□ 交差する想い □
地下から自室に帰ってくると、アイネが淹れてくれた紅茶に口をつける。
ダージリンの深みのある香りを堪能すると、心が安らぐように落ち着いた。
紅茶を運んできたトレーを抱えてるアイネを視界の端で捉えると、ふいにさっきの出来事を思い出した。
「アイネは、思ったよりも強いのね」
すぐ側にいたアイネは驚いたように何度か目を瞬かせると、少し俯いて首を左右に振った。
俯いたアイネの瞳には、薄っすらと涙の膜が見える。
今にも泣きそうで、もしかして言ってはいけないことを話したのかもしれないと、少し焦る。
「わ、私……強くなんてありませんっ。本当は、あの事を思い出すだけでも怖いです……教皇さまがいらした時も、怖くて怖くて仕方ありませんでした……っ。でも、思ったんです……もし、ここで不甲斐無いところを見せたら、さまの侍女から外されるかもしれないって……っ」
だからアイネは、シオンさまが来たとたん人が変わったように気丈に振舞っていたのだと今更になって気づいた。
そして同時に、地下室での出来事を思い出して、やっぱり強い子なのかもしれないとも思った。
「そうだったとしてもね、やっぱりアイネは強いと思うわ。私が地下の部屋に駆けつけた時に、アイネは自分よりも私を優先していたでしょう?」
「あ、あれは……っ、さままで襲われてしまったらと、無我夢中で……っ」
よっぽど戸惑っているらしいアイネは、俯きながら視線を泳がせている。
その様子を見ていて、アイネの中で足りないのは、たぶん自信なんだと思った。
何をどうすればここまで自信が無くなるのか不思議に思ったけれど、さすがにそれは聞けなかった。
「本当に弱かったら……頭では解っていても行動はできないもの。アイネは、怖くても……ちゃんと動いた。それがどんな理由にしろ、変わらない真実じゃないの?」
アイネは頭を上げると、驚いたように目を見開いて呆然と呟いた。
「……そんな考え方も、あるんですね。やっぱりさまは……とても素敵な方です」
「アイネ……そんな、大げさよ」
「おおげさなんかではありません!本当に素敵なんです!」
必死に訴えてくるアイネになんて言えばいいのか解らなくて、苦笑してしまう。
とりあえず、誉められているのだからと思い"ありがとう、アイネ"と告げるとアイネは嬉しそうに微笑んだ。
ちらりと時計を見ると、もう1時間近く経っている。そろそろ行かないとシオンさまが心配するかもしれない。
「そろそろ教皇の間に行きましょうか。あまり遅いとシオンさまが心配するかもしれないし」
「は、はい!」
アイネを連れて部屋から出ると、教皇の間へと向かう。
教皇の間へと続く廊下まで来たとき、誰かが扉を開けて教皇宮へと入ってきた。
しっとりとした艶のある藤色の長い髪を見たとたん、ムウだと気づいて神殿の柱に回りこんで隠れる。
「さま……?」
「ごめん、アイネ」
少し戸惑っていたアイネも同じように一緒の柱の後ろに回りこんだ。
気配を消して、そっと柱から覗きこんでいると女官らしき人がムウに近づいた。
高く結い上げられた金褐色の髪は、少し前にシオンさまに紹介された女官のものと同じだった。
「あれは……カサンドラさまとムウさま?」
「なんで……」
女官や女中の人たちが聖闘士たちと話しをすることは珍しくはないけれど、距離が近すぎる気がする。
こちらからだと、ムウの後姿しか見えなくて、2人の会話までは聞こえない。
ふいにムウが屈みこんだ。その近すぎる距離で、いったい何をしているのか考えたくも無かった。
なんで、どうして、という思いと同時に苛立ちにも似た感情が胸の中を支配していく。
ただ、それ以上見たくなくて、足音を立てないように神経を使いながらその場を去った。
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部屋へと戻る最中、このどうしようもない感情をどうやって押さえ込もうかと必死だった。
ムウはたしかに、愛してるって言ったのに、ずっと見ていたって……だったら、あれは何?
胸の中がもやもやとして、苛立ちにも似た面白くないという感情が胸の中に広がっていく。
足早に曲がり角を曲がろうとした時に誰かとぶつかった。勢いがついていたせいで、思いっきり床へと腰を打ちつけた。
「まったく……そそっかしいな、君は」
「シャ、シャカ……ごめんなさい、ちゃんと前を確認してなかったの」
「さま?!大丈夫ですか!?っ……シャカさまっ」
追いついたアイネはシャカに気づいたらしく、戸惑って何度もシャカとこちらを交互に見る。
シャカは全く気にせずにいつもどおり憮然と立っていて、アイネとは対照的だった。
なんだかそれがおかしくて、くすりと笑ってしまう。
床に座ってても仕方ないので、立ち上がろうとすると腰に痛みが走って立ち上がれなかった。
「む、もしや腰でも痛めたのかね?」
「あ、あはは……きちんと受身が取れなかったみたい」
無理に動くと鋭い痛みが走った。その痛みを誤魔化すように軽く腰を擦る。
前にも雨降りの階段で転ぶというドジをしたことを思い出して、自分で自分が情けない。
気分の落ち込みで俯いていると、何かを勘違いしたらしいシャカの声が聞こえてきた。
「ふむ、仕方あるまい」
「え……何が?」
どんどんと近づいてくるシャカを呆然と見ていると、横抱きに抱えあげられた。
ひんやりとした聖衣の冷たさと、間近にある整った顔に息を呑んだけれど、すぐに恥ずかしさでそれどころではなくなる。
「ちょっ、ちょっとシャカ?!」
「少しは大人しくしたまえ。は、歩けないのだろう?このシャカが部屋まで運んでやろう」
「え……でも、部屋まではすぐそこよ?そこまでなら、なんとか1人で歩けるわよ」
「君は自分で立てなかっただろう?それに部屋まではすぐそこと言うのならば、その短い距離の間ぐらい大人しく私に運ばれていたまえ」
シャカは返事も聞かずに、部屋のある方向へと歩いていく。
意思表示のように腕を掴んで軽く揺らしてみても、シャカには全く効果がない。
部屋までは本当にすぐそこだったので、少しの間の我慢だと思って諦めた。
「わかったわ、大人しくしてればいいんでしょ?」
「ふむ、やっと諦めたか」
「シャカ……実は、最初から私の言うことなんて聞く気がなかったんでしょう?」
返事の代わりにフッと微笑むシャカを見て、やっぱり聞く気がなかったんだと確信した。
それがあまりにもシャカらしくて、どこか諦めにも似た仕方ないという思いで肩の力が一気に抜いた。
「本当に、シャカはシャカよね……」
「何をおかしなことを……は、相変わらず面白いことを言う」
そのまま大人しくしていると、急にシャカが足を止めた。
不思議に思っていると、どうも誰かがこちらに近づいているらしく、少し遠くから足音が聞こえる。
シャカがゆっくりと振り返ると、自然と一緒に同じ方向を見てしまう。
さっき見たばかりの見覚えのある姿を見た瞬間、緊張が走り体がこわばった。
「シャカと、?……に何かあったのですか?」
心配そうに語りかけてくるムウを見ていると、さっき見た光景が頭の中で再現される。
女官と2人で何かしていた光景なんて思い出したくないのに、どうしても思い出してしまう。
ムウを見ていられなくて、そっぽを向くようにムウから視線を逸らす。
「ムウか……少しばかり、が腰を痛めてしまったのでな。見ての通り、部屋まで運ぶところだ」
「なぜ、腰を?」
まさかムウと女官の話している現場を見ていられなくて、逃げ帰ったらシャカにぶつかったなんて言えるわけがない。
それでもムウのもっともな疑問に答えないといけない、視線を合わせることなく口を開いた。
「私が余所見をして歩いてて、シャカにぶつかったの」
「それで腰をぶつけたと……。なら私が、治療をしましょうか?」
「えっ……ムウが?」
ムウに治療されるということは、このままシャカからムウに引き渡されて、部屋に連れて行かれるということを意味している。
それだけは絶対に避けたくて、どうしようかと悩んで思わずシャカの腕を強く握ってしまった。
シャカは何かに気づいたらしく、抱き上げている腕の力を強めてくる。
「なに、このシャカが責任を持ってを治療するので心配は要らぬ」
「シャカ……。ごめん、ムウ。シャカが治してくれるって」
「……そうですか」
ムウが何かを言い出す前に、シャカは何事もなかったように、また部屋のある方へと進んでいく。
それがありがたくて、シャカに小声で"ありがとう"と言うと、シャカは気にするなといわんばかりに笑みを浮かべた。
なんだかシャカらしくて、思わず笑みが浮かんでくると”ふむ。やはり君は、笑っているほうが似合う”とシャカに言われ、気恥ずかしくなってしまい視線を逸らしてしまった。
そして自分の今の状態がシャカに抱きかかえられている状態だと変に認識してしまい、余計に恥ずかしくって部屋までの短い距離を無言を通した。