□ 微かな情炎 □
心配をかけないように、必死に普段を装い過去の星座の座標の勉強をしているのに、どうしても意識が過去の師との思い出に浸ってしまう。
と名前を呼ばれて、やっとシオンさまに自室で勉強を見てもらっていたのを思い出した。
「心ここにあらず……と言ったところか……」
「え、あ……ごめんなさい」
忙しい時間の間を縫って、わざわざ来てもらっているのにと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになり自然と顔が俯く。
「ここ最近、浮かぬ顔をしておるな。、いったい何があったのだ?」
話すべきかどうか迷ったけれど、隠し通せるものでもないので話してしまおうと決めると、ちらりとシオンさまの方を見る。
シオンさまも丁度こちらを見ていたらしく、視線がぶつかった。シオンさまはまるで気遣うように柔らかに微笑んだ。
その気遣いに、嬉しさにも似た安堵感に心の中が沁みいるように満たされる。
「シオンさま……実は、私の師、バシレイオスが他界したんです」
「そうか……あやつは、旅立ったのだな」
まるで知り合いのように感慨深げに話すシオンさまを見て、もしかしてシオンさまは師匠と知り合いなのではと気づいた。
「シオンさまは私の師匠を知っているんですか?」
「ああ、よく知っておる。の母を指導してた時に、よく姿を見た。お主の母のことを慕っておった」
「師匠……もしかしたら、母のことが好きだったんですか?」
「そうかもしれぬな。……お主の母が嫁いでからは、聖域内で姿を見せることもなくなった」
普段のシオンさまと違い、どこか愁い帯びている感じがする。シオンさまの瞳の奥が、微かに揺らいだ気がした。
童虎が以前、教えてくれた話を思いだす。もしかしたら母に似ている私を見て、母の面影を見ているのもしれないと考えた。
「シオンさまも……?」
「なぜ、そう思う?」
「……シオンさまが、とても切なそうにしてるから」
シオンさまは驚いたらしく、少しだけ目を見開いた。やっぱり母との間に何かあったのかと疑ってしまう。
「童虎から、何か聞いたのか?」
「そ、それは……」
「言わなくてもわかる。あやつから聞いたのだな。まあ、仕方あるまい……童虎とは前聖戦の時からの友。親友と言っても過言ではない仲だからな」
シオンさまはにしては珍しく溜息を付くと、まるで過去を見るようにどこか遠い目をしながら話す。
「たしかに、おぬしの母は彼女にとてもよく似ていたが……本人ではない。それに過去に何人も似た人物とは出会ったが、どれも違う人間だ」
違う人間と聞いて、感違いをしていたのに気づいた。どうやら、シオンさまの思い人は母ではなく、別に居たらしい。
あまりにも自分に似ているその人に、少しだけ興味が湧いた。
「その人は?」
「ここには居ない。どこに居るのかもわからぬ……ただ、彼女は本来居るべき場所へと帰ったとしか。わかるのは、それだけだ……もしかしたら、彼女は……」
言葉の先は、発せられることは無かった。ふいにシオンさまを見ると、端正な顔を微かに歪めていた。
その僅かな表情からは、感情を押し殺し何かに耐えているような、苦しげとも切なげとも言えるような、そんなものを感じ取った。
「シオンさまは、その人のことをとても愛しているんですね」
「ああ……そうだな。どうしても欲しいと、心が酷く惹かれるのだ」
シオンさまの手が頬へと伸び、輪郭を撫でるようにすべる。
驚いて視線を上げると、思ったよりも近い距離にシオンさまの顔があった。
「もしかしたら、……おぬしは」
その紅い瞳の奥に、情熱という名の炎が見えるような錯覚に陥る。その視線から逃れられずに、身体が固まる。
頭の奥底で警鐘が鳴り響いて、逃げなければいけないと本能が告げるのに、シオンさまとの間に出来た雰囲気に、どうすることもできない。
「あの時の、」
言葉を遮るように扉を軽く叩く音が響いた。その音が怪しげな空気を変え、シオンさまとの間にあった緊張が解かれる。
慌てて返事をすると、すぐに扉が開いて沙織ちゃんが入ってきた。急いでシオンさまから距離を取るように沙織ちゃんに駆け寄る。
「沙織ちゃん!どうかしたの?」
「ええ、旅行の日程のお話をと思いまして……シオン、もしかして、まだ説明は済んでいないのですか?」
「まだです、アテナ。今日の勉強の範囲を終わらせてから、話そうと考えておりましたので」
不思議に二人を見ていると、ふいに沙織ちゃんと視線が合った。
それに合わせるようにシオンさまもこちらを見てくる。
「この間、ムウとおでかけした日のことを覚えていますか?あの日、おでかけしましょうねと約束しましたよね」
「、余も忘れておらぬぞ。その日の約束の為に教皇の仕事を前倒しでがんばったのだからな」
最近のシオンさまと沙織ちゃんが忙しく動き回っていた原因が、あの時のことだったんだと気づいた。
しかもそれが自分のためだとわかると、なんだか心の奥底が暖かくなる。
「旅行って、どこに?」
「ええ、それがですね。わたしとシオンとで意見が分かれてしまって……それで、どちらにするかお姉さまに決めてもらうことになったのです」
「それでだ、。ジャミールと日本の京都。どちらが良いか?」
「もちろん日本ですわよね?お姉さま」
「ここは自然溢れるジャミールに決まっておろう?」
二人とも笑顔だったが、その笑顔にはすごく怖い何かがあった。
結局どちらを選べばいいのか悩んでいると、二人揃って顔を見合わせた。
「、無理に決める必要はないのだぞ?」
「そうですよ、お姉さま。これはわたしたちの、わがままみたいなものですもの。決まったら、教えてくださいね」
沙織ちゃんは少しだけ困ったように微笑むと、すぐに何かを思い出したように笑顔になった。
「そうでしたわ、とても美味しいケーキと紅茶が手に入りましたの。もしよろしければ、気分転換にお茶会をしません?」
「アテナのおすすめだ。きっと美味しいぞ、」
「え、ええ。いただきます」
沙織ちゃんが手を叩くと、待機していたらしい女中が3人ほど部屋に入り、あっという間にセッティングを進めていく。
必要なものがセッティングし終わると、三人でゆったりとお茶会を楽しんだ。