑に心臓が高鳴る。
「覚えていますか?小さな頃の約束……」
小さな頃の約束……幸せな頃の記憶として覚えているけれど、それは本当に子供の頃の他愛もない無邪気な約束。
なんで今更そんな話をと不思議に思っていると、ムウは抱きしめていた腕を放し、代わりに左手をそっと手に取る。
「ムウ……?いったい何を……」
「たしかに私もも子供でした……ですが私は、あの時の約束を……ずっと大切な約束として覚えていました」
あまりに混乱してしまって、まさかまさかと頭の中で繰り返してしまい思考が止まる。
そしてムウは、薬指に小さな白金に輝く何かをはめた。指にはめられたものを見ると、それは指輪だった。
蔓の形をしたリングの中央に小さな花が咲いていて、それを囲むように蕾が点在している。
「……これ……花の、指輪……」
その指輪は、小さい頃にムウに見せた花の指輪にとてもよく似ていて、あの時の約束を思い出させる。
聖闘士になる前の、まだ普通の少女だったあの日……まさかあの時の約束が果たされる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
「あの時、私はその先の言葉を言えませんでした……聖闘士である私が、必ず幸せになどできないことを知っていたからです。ですが、愛しているのは事実です……、愛しています。どうか私だけを見てください」
2度目の告白なのに、嬉しすぎて、胸が締め付けられたように苦しくて、目頭が熱くなってきて視界がにじむ。
そっと顔に手を添え上に向けられると、指で涙をぬぐわれる。視界が鮮明になり、ムウと視線が絡んだ。
穏やかな翡翠の瞳に相反するような熱が籠っていて、逸らすことができずに心臓の鼓動だけが早くなる。
「、私は本気です」
「ムウ、わた…ん、んっ」
言葉を発する前に、唇を塞がれてしまう。抵抗する気なんて、初めからなかった。
ムウの視線から無意識に逃げてしまったのも、ムウと女官を見て苛立っていたのも全て、ムウのことをいつの間にか好きになっていたからなんだと気付いたから。
でも、こんな流れに流される形ではダメで、きちんと伝えないときっと後悔してしまう気がする。
ムウの胸板を手で押し返すと、すんなりと離れて行った。
「こんなの、ダメなの……ムウ、私は……っ」
「、私は……っ。すみません、貴女を傷つける気はなかったのですが……感情が、ついてこれないのです」
どこか酷く傷ついたような顔をしているムウを見て、誤解されてしまったことに気づいた。
そんな顔は見たくなくて、否定するように必死に首を振る。
本当は、アテナに使える巫女として、こんな気持ちを持ってはいけなかったのに、自覚してはいけなかったのに……結局は、として愛してしまっている。
きっとこんな私は、巫女失格なのかもしれない。
「違っ……ムウ……っ私、も……ムウが、好きっ……愛して、るの」
驚いたように目を見開き、翡翠色の瞳を揺らしているムウに小さく微笑む。
沙織ちゃんに少しの後ろめたさを感じたけれど、1度言ってしまえば言葉が自分の中に染み入るように馴染んだ。
「…本当に、私のことを……?」
「うん、ムウのことを……愛してるの」
言い終わると同時に、また唇を塞がれる。
さっきの触れるだけの口付と違い、躊躇いがちに唇の隙間から舌先が侵入してくる。
いきなりのことに驚いたけれど、なすがままにそれを受け入れると舌を絡めとられた。
口内を刺激する初めての感覚に背筋がゾワリとして、だんだんと息がしづらくなって頭がぼうっとしてくる。
「んっ、はぁっ……はぁっ……ぁ、むう」
「っ……やっと、私だけを……。幸せすぎて、現実ではないみたいだ……これは、夢ではないですよね」
口付が終わった途端に苦しいくらいに抱きしめられて、密着した体から体温が伝わる。
幸せだけど、さすがにちょっと息苦しい。
息苦しさに離してほしくて、軽く押すとムウは気づいたらしく少しだけ離れてくれる。
「ムウ……夢なんかじゃないわ。ちゃんと、私はムウのことが好きだから……」
「ありがとう、……私を選んでくれて……愛してます」
とても愛おしいと言わんばかりの熱を瞳に宿して、優雅に微笑まれると顔に熱が籠ってきて心臓が苦しいくらいに音を立てる。
本当に幸せすぎるくらい幸せなのに、巫女であることが頭の片隅で引っかかってしまう。
ムウの指が頬を滑るように撫でると、そのまま肩まで流れて腰かけているベッドに寝かせるように、そっと沈まされる。
「でもまだ、が足りない……だからもう少し……」
「ムウ……まっ、ん……ふぅ、んっ」
気付いたらベッドの上に押し倒されていて、また深く口付られていた。
ムウから与えられるものは心地よくて、今だけは巫女であることを忘れて与えられるままに受け入れた。