□ 行き過ぎた、戯れ。 □



 闘技場に入ると、普段はいるはずの雑兵も訓練をしているはずの見習い聖闘士も居なかった。
代わりに、いつもと同じ教皇服を纏ったシオンさまが壁に持たれながら両腕を組んで待っていて、こちらに気づくと近づいてきた。

「やっと来おったか……」
「シオンさま、おはようございます」
「やっともなにも……シオン、お主が早すぎなだけじゃろう……」

シオンさまは呆れ気味に話す童虎を何事も無かったようにながし、こちらの方に笑みを浮かべて近づいてくる。なんだか童虎が少しかわいそうに見えた。

「おはよう、。うむ、その服、似合っておるぞ」
「え、ありがとうございます」

似合うといわれても、どう見ても長袖の修行服だったので返事に困ってしまい、つい苦笑いをしてしまう。
ふと、もしかして社交辞令の挨拶かもしれないと思い、あまり気にしないことにした。
それよりも、さっきの見習い聖闘士達の方が気になって、シオンさまに直接聞いてみることにした。

「あの、他の修行中の見習い聖闘士はいないんですか?」
「ああ、少しばかり邪魔になるのでな。皆には退散してもらったのだ。なに、自分の師のところで指導をしてもらえるだろう……心配するようなことは何も無い」

シオンさまは、まるでなんでもないことのように話すけれど、話を聞いていると'修行中の見習い聖闘士を闘技場から追い出した'にしか聞こえない。
さすがに不味い気がしてシオンさまの方を見ると、ちょうどシオンさまもこちらの方を見ていたらしく、視線が合ってしまった。
不意打ちのように微笑まれてしまい、思わず視線を逸らしてしまう。

「あの……でも、これって個人で使ってるようなもんなんじゃあ……」
「ふむ……聖域で修行をしていない見習い聖闘士は、ここを使っておらぬ。つまりはだ、見習い聖闘士は元々使わなくても大丈夫ということだ。だからアテナの巫女が修行するという名目で使っても問題は無かろう」

思わず返事をするように頷いてしまったけれど、なんだか物凄く丸め込まれた気がする。
童虎が横から"ほらのう、ボケの花が咲いておるじゃろう"と呟いてきて、なぜか納得しかけた。
話が聞こえたらしいシオンさまは、童虎の方を軽く睨みつけるように視線を向けた。

「童虎、少しは静かにせぬか」
「今さらだと思うがのう。それよりも、はどうやって鍛え上げるんじゃ?」
「それか……それなら来月、海界にアテナの巫女を紹介する予定になっておる。そのため訓練の期間は、ひと月しかないのでな。それまでの間、私が鍛え上げるとしよう」

教皇自らという事に、どうしても動揺してしまう。
でもよくよく考えると、今までだってずっとシオンさまに教えてもらっていたのだから、自然の流れかもしれない。

「これはまた、思い切ったのう……」
、まずは力量を見る。小宇宙無しで、私にかかって来い」
「え、あ、はい!」

勢いで返事をしてしまったけれど、教皇であるシオンさまに攻撃をするのは少し躊躇ってしまう。
それでも言われたとおりにシオンさまに向かって勢いを付けるように駆け出し、直前で右足を横に蹴り上げた。
すんなりと避けられたので、右足を地面に着地させ重心にし、回転するように左足を振り上げた。
それもやっぱり避けられたので、そのまま背後へとステップを踏み移動する。

「反応は良いのだが……動きが遅いな」

背後に回った瞬間に肘鉄を入れようとしても、やっぱりするりと避けられる。
教皇服を着ているシオンさま動きづらいはずなのに、掴めそうで掴めないギリギリのところで避ける。
体を動かすことが久々すぎて、思っていたよりも動きが鈍くなっていることを考えても、絶対的な力の差があるのは明白だった。
それでも、せめて一撃は入れたくて必死に攻撃を繰り出していく。

「ふむ……やはり甘い」
「やっ!……?!……っ」

まさに一瞬、気づいた頃には足払いをされていて、地面へと倒れこんでいる最中だった。
反射的に受身を取るように地面に手をつけ、軽く肘を曲げて衝撃を和らげつつ、起き上がるのを試みる。
けれども影が覆いかぶさったのを視界に捉えた瞬間、押さえ込まれたらしく地面に背中から倒れこんでいた。
気がついた頃には、シオンさまが覆いかぶさっていて、しかも両腕を押さえ込まれている状態だった。
見上げることはできても、体が動かないので動こうにも身動きができない。

「えっ……ちょっ、これはっ……」
「さて……どうする?」
「どうするもなにも……」

この状態からどうすれば抜け出せるのかを必死に考える。
しっかりと押さえ込まれているせいで、腕も足も全く動かない。
力押しは、どうしても無理だと考えていると、シオンさまの忍び笑いが聞こえてきた。

「降参するか?」
「降参は、しません」

意思を伝えるように軽く睨むと、シオンさまは笑みを深くした。

「良い返事だ……」

ほぼ正面で、しかもかなりの至近距離で直視してしまって、心臓が煩いくらいに鼓動をたて、自然と顔に熱が篭ってしまう。
端整な顔立ちのせいもあるけれども、なぜか妙に艶があるのが一番の問題だった。
この状況は非常にまずいということに、今更になって気づいた。

、少しばかり顔が赤いようだが……?」
「!っ……き、気のせいです!」
「ほう……が言うのなら、気のせいなのだろうな」

楽しそうに喉を鳴らしているシオンさまを見ると、絶対に気づいてて言ってると解ってしまい、余計に恥ずかしい。 とっさに横を向くけれども、この距離では全く意味が無いのが悔しい。

の場合は、危機感を持ったほうが良いのかも知れぬな……。少し、手荒に行くか」

この状況で、いったい何を手荒くするのかと不思議に思っていると、耳元まで顔を寄せて"時間制限を設ける。早く、私をどかせてみるのだな"と呟いた。
ただでさえ吐息が耳にかかって意識が持っていかれそうになっているのに、とどめて言わんばかりに耳たぶを甘噛みされた。

「っ!!??やぁっ!ちょっ、なにをっ」

首を必死に振って振り払らおうとした時、童虎の声と同時に眩しいくらいの星の光が見えたような気がした。
次の瞬間、シオンさまに抱きしめられ短距離の瞬間移動をしていたらしく、少し離れた位置にシオンさまに抱きしめられながら立っていた。
置かれている状況がわからずに辺りを見渡すと、童虎が両腕を組みながら大げさに溜息をしていて、入り口の辺りにムウと貴鬼くんが立っていた。
ただ、ムウの方が穏やかに微笑んでいるように見えるのに、なぜか恐ろしく怖い。

「ほう……私に攻撃するとは、ずいぶんと反抗的になったものだな」
「アテナの巫女が襲われているというのに、それを放置しろと?たとえ大恩ある師であろうと、見過ごすわけにはいきません」

2人の間に流れている空気が恐ろしいくらいに怒気をはらんでいて、眺めることしかできない。
そこでなんとなく気づいた。たぶん、経緯を知らずに状況だけを見てしまったから、ムウは勘違いをしている。
ただ、2人が放つ強烈な怒気に身がすくんでしまい、動けずに状況を見守ることしかできなかった。