□ 紫の蝶 □
互いに視線を逸らさずに、今にも一戦交えそうな雰囲気を放つシオンさまとムウ。
正直に言えば、逃げたい。師弟の喧嘩に巻き込まれるのは、なんとしても避けたい。
でもシオンさまに抱きしめられているせいで、それは叶わなかった。
もしかして離してくれるかもしれないと思い、少し動いてみると抱きしめられる力を強められた。
さっきよりもシオンさまと密着しすぎて、体温が伝わってくる。そのせいで変に意識してしまい、恥ずかしくて顔が火照ってくる。
些細な変化にムウは気づいたらしく、ムウの視線が突き刺さってきて、すごく視線が痛い。
「を、離していただけませんか?」
「ほう……私に指図するか。嫌だ……と、いったらどうする?」
余裕をみせるように、シオンさまは楽しそうな笑みを浮かべる。
ただでさえ苛立っているムウには効果があったらしく、小宇宙を高め始めた。
呼応するようにシオンさまも小宇宙を高め始め、互いがいつ攻撃技を放ってもおかしくない状況になった。
やっぱり無理をしてでも止めないと、と思い始めたその時、緊迫した空気を破るように童虎の声が響いた。
「これこれ、なにをしておるんじゃ」
「老師……」
「童虎か……口を出すでない。これは私とムウの問題だ」
童虎が2人の間に割ってはいると、さすがにムウも少しは冷静さを取り戻したようで小宇宙を抑えた。
シオンさまも、それに合わせるように小宇宙を抑えた。
2人の視線を浴びても、全く動じない上に小宇宙まで抑えさせた童虎に思わず感心してしまう。
シオンさまは童虎に面白くなさそうな視線を送ると、童虎は呆れたように軽く半眼しながら視線を返した。
「シオン、おぬしも冷静になるんじゃ。元はといえば、おぬしの行き過ぎた行動のせいじゃろう?訓練だといって力量をみるのまでは良かったんじゃが、何も押し倒す必要まではなかろう……」
「あれが訓練ですか?いったい何を訓練しようとしていたのですか……。私からは襲っているようにしか見えませんでしたが」
「……追い詰められれば、必死になるかもしれぬと思ったのだ」
少しやりすぎたという自覚があるらしく、シオンさまは気まずげに視線を逸らした。
まだ完全に怒りが収まっていないらしいムウは、視線を逸らすことなくシオンさまを見つめていて、ほんの少し怖い。
「必死になるも何も、力量が違いすぎですよ。それで訓練になると本気で思っていたのですか?」
「窮鼠、猫を噛むというではないか……死に物狂いですれば、少しは反撃できるかも知れぬぞ?」
どこか楽しそうに話すシオンさまに、あれはきっと楽しんでたに違いないと確信を持ってしまった。
つまり追い詰められれば、奇跡的に攻撃があたるかもしれないと思ったと、言いたいのかも知れない。
たまたまムウと貴鬼くんが着たから止まったものの……まあ、童虎もあれ以上すると止めてくれるかもしれないけれど、正直言ってあの状態は心臓に悪すぎる。
ふと、あのまま続いていたらどうなってしまったのかと気になった。
「あの、それって……死に物狂いで反撃しないとどうなるところだったんですか?」
「うむ、そうだな…………そのまま進む……可能性が高いな」
シオンさまは考えるように口元を手で押さえると、真剣な表情で呟いた。
まさか闘技場でそんなことがあるはずがないと、きっと勢いが着いただけで、いつもの冗談の延長線だと思いたい。
本能的な冷や汗が出てくるけれど、思わず乾いた笑いで誤魔化してしまう。
「一番意気込んでいたやつが一番危険とは……シャレにならんのう……」
「一番の敵は、シオンですね」
童虎はどこか呆れたように呟いたけれど、ムウの方は苛立ちを隠す気は全く無いらしく、シオンさまの方を厳しげに見ている。
ムウのすぐ傍にいる貴鬼くんは、どうしたらいいのかわからなくて、困ったようにシオンさまとムウを交互に見ている。
なんだか貴鬼くんを巻き添えにしてしまったみたいで、少しだけ不憫に見えた。
「シオン、お主が相手をするよりも他の黄金聖闘士に相手をさせてみたらどうじゃ?ある程度、力がついてからお主が鍛え上げれば良い。今のままだと、分が悪すぎるぞ」
「そうですね、今回のようなことが今後も無いとは限りません。それにどう見ても、訓練というよりもが手のひらで転がされているだけです」
「……つまり、絶対的な力の差があるから、もう少しを強くしてから私の相手をさせろということだな……」
たしかにさっきのシオンさまとの手合わせを思い出すと、訓練というよりも遊ばれている感が強かった。
いくら最近はまともに体を動かしていなかったにしても、この差は大きすぎた。
「言い方に少し問題がある気がしますが……今のところ、そうなりますね。それに他の黄金聖闘士の動きを見るのも今後の参考になるかもしれません」
「ふむ……他の黄金聖闘士の戦い方を見るということも、必要かも知れぬな。よし、わかった。明日からは黄金聖闘士と軽くて手合わせさせるとするか」
だいぶ落ち着いたところを見ると、今ならきっと離してもらえるかもしれないと思った。
このままの状態もかなりキツイ。とくにムウの視線が突き刺さってきて、すごく居づらい。
「シオンさま、もう大丈夫ですから離してください」
「あ、ああ。わかった」
やっとシオンさまから開放されると、また捕まらないように少しだけ離れる。
前にムウに気をつけるように言われているのもあって、さすがにムウの目の前で隣に立つのは、まずい気がしたのもある。
「すっかり聞きそびれてしまったが、どうしてここにムウが居るのだ?呼んではおらぬはずだが……」
「ああ、貴鬼がに用事があったのでの部屋に行ったのですが、闘技場のほうに居ると聞いたのでこちらまで着ました」
「あ……おいら、これをお姉ちゃんにあげたくて、ムウさまに無理を言ってつれて来て貰ったんです」
おずおずと出された手のひらには、蝶をモチーフにしたブレスレットが乗っていた。
「お姉ちゃん!これ、オイラ作ったんだ!上手にできたからお姉ちゃんにあげようと思って!」
「私に?」
貴鬼くんは嬉しそうに駆け寄ってくると、ブレスレットを手渡してくれた。
手のひらに乗せられたブレスレットを見ると、細かな模様を掘り込まれた金細工に、蝶の形をした紫水晶が舞うような形で数個はめ込まれている。
輝くような金色に対して深い色合いの紫水晶が控えめな光を放っていて、とても綺麗だった。
「あら……ほんと上手に作ってあるわ。ありがとう、貴鬼くん」
「へへっ……」
お礼を言いつつ、頭を撫でていると貴鬼君は照れくさそうに笑みを浮かべる。
シオンさまが興味深げに腕輪を見ると、少し眉を寄せた。
「オリハルコンか……少しばかり、磨き上げが足りぬな。あと……そこの羽にあたる角の部分をもう少し削った方が良い。オリハルコンなら、少しばかり削っても強度に問題は無いはずだ」
「ええ、それはもう指摘済みです。ただ、もう仕上げの段階に入ってしまっていたので、次からは気をつけるということで。それに今回はオリハルコンの硬さに慣れるというのが目的ですので、目的は達成しています。問題はありません」
「そうか……。なら、私からは何も言うまい」
シオンさまは貴鬼くんに視線を移すと、じっと見つめる。
やがて何かを思いついたように両手を組むと、笑みを浮かべた。
「ちょうど良い。貴鬼、少しと手合わせをしてみぬか?」
「え……お姉ちゃんと?」
「なに、心配は要らぬ。は弱くないからな……それにこれも修行だと思えば良い。も異論は無いな?」
「え、ええ。貴鬼くんも聖闘士を目指しているなら、私もお手伝いしたいですし」
渋る貴鬼くんを、ムウがさらに言い聞かせるという形で貴鬼くんとの手合わせが始まった。
まだまだ動きが甘かったけれど、兵士以上聖闘士未満という強さだった。
最近全く体を動かさなかったせいか、シオンさまの言うとおり、貴鬼くんとの手合わせはウォーミングアップにちょうど良かった。
お昼に差し掛かった辺りで、今日の訓練の終わりを告げた。