□ 変わりゆくもの □



目が覚めると、知らない天井が視界にはいった。
ゆっくりと身体を起こして、あたりを見回るとそこは知らない部屋だった。

「ここは……どこ?」

窓から入ってくる夕日の光が、部屋をオレンジ色に染めている。
ぼんやりとする頭で夕方だと認識すると、なんでここに居るのか考えるけれども思い出せない。
急に扉が開いたので振り向くと、ムウが入ってきた。

「ああ、目が覚めたんですね。大丈夫ですか?」
「ムウ……ここは、どこ?」
「ここは白羊宮ですよ。貴方の住んでいる教皇宮に連れて帰ると、周りが驚きます。ですから、ここに運びました」

ムウはまた部屋から出て行くと、少しして何か飲み物らしきものを持ってきた。

「まだ、少し混乱しているようですね。これをどうぞ。温かい飲み物ですから、少しは落ち着くと思います」
「え、あ……ありがとう」

コップを受け取ると、中身はホットミルクだった。
一口飲むと、柔らかい口あたりにほんのりした甘さと暖かさが身体に沁みる。

「ムウ……ごめんね、迷惑かけて」
「そんなこと気にしなくて良いんですよ。私は、迷惑なんて思ってませんから」

安心させるように穏やかに微笑むムウに、胸が苦しくなった。
今思えば、ムウには色々と迷惑をかけたのにムウは嫌な顔ひとつせずに、いつも側にいてくれた気がする。
再開してからすぐに大嫌いと言って、冷たい態度で居たのに、それでもずっと優しかった。

「今更かもしれないけど……ムウのこと、大嫌いって言ってごめんなさい」

なぜかムウに視線を合わせるのが恥かしくて、コップの中に入っているホットミルクを眺める。
でも今言わないと、ずっとこの先、言えないままになってしまう。

「本当はわかってたの……シオンさまが、居なくなってしまった時は、ムウは子供で……どうすることもできないって……母でさえ無理だったのに」
……」

戻ることのない、両親が生きていた頃の幸福だった日々を思い出すと、目が潤み、視界が揺らぐ。
もうずいぶんと昔の話で、今となってはただの過去の話だとわかっている。ただ、色々な不幸が積み重なった出来事だと。

「でもね、なんでかな……あの時、誰も居ない白羊宮を訪ねたときに、ムウに裏切られたような、そんな気持ちになってしまって……」
……私は、」

ムウから、いつもの柔らかな微笑みは消え、その翡翠のような瞳に真剣さを宿していた。
あまりにも真剣で、いつもと様子が違うムウに動けなくなる。

「ムウ!ムウはどこに居るのだ!?」

白羊宮に響き渡っているんじゃないのかと思えるくらいの大きな声が聞こえてきた。
その声に、ムウとの間にできた緊張感が消える。

「あの声、シオンさま……?」
「はあ……まったく、あの方もタイミングが悪いですね」

ムウはいつものように柔らかい微笑みたたえながら「少し待っていてくださいね」と言い残し、部屋から出て行った。
少しして部屋の扉が勢いよく開くと、シオンさまが入ってきた。

っ!大丈夫か?なかなか帰らぬので心配したぞ!シャカがムウと出かけたと教えてくれたのでな。ここまで来たのだが……」
「シオンさま……私は大丈夫です。心配かけて、ごめんなさい。私、いつもシオンさまに心配ばかりかけてますね」
「そんなことは気にするでない。私が心配性なだけかもしれぬしな」

シオンさまにしては珍しく、少し困ったように微笑んだ。
その微笑に微笑んで返すと、このままここに居ても仕方ないので、教皇宮に帰ろうと思い、ゆっくりとベッドから降り立ち上がる。
ずっと寝ていたせいか少し身体がぐらつく。すぐに背中に手が回り、膝下にも手をかけられて横抱きに抱きかかえられる。
驚いて見上げると、シオンさまの顔が頭上にあって、一瞬だけ頭が真っ白に固まる。

「シオンさま?!だ、大丈夫ですから下ろしてください!」
「ならぬ。まだ本調子ではなかろう?」

あまりにも近すぎる距離に、顔に熱がこもり、胸が自然と高鳴る。
膝や背中に回った腕、身体に触れているいたる所から、シオンさまの暖かな体温を感じてしまい、余計に羞恥心を覚える。
なんとかこの状況を打開しようと必死に頭を働かせるが、上手く回らない。

「で、でもっ……」
「気にするでない」
「そうですよ、お姉さま。教皇宮まではとても遠いのですから、無理をしてはいけません」

とても聞き覚えのある澄んだ声が聞こえて、振り向くと扉のところに沙織ちゃんが立っていた。
沙織ちゃんはそのまま、自然にこちらへと近づいてくる。

「沙織ちゃん?!なんでここに?」
「わたしも心配になって、こちらまで足を運んでしまいました。お体は大丈夫ですか?」
「う、うん。私は大丈夫だから……下ろしてもらえると、ありがたいんだけど」

恐る恐る沙織ちゃんに頼んでみると、それはとても良い笑顔の沙織ちゃんが居た。

「それは、できません。諦めてください」
「アテナもこう言っておる。諦めるのだな、

シオンさまはさっきと打って変わって、どことなく楽しそうな笑顔を浮かべている。
なぜか意気投合している沙織ちゃんとシオンさまをみて、これはどうにもならないと悟った。
ふいに視線を感じて視線の方を向くと、さっき部屋から出て行ったムウが居た。
なぜかいつもの微笑みがなくて違和感を感じたけれど、視線が合うといつもの微笑みを浮かべた。

、ゆっくりと休んでください」
「ムウ……今日は、その……ありがとう」

今まで冷たく接していたせいか、ムウにお礼を言うだけで、なんとなく照れてしまう。
目線を合わせることができなくて、そっぽを向いてしまった。
その後すぐに、そのままシオンさまに抱きかかえられたまま12宮突破という、とても恥ずかしい経験をしながら教皇宮へと帰っていった。