□ 垣間見える、深淵 □
この間のムウとの出来事をちょっとしたことで思い出しては、頭の中から追い出すというのがここ最近の日課になっていた。
今日も外へと頭を冷やしに出かけて、落ち着いたら自室へと帰る。
自室に戻ろうと長い廊下を歩いている最中、角を曲がったところでちょうど二人の女官が客室から出てきた。
2人共そのまま扉をしめて、廊下の向こう側へ背を向けて歩いていく。話に夢中で周りが見えていないみたいだった。
「あのドブネズミはきちんと地下倉庫に行ったかしら?」
「さあ?でも馬鹿正直だけが取り柄だから行ったんじゃないの?」
聞くつもりが無くても、話の内容が自然と耳に入ってくる。
地下倉庫にドブネズミ?害虫駆除の話かと思って、深くは考えなかった。
「ほんと馬鹿よね、女中のくせして女官に逆らうなんて」
「だいたい目障りなのよ、どこの田舎から来たか知らないドブネズミが聖域の中をうろついてるんですもの」
「ふふっ、でもこれで聖域から逃げ出すんじゃない?」
一瞬、自分の耳を疑った。けれどもふいに、ある話を思い出した。
女官に選ばれる人たちは、たいてい身分が高く教養もある人が多く、女中の人は一般から入った人が多いと言う話を思い出した。
その中で女中から女官へと昇格する人も稀には居るから、そんな隔たりなんて気にもしなかった。
だから、焦りにも似た嫌なものが胸を過ぎて思わず女官2人に声をかける。
「貴女たち、いったい何を話しているの?」
2人同時に、飛び跳ねるようにビクリと反応すると、恐る恐る後ろを振り返えった。
驚きを隠せない顔で、こちらをじろじろと見ていたけど、すぐにハッとして頭を下げる。
「み、巫女様っ……なぜ、このようなところに……っ」
「ここは廊下よ?自室に帰るところだったの。それよりも、さっきの話はどういうこと?」
女官2人は互いに顔を見合わせると、なぜか不思議そうに首を傾げる。
そのしぐさは、あまりにも自然すぎて、さっき偶然にも話を聞かなければ誤魔化されていたのかもしれない。
「いったい何のお話でしょうか?仮に巫女様が気になるようなお話をしたといたしましても、巫女様のお耳汚しにしかなりませんわ」
「そうですわ。巫女様は神聖な存在。そのような俗世に関わるお話は、とてもできません。わたくし達も次のお仕事が控えていますので、失礼いたします」
神聖な存在と言われて違和感を感じた。たしかに教皇さまと同じ権限はあるけれど、何かを勘違いされている気がする。
もっと詳しく話を聞こうとする前に、女官たちはそそくさと小走りで廊下の向こう側へと消えて行った。
もしかして話をはぐらかされたのかもしれないと、その時になって気づいた。
とりあえず、話の中に出てきた地下倉庫の確認に行こうと思い、地下へと目指して歩いた。
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地下倉庫を探しに地下へと降りると、さっそく一部屋ずつ調べる。
順番に調べていると1つの部屋の前で気配を感じた。その部屋の扉に耳を当てると、話し声が聞こえる。
不思議に思い、扉を開けて入ると、部屋の中は明かりをつけずに薄暗かった。
微かに光を取り入れている天窓のおかげで、部屋中に置かれている物が見える。部屋のずっと奥に数人の人影が見えた。
「あなたたち、ここで何してるの?」
「だっ、誰だっ!」
「チッ、今からって時によぉ」
「おい、ありゃー巫女じゃねぇか?」
目が慣れてくると天窓の明かりでも十分見えてくる。
3人の雑兵が何かを抑えるように床で座り込んでいて、3人ともずいぶんと人相の悪い顔で驚いたようにこちらを見ていた。
「ここは一般兵が来るところじゃないわよ?……いったいここで何を……」
その人相の悪い雑兵の足元に、天窓の明かりを受けて銀色に輝く糸の束のようなものが見えた。
まさかと思い雑兵に近づくと、3人がかりで押さえ込んでいたのはアイカテリネだった。
紺碧色の瞳からは大粒の涙が零れていて、纏まっていた髪はボロボロに崩れており、服もあちこち裂かれている。
いったいここで何をしようとしていたのかを、瞬時に理解してしまった。
「あなたたち、その子を今すぐに離しなさいっ!」
「はっ、ご冗談を……これは俺らの仕事なんでね」
「にしてもよ、間近で見るとえらい上玉だなぁ……こっちの巫女も一緒にやっちまうか?」
「ああ、どっちにしろ口封じしなきゃなんねぇしな」
さっきから何を言っているのか理解できなかった。
一般兵が巫女であり聖闘士でもある私に、手をかけようとしているなんて正気の沙汰とは思えない。
それ以前に、人の話をほとんど聞いていないようで、苛立ちを覚える。
「あなたたち、いい加減にしなさい」
「巫女さまぁ?ご自分の身をあんじたほうがいいんじゃねーかい?」
「ああ、俺らにとっちゃあ、あんたも獲物なんだぜ?」
舐めるような視線に、ゾワリと鳥肌がたった。1人がアイネを抑えたまま、残り2人が近づいてくる。
よく見ると手に鈍い光を放つ大きめのナイフを持っている。小さな声でアイネが「逃げて」と呟いたのが耳に届いた。
「自分たちが何をしようとしてるのか、わかっててしているの?」
「ったりめぇーよ。用が済んだらすぐにとんずらすっからよ、どうせバレやしねぇ」
「ってこったぁ、巫女さまよ。ちーっとばかし、大人しく俺らに従いな」
一般兵はずいぶんと品の無い笑みを浮かべると、ナイフをちらつかせながら間合いをつめるように近づいてくる。
ナイフで脅せば大人しくなると考えているのがよくわかり、少しだけおかしかった。
腕を掴もうと伸ばしてきた手を払いのけると、回し蹴りを食らわせる。
長い裾に足が絡んで威力が少しばかり弱まっていたけど、一般兵は勢いよく壁へと飛んでいく。
「っ……ぅっ」
「おっおいっ……大丈夫か?!てっ、てめぇーっ女だと思って優しくしてやったらつけあがりやがってぇ!」
「それはこっちの台詞よ。あなたたち、聖域の者ではないでしょ?」
よくよく考えたら、こんなのが聖域に仕えていたら、世も末だと思う。
だったらそれは、一般兵のふりをして侵入してきた賊と考えるのが、妥当なところだった。
仲間が蹴飛ばされて気絶したせいか、残り2人は怒りをあらわにしている。
「それがどうした?!」
「だったら、遠慮は要らないわ」
来ている服の裾が長くて足に絡まりやすいので、思いっきり裾を裂くと膝上の長さになりずいぶんと動きやすくなった。
近づくのが危ないと思ったのか、雑兵は身構えて距離をとっている。ふいに、小さな悲鳴のような声がした。
声のする方をみると、アイネが髪をわしづかみにされ、喉にナイフを当てられていた。
「アイネっ?!」
「オイ、巫女さまよぉ。こいつがどうなってもいいのかぁ?」
下手に動くとアイネが危ないと思って、動きが取れない。
一般人にはあまりしたくはなかったけれど、技を使うしかないと判断して小宇宙を高めていく。
「本当に馬鹿よね、ここまでくると呆れるわ」
「へっ、強がってるのも今のうちだぜ。これでちったぁ大人しくなるだろ。おい、やれ」
すぐ側にいたもう1人の雑兵もどきは、にたりと笑うとナイフで胸の辺りの布を切り裂いた。
同時に微かに小さな痛みが走る。ナイフで服を裂くなんて、悪趣味にもほどがあって嫌悪感が湧く。
私が動けないと思ったのか、一般兵もどきは調子に乗って腕を伸ばしてきた。
掴まれる前に、高まった小宇宙を手のひらにのせて、技を解き放つ。
「リストリクションズ・アクアプリズンっ!!」
「ひぃっ……うっ、ぎゃぁーっ」
白色を軸に水色と緑を混ぜたような光の粒子たちが渦をかき、相手を飲み込んでいき薄い膜のような小宇宙の渦を作りあげる。
完全に渦の中に閉じ込められると、酸素が渦の外へと放出されているせいで極度の酸素不足になり、閉じ込められた人間はもがき苦しむ。
「さてと、次はあなただけど……」
アイネを人質にしている一般兵もどきを見ると、息を吸い込んだような悲鳴をあげて壁へと下がった。
よほど怖かったのかアイネから手を離して、必死にナイフを振り回している。
「く、来るなぁーっ!「リストリクションズ・アクアプリズン!」」
問答無用で技を叩き込むと、さっきの一般兵もどきと同じように小宇宙の渦の中に閉じ込められる。
一応、小宇宙を調整して手加減はしてあるので、死なない。
放心状態で座り込んでいるアイネに近寄って、そっと頭を包むように抱きしめる。
「アイネ、大丈夫だった?」
「ぁ……さ、ま……わた、しっ……」
アイネの身体が小さく震え始めて、やがて顔を歪ませながら、子供のように泣きじゃくりはじめた。
戦うすべも抗うすべもなかったアイネには、よほどの恐怖だったんだろうと思い、背中を優しく撫でる。
少しして落ち着きを取り戻し始めた頃、誰かが扉を開けた。もしかして仲間でも居たのかと警戒していると、見知った顔が見えた。