□ 女神の指示 □
アテナの前に私服姿の黄金聖闘士が全員そろうと、シオンさまは場に控えていた女官と女中の全員に、教皇の間から出ていくように指示を出した。
最後の女中が部屋から退出するのを確認すると、微かに虹色の薄い膜が部屋を包むように現れた。
それを合図にするように、いつのまにかニケを持った沙織ちゃんが玉座から立ち上がった。
「みなさんに集まって頂いたのは、他でもありません。巫女に関してのことです」
沙織ちゃんの涼やかな声が場に強く響くと、黄金聖闘士の全員の視線がこちらに向けられる。
全員の視線に耐え切れずに、思わず視線を下へ向けてしまう。
「聖域内に暴漢が侵入したことに始まり、書類の偽造に、備品の不正な流出……」
ふとサガを見ると、心当たりがあるせいか、申し訳なさそうに視線を落としていた。
「巫女の影響ではなく、おそらく前々からあったこと……それが、巫女という存在をきっかけに噴出してしまったのでしょう」
神話の時代からある聖域に、いつの頃から蓄積されていたんだろうと、つい考えてしまう。
まるで衣服についたシミみたいに、黒い色がゆっくりと広がっていって……気がついた頃には、もう……。
物思いに耽っていると、ふいにサガの声が聞こえてきて現実に引き戻された。
「アテナ、それは内部の犯行ということで間違いないのでしょうか?」
「ええ。みなさんも噂として色々な話を耳にしていると思いますが……」
沙織ちゃんの言葉に覚えがあるらしくて、全員が気まずそうに俯いたり視線を逸らしたりしている。
「聖戦が終わり、平和になったとはいえ、……誰しも人は善悪の感情を持っています。その悪の部分が強く出てしまったのでしょう」
サガの乱を思い出したように、沙織ちゃんは悲しげに少し目を伏せた。
少ししてニケを握りなおすと、何かを決意するように目を開いた。
「ですが誰かが止めなければなりません。悪というものが、大きく育つ前に……」
沙織ちゃんの声が静かに響き終わると、場の静寂を破るようにシオンさまが口を開いた。
「そのためには、根源を探し出さなければ……」
シオンさまの言葉に、サガが不思議そうに顔を上げた。
「探し出すとおっしゃいますが、いったいどうするおつもりですか……」
「何か、動きがあれば……掴めるはずだ」
「それに関しては、少し考えがあります……」
「アテナ、それはいったい……」
サガはシオンさまから沙織ちゃんの方に視線を移すと、静かに沙織ちゃんの言葉を待っている。
沙織ちゃんは、少しためらいながら言葉を切り出した。
「……内部ということは解っています。おそらく女官か女中でしょう」
沙織ちゃんの言葉に、サガよりも先にカミュが反応した。
カミュにしては珍しくて、思わずカミュの方を見てしまう。
「アテナ。そこまで解っているのなら、なぜ全員から聞き込みをしないのですか?」
「事は簡単ではない。そもそも全員とは限らんしな、それに馬鹿正直に話す者がいると思えん」
まさにそのとおりで、全員が息を飲み込むように黙り込んでしまった。
少しの間が空いた後、ミロが苛立ったように口を開いた。
「巫女という存在が気に食わないのならば、はっきりと言えばいいものを……」
「そういうな、ミロ。彼女達にも色々と思うところがあるのだろう」
聖域に使えている女官や女中の全員が同じように思っているわけじゃないみたいだから、カミュの言うとおり色々と複雑なんだろうとは思う。
でもミロからしてみれば、やっぱり面白くないみたいで、顔をしかめた。
「だがカミュ、俺はそういうのは好かん」
「わかっている。そう思っているのは、ミロだけではない」
カミュの言葉に、ミロはそれ以上なにも言わなかった。
ミロの代わりにカミュが、話を進めようと沙織ちゃんに声をかけた。
「それでアテナ、いったいどうやって動きを作るのですか?」
「ええ、どうも侍女長がシオンに好意を抱いているようなのです」
「好意?いつまに……」
いつも口癖のようにクールクールと言っていたカミュも、さすがに驚いてそれ以上は何も言わなかった。
「そのことで侍女に聞いてみたんだけど……どうも噂の発端に、シオンさまが侍女長を抱きかかえて部屋に入っていったっていう話があったらしくて……」
「なっ……」
驚きのあまりに、シオンさまは言葉が出てこないみたいだった。
その間に教皇の間に、ざわつきが広がっていった。
動揺するシオンさまを見て、まさかと思いながら、つい怪しんでしまう。
「その時に女官長が顔を真っ赤にしていたという話もあって…」
「待て!私は決してそのようなことはっ」
余計に慌ててしまうシオンさまをよそに、なぜか口笛が聞こえてきた。
音の聞こえる方を見ると、デスマスクが腕組を頭にして天井を見てた。
「教皇もやるよなぁ」
「デスマスク、あまり言うものじゃない。教皇も男だから仕方ないのだろう」
「ははっ、そりゃ違いねぇーや」
アフロディーテの言葉にデスマスクが笑っていたけど、すぐにアイオロスに鋭い視線が向けられて黙った。
「2人ともアテナの御前だ、口を慎め」
「へいへい」
「すまない、アイオロス。私としたことがデスマスクにつられてしまい……」
まったく反省してなさそうなデスマスクと違い、アフロディーテはアイオロスに謝っていた。
アイオロスもそれ以上は2人に何も言わず、そのまま場を収めた。
ずっと黙ってしまっていたシオンさまは、何か思い出したらしく突然「そうだ!」と呟いた。
「思い出したぞ……たしか、教皇に復職した際に、あまりにも多忙だったのを見かねて女官長が仕事の手伝いをしてくれたことがある」
そういえば、当時が一番忙しかったと言っていたのを思い出した。
まさか、過労で女官長が倒れたんじゃあ……だとしたら、シオンさまを疑ってしまって、少し悪いことをしたような気分になる。
「その時に、女官長が過労で倒れた。さすがに目の前で倒れられたのでな、部屋まで運んだ」
「さすが教皇」
なぜか感心しているサガを視界にいれつつ、シオンさまを疑ってしまったことに、少し申し訳ない気持ちになる。
「ふふふっ……誤解も解けたようですね。では、これからのことですが……女官や女中の反応を伺うために、お姉さまとシオンには仲睦まじく過ごしていただこうかと……」
沙織ちゃんの言葉に、その場にいる全員からすごい反応があって、"ちょっ"とか"ありえねー"とか"おい"とか"それはいいのか?"とか色々と聞こえてきた。
反応に困って、曖昧に苦笑いしていると、なんだか誰かが見ている気がして気になる方を見ると、サガと視線が合った。
サガは、よほど驚いているらしくてこちらの方を呆然と見ていたみたいだった。
「どうかしたの?」
「……は、かまわないのか……その、教皇と噂になる可能性もある」
サガの言うとおり噂になることは解るけど、このまま放っておいても良い状況じゃない。
それに恋人のフリをするわけじゃないから、そこまで酷くはないはず。
「なるかもしれないけど、別に恋人のフリをしろってわけじゃないから……そこまで酷い噂は流れないと思うの」
「そうか……がそう言うのなら」
サガは眉間に皺を寄せていて、すごく納得がいかないという顔をしている。
ほかの黄金聖闘士も、何か言いそうで何も言ってこないけど、ふとムウを見てみると呆れたような溜息を吐いているのが見えた。
童虎なんて、なぜか目を合わせないように視線を泳がしているし、シャカは相変わらず静かだった。
「お姉さま。約束どおりに黄金聖闘士全員に説明をしましたので、これで良いですね」
「う、うん……私からは、何も」
たしかに全員に説明してもらったらから、これで変な誤解をされることはないと思う。
沙織ちゃんは返事に満足したらしく、にこやかな笑みを浮かべて、数回ほど手を叩いて鳴らした。
すると黄金聖闘士たちが全員、静かになり視線を沙織ちゃんへと向けた。
「では皆さん、お食事にしましょう。シオン、もう良いですよ」
「御衣に」
沙織ちゃんの言葉を合図に、部屋全体を覆っていた薄い虹色の膜が消えた。
膜が消えたと同時にシオンさまが手を鳴らすと、外で控えていた女官たちが教皇の間へと入ってくる。
その場にいた全員が、準備されていた食事へと思い思いに手を伸ばし始めた。