□ 蜜時 □
喉が酷く乾いて、体が怠い。いつもと違ってなんだかとても暖かくて、そっと目を開けて隣を見ると誰かが寝てた。
しかもその人の腕に包まれていたので、一瞬何が起こったのか理解できなかった。
起き上がってよく見ると見知った人物で、綺麗な藤色の髪に、今は静かに瞳を閉じているけれど、普段は優美な笑みを称えている顔。
「なんで……ムウが?」
まだ覚醒しきっていない頭を無理やり回転させて思い出そうとすると、薄っすらと思い出してきた。
告白されて、それを受け入れて……恥ずかしいのに、気持ち良すぎて……ほんの少しの躊躇いと、愛しさ。
だんだんと記憶がはっきりしてくると、あまりにも恥ずかしくて手で顔を覆って耐えた。
「ぅ……ん、……?……おはようございます」
「お、おはよう……」
すごく嬉しそうに微笑むものだから、釣られて微笑んでしまう。そのとたん、腰に腕が絡んで引っ張られる。
飛び込んだ先に人肌のぬくもりを感じて、もしかして服を着ていないんじゃあということに気づいた。
「……あの、ムウ?もしかしてまだ服を着てない?」
「ええ、そうですね。いわゆる、生まれたままの姿というやつですね」
事もなげにさらりというので耳を疑ったけど、すぐに現実に引き戻される。
つまりは、裸のままベッドの中で抱き合っている状態で……。
「服っ!服をきましょう!というか、人が来たらどうするの?!」
「……見せつけましょうか?」
ずいぶんと艶を含んだ微笑に胸が高鳴って頬に熱が籠る。ふだんのムウなら、絶対にこんな笑みは見せない。
ここで大人しくすると完全にムウのペースに巻き込まれると思って、かなり焦ってしまう。
「ム、ムウ!」
「くすくす……冗談ですよ」
どこか面白そうに忍び笑いをするムウを見て、あれは冗談じゃなかった気がして顔が引きつる。
ベッドから降りて服を着ようとすると、視線を感じた。振り向くと、なぜかムウがじっと見ていた。
「えっと、ムウ?見られてると服が着れないんだけど……」
「見られる以上のことをしたのに?」
昨日の夜ことを思い出して、恥ずかしさと共にまた顔の熱が上がった。
やっぱりムウの頭の中がどうかしちゃったんじゃあ?と、疑ってしまう。
「なっ、何言ってるの!?いいから!早く後ろを向いてってば!」
「仕方ありませんね……」
ムウが後ろに振り向くのを確認すると、急いでベッドから降りて部屋に備えられているクローゼットから適当に服を選び着替える。
身支度を済ませることができて、ムウの方を見るとちゃんと後ろを向いたままだった。
「ムウ、ありがとう。もういいわよ」
「そうですか。では、私も着替えますね」
返事を返す前に、いきなりベッドから降り立った。
鍛えられ引き締まった体が見えてしまい、思わず視線を逸らして後ろに振り返ってしまった。
ムウは、それに気づいたらしく、くすくすとした小さな笑い声が聞こえたけれど無視を決め込んだ。
少しして、もうそろそろいいかなと思い声をかけようとした時、ムウはとっくに着替え終わっていて、すぐ傍まで来ていた。
「ムウ?終わったのなら、終わったって……」
「、これを……」
いきなり右手を差し出されて、思わず凝視してしまう。
ムウが差し出した右手には、小さくて繊細な鎖が星を散らしたように光を反射して銀色に輝いてる。
「これは……ネックレス?」
「ええ。指輪をつけていることは私としては嬉しいのですが、の立場上、それは許されないことでしょう……ですから、指輪をなくさないように、これに通していてください」
ムウの手にそっと左手を捕まれ、左手の薬指から指輪を外される。
外した指輪の輪に銀色の小さな鎖を通し、鎖の端を手に持つと、そのまま首元へと近づいてきた。
されるがままに大人しくしていると、首元に小さな鎖のひんやりとした感触が伝わってくる。
少ししてムウの手が離れると、ネックレスに通された指輪が胸元で輝いていた。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
確かめるように指に触れ、そっと握る。小さな気遣いがうれしくて、心が温かくなる。
そっと左の頬に手を添えられ、顔を上げると熱を帯びた瞳と目が合う。
「、愛してます」
「ムウ……私も」
目をそっと閉じると、すぐに甘く柔らかな感触を与えられる。
触れるだけの口付けから、だんだんと深みのあるものへと変わっていく。
安定感を求めるようにムウの肩に手を添えると、いつのまにか腰に回っていた手に引き寄せられた。
陶酔するように受け入れていると、扉を控えめに叩く音がして、慌ててムウの胸板を押して離れるように訴える。
「さま?起きてらっしゃいます?……さま?」
少しして扉が開くと、扉の向こうにアイネの姿が見えた。
侍女だけあって、身の回りの世話と体調管理も担っているらしく、失礼にならない程度に様子見をしているらしい。
定期的に教皇に報告の義務もあるみたいなことをチラリと言っていたのを思い出した……。
「お、おはようアイネ」
「さま!起きていらしたんですね!えっと……仲直り、されたんですね」
アイネはこちらを見たとたんに、どこか目の置き所に困ったように視線を泳がせ始めた。
普段と違って目を合わせないアイネを不思議に思っていると、ムウが口を開いた。
「はい。おかげさまで、誤解が解けました。ありがとうございました」
「え、いえ……そんな、もったいないお言葉です」
恐縮するように縮こまるアイネに、お礼を言いながら嬉しそうに微笑みかけるムウ。
まるでアイネが何かしてあげたような……というか、最初から話し合ってたみたいな雰囲気に少しだけ疑問が浮かんだ。
「2人とも……もしかして、手を組んでたとか……?」
「さまっ?!そっ、そんなことは決して……っ」
「が私から逃げようとするので、少しばかり協力を願っただけです」
ムウの一言に、思わず息をのんだ。たしかに、ムウから逃げようとしたのは事実で……。
あの時、無理やりにでも話を聞かせようとしなかったら、きっと話を聞かないまま距離を置いていたのは簡単に想像ができる。
「ご、ごめんなさい。私が早とちりをしたばかりに……2人に迷惑をかけたみたいで」
「そんなっ、滅相もございませんっ!」
「かまいません。それだけ、私のことが気になって仕方がなかったということですし……」
「えっ……あっ、」
まさにムウの言うとおりで、今考えるとあまりに恥ずかしすぎて、顔に熱が篭ってくる。
熱を帯びて赤くなっている顔を見せたくなくて、思わず反転するようにムウから背を向ける。
背後からムウのくすくすという小さな忍び笑いが聞こえてきたけれど、相手にする余裕がなかった。
「相変わらず、可愛いですね。……もっと一緒にいたいのですが、そろそろ白羊宮に帰らなければ……さすがに任務もないのに一日不在というわけにもいきませんしね」
「ムウ……12宮の一番下と上でちょっと距離があるけど、時間があれば私も白羊宮に行くから」
「……待ってますよ」
どこか嬉しそうに優美に微笑まれると、それだけで幸せな気持ちになれる。
ムウがさりげに近づいて頬に手を添えてきても、動けずにいるとアイネの声が控えめに聞こえてきた。
アイネが居ることを思い出して、慌ててムウから少しだけ距離をとった。
「さま、あの……そろそろ、ご準備を……午前の講義が始まってしまいます」
「えっ、もうそんな時間に?大変、急いで準備しないと……」
"午前の講義"と聞いて急いで時計を見ると、9時から開始なのに、もう8時を過ぎていた。
早くしないとシオンさまが部屋に来てしまう。
なぜかちょっとした変化にすぐに気づいてしまう時があるので、なるべくいつもと変わらないよう装わないと。
もし朝食を抜いてしまって、それがばれたら……確実に、探りを入れられるかもしれない。
焦りから色々と考えていると、不意にムウの声が聞こえてきて現実に戻る。
「指輪とネックレスですが、素材にはオリハルコンと星銀砂を使用しているので、もし……万が一、……ありえないと思いますが、皹が入ったり亀裂が生じたりした時は、私に渡してください。特殊な材料ですから、修復師ではないと修復できません」
オリハルコンに星銀砂……?どこかで聞いたことのある名前に、確認するように胸元の指輪に視線を送る。
指輪は陽の光に反射していて、まるで星の煌きを宿しているかのように薄っすらと輝いている。
この輝きは初めて聖衣を装着した時の、パンドラボックスの中で完全に事故修復を済ませたかのような、あの輝きにとても近いことに気づいた。
「まさかこれ……聖衣と同じ素材とかじゃあ……」
「もちろんです。よほどのことがない限り、壊れませんよ。では、また後で……」
扉の向こうに立ち去るムウを見送りながら、存在を確認するように指輪にそっと触れる。
聖衣が損傷するくらいのダメージを受けないと壊れないということで、めちゃくちゃ丈夫なことはわかったけれど、防具と同じ素材というところで、なんともいえない複雑な心境になった。
でもこれは、心の篭った手作りなのは間違いないので、嬉しいものは嬉しい。
指輪の形に小さな頃の約束を思い出し、束の間の幸福感に浸ってしまい、横でアイネが「愛ですね」と呟いた声にも気づかなかった。