□ 郷愁の味 □



一番近い場所として、なぜか処女宮の居間で3人テーブルを囲って座ることになった。
シャカらしい質素な部屋は、無駄な物がほとんどなく、木製で出来たテーブルと椅子と棚くらいだった。
案内されるままに椅子に座ると、アップルパイが入っている箱をテーブルの上に置く。

「ふむ、皿と切り分ける物が必要か……少し待ちたまえ」
「ごめん、シャカ。飲み物もあるとありがたいんだけど……」
「この私に、お茶を入れろと言うのかね?」

無言のプレッシャーをシャカから受けてしまい、固まってしまう。
よく考えれば、天上天下唯我独尊を表したようなシャカにお茶汲みは不味かったのかもしれないと気づく。
耐え切れなくなり自分から立ち上がろうとした時、シャカが先に動いた。

「仕方あるまい、今回だけは特別に私が入れよう。アップルパイなら、甘いのだから水でよかろう」
「え、あ……ありがとう」

飲み物を取りに立ち去っていくシャカを呆然と見る。
彼にしては珍しすぎる行動に驚きを隠せずに、隣に居たムウに小声で話しかけた。

「ねえ、ムウ。シャカっていったいどうしちゃったのかしら?」
「気の迷いでも生じたのでしょう。あまり気にしないほうがいいですよ」
「気の迷いねぇ……あのシャカに限ってありえないと思うんだけど……」

どうも納得がいかずに一人で考え込んでいると、すぐにシャカが戻ってきた。
シャカは持ってきた大皿と人数分の小皿とフォークとナイフをテーブルの上に置いて席に座る。
全員が座ったところで箱を開けると、綺麗に焼きあがっているアップルパイが姿を現した。

「これ、誰が切るの?」
「もともとはが貰ったものだ。が切り分けたらいいのではないのかね?」
「そうですね、私もそれでいいと思います」
「私がするの?別にいいけど……均等にならなくて文句言わないでね」

アップルパイをそっと取り出すと、大皿に入れて切り分ける。切り分けたものをそれぞれの小皿に移していく。
小皿をそれぞれのところに配り終えると、自分の席に座った。
手を合わせて頂きますをしてから、フォークでアップルパイを一口サイズに切り、口の中に放り込む。
とたんに、なぜかとても懐かしい味が口の中に広がった。

、味の方はどうですか?」

ムウの話しなんて、全く耳に入らないほどの衝撃で、あまりの懐かしさに、目が潤んでくる。
この味は、とてもよく知っている。小さい頃に、母が得意として作っていたアップルパイの味と全く同じ味だった。

「なんで……っ」
?!どうしたのですか?もしかして苦手な味だったのですか?」
「違う…違うの……っ」

ムウは珍しく焦っているようで、真剣な顔で見つめてくる。
シャカはシャカで何かを見極めるように静かに顔だけを向けている。

「ムウ……これ本当にムウが作ったの?」
「そうですが……何かおかしな味でもしましたか?」

すぐに返事を返すことが出来ず、代わりに首を横に振る。
おかしな味なんてとんでもなく、ただただ懐かしすぎただけ。

「母の味と、同じなの。だから、懐かしくて……でも、なんでムウが母と同じ味を……」
「そのアップルパイのレシピは……シオンの書庫を掃除しているときに、本の間に挟まっていたのをシオンの許可を得て、頂いたのです。まさか、の母のレシピだったとは」
「そういえば……母は、シオンさまの弟子だったっけ……それで、シオンさまのところにあったのね」

あまりにも懐かしい母の味と若かった母が残した物に、郷愁にも似た切ない気分になる。
一人で気分に浸っていると、聖闘士という言葉に反応したシャカがに話しかけてきた。

の母も聖闘士だったのかね?しかも教皇の弟子とは」
「え、あ、シャカは知らないのね。母は、たしかにシオンさまの弟子で聖闘士だったけど、結婚して家庭に入ったの」
「なるほど……では、父も聖闘士だったのかね?」
「父?父は普通の旅行者よ?母とギリシャで知り合って、熱愛の果てに結婚まで押し切ったってきいたわ」

小さい頃に母がよく話していた父と母の出会い。今になって、それは凄いことだと理解できる。
ムウもシャカもとても興味があるらしく、二人揃って興味深げに聞いてくる。

「女聖闘士が一般の方とですか?」
「珍しい組み合わせとしか言いようが無い」
「まあ、生きている世界が違うから珍しいけど……なんでも、ギリシャで迷ってる時に母が親切にしたのがきっかけとか。それで話してみたら母が日本人で、そこでまた話が盛り上がって、そのまま父が熱烈アピールしたんですって」
「それにしても、よくシオンが許しましたね。の母は、黄金聖闘士の素質があったと以前シオンが漏らしてましたから、それを手放すとは……」
「本当になんでかしら?二人とも凄く幸せそうだったから、あまり深く考えたことは無かったわ」

幼い頃の記憶の中の両親はいつも幸せそうで、いつか私もって憧れていたことを思いだす。
あの時は、父も母も居ることがあたりまえで、二人とも消えてしまうなんて思いもせずに無邪気に過ごしていた。

「そういえば、私……小さい頃の夢って……」
「母様みたいな花嫁さんになりたいって、言ってましたよね?」
が、花嫁にと?」

ムウの一言に、ピシリと固まる。なぜそのことを知っているのか問いただす前に、凄く思い出したくない記憶として、思い出した。
たしか小さい頃、母に連れられてシオンさまに会いに来たときに、ムウの所に遊びに行って、凄く馬鹿な事を口走った。
今思い返しても、なぜあんな早まったことを言ってしまったのか、小さい頃の自分に叱咤したい。
それ以前にあまりの恥ずかしさで、顔に熱が篭る。ムウを思い切りにらめ付け、必死に否定する。

「そんなの小さい頃の話よ!子供の戯言だわ!今は違うから!信じちゃダメよシャカ!」

ムウはムウで最初はきょとんとしていたのに、なぜか小さく笑い始めた。なんだか馬鹿にされた気分になる。
シャカの方を振り返ると、シャカは不思議そうに顔を傾けると口を開く。

「私はとくに気にしないが……何もそこまでむきになる必要もあるまい」
「それもそうだけど……」

シャカに言われて、なんで自分がこんなにも焦ったのか不思議に思い、一気に落ち着いてきた。
出された水を飲んで、アップルパイに手を伸ばす。やっぱり母の味は、とても懐かしく美味しかった。
作ったのがムウというのは、少し癪だったけど、美味しいものは美味しい。

「そういえば、。教皇宮から降りてきたということは、何か用事でもあったのですか?」
「ああ、そうだったわ。私ね、いったん師匠の所に顔を出そうかと思って降りてきたの」

ムウに聞かれて、今頃になって最初の目的を思い出した。
うっかり12宮で食べてばっかりで、このまま一日を潰すところだった。

「そういえば、はいったいどこに師事していたのですか?」
「私の師匠?時計座ホロロギウムのバシレイオスさまだけど」

ムウは考えるように少し目を伏せると、首を傾げた。

「聞いたことの無い名前ですね」
「まあ、あまり目立つタイプの人でもないし。それに小宇宙で補っていたといえ、身体が弱いというか……心臓に病を持ってたから、あまり戦いたくなかったみたい」

ムウとシャカにしては珍しく、驚きを隠せないようすで話を聞いていた。
確かに普通の考えだと、病持ちの聖闘士なのに弟子を取ることが凄いかもしれない。
けれど、なぜか気合と根気で育てきったのだから不思議だ。

「その状態で弟子を育て上げるとは……。なかなか見所のある人物ですね。私も一緒に行ってもいいですか?」
「別に良いけど……修復の仕事は終わったの?」
「ええ、もちろん。区切りの良い所で終わらせていますから」

とても綺麗な笑顔で返事をするムウは、着いて来る気満々だった。
どちらにしろ、誰か付き添いを連れて行かないとシオンさまや沙織ちゃんに心配をかけてしまう。
小さく溜息を零すと、「解ったわ」とだけ返事を返してシャカの方に顔を向けた。

「ごめんね、シャカ。私そろそろ行くわね」
「そうか。なら、私もそこまで送ろう」

あのシャカが見送るということに、驚いて動きが止まってしまった。
横でムウが不思議そうに名前を呼んでくるので、正気に戻ったけれど……思わず今日のシャカは、どこか変だと思ってしまった。
そのまま処女宮の入り口まで、軽く雑談しながら三人で歩いた。

。また、沙羅双樹の苑に来るといい」
「ありがとう!ぜひとも寄らせてもらうわ!」

珍しく微笑みを浮かべるシャカに、笑顔で答えるとムウを連れて処女宮を後にする。
次の神殿の獅子宮を目指してムウと一緒に下へと降りていった。