□ 見えない綱渡り □


この後のことを考えながら自室の扉を開けると、アイカテリネじゃなくて金褐色の髪色をした別の女性が待っていた。
扉が開いたことに気づいた女性は、高く結い上げられた金褐色の髪を揺らしながら振り返った。
モスグリーンの瞳と目線が合うと、女性は艶やかに微笑み、慎ましやかに頭を下げる。

「貴女……たしか、カサンドラよね?どうしてこんなところに?」
「覚えていただき、光栄でございます。アイカテリネの代わりにと、女官長から仰せつかりました」

もしかしてシオンさまかサガに呼び出されて、その間の世話役という形かもしれないと考えた。
けれど、だとしたら女官長からというのがおかしな話だった。それだとまるで、人員の配置換えをしたように思える。
まさかと思いたいけれど、ついさっきのシオンさまとサガとのやりとりを思い出して否定できない。

「アイネの代わりに?私はそれを許可した覚えは無いわ。シオンさまは知っているの?」
「そのことに関しましては、女官長にお聞きくださいませ。わたくしは、女官長の命にて参上した次第でございます」

まるで仮面のように張り付いた笑みをまったく崩さず、義務報告のようにカサンドラは話した。
シオンさまから女官長へと話が伝わってのことだとしたら、シオンさま経由なのか女官長の独断なのかが判断できなかった。
どちらにしても、シオンさまか女官長に話を聞かないと、どうしてこうなったのかがわからない。

「そう。なら女官長はどこにいるの?」
「女官長でございましたら、教皇のもとに」

今のうちにシオンさまのところに行けば、まだ居るかもしれないと考えてシオンさまのところに向かおうと考えた。
ふと、このまま部屋にカサンドラを置いておくのは、あまりよろしくない気がした。
別に彼女自身が何かするわけでもないと思うけれど、もしもの可能性は捨てきれない。

「とりあえず、女官長に話を聞きにいくけど……シオンさまからの指示だって確認するまでの間、カサンドラは部屋の外で待機してもらってもいいかしら?」
「かしこまりました」

カサンドラが部屋から出るのを確認すると、向かいの部屋で待機している童虎に声をかけるために部屋の扉を叩いた。
少しの間を置いて、不思議そうな顔をした童虎が向かいの部屋から出てきた。

「ずいぶんと早いのう……もっと時間がかかるものかと思っておったんじゃが……」
「急にごめんなさい。女官長に会いにシオンさまのところに行きたいんだけど、いいかしら?」
「別にわしはかまわぬが……」

扉の横に立っているカサンドラを見て、童虎が不思議そうに首をかしげる。
よく考えたら、女官が部屋から退出した後も扉の横に立ってるのは、ちょっと変な光景かもしれない。

「あ、彼女は……「わたくしは、女官のカサンドラと申します。以後、お見知りおきを童虎さま」」

なんて言えばいいのか考えているうちに、割り込むようにカサンドラは自己紹介をして、最後に礼儀よくニコリと微笑むと頭を下げた。
思わず呆然としてしまったけれど、以前にアイネが、女官の大半は結婚目当てで聖域に入っているという話を思い出して、納得した。
それよりも今は、急いでシオンさまのところに行って、どういうことか確認したい。

「とりあえず、早くシオンさまのところに行きましょう。カサンドラは、さっき頼んだとおりに留守番をお願いね」
「かしこまりました、巫女様」

深々と頭を下げるカサンドラから離れると、真っ直ぐ教皇の間へと進んだ。
なるべく早く遠ざかりたくて、早足で歩いていると童虎がいつもと何かが違うと気づいたらしく、声をかけてきた。

、どうしたんじゃ?」
「カサンドラは、アイネの代わりにって女官長から頼まれて来たらしいの。でも私は頼んでいないし、シオンさまからそういった話も聞いてないから……女官長の独断かもって思って」
「なるほどのう。それで女官長のところに確認しに行くというわけじゃな」
「ええ、それに私の侍女ってことは、私や同権限のあるシオンさまじゃないと勝手には変えれないでしょう?なのにこれはいったいどういうことかを聞いておきたくて」

とりあえず教皇の間に行こうとしたら、童虎から呼び止められた。
どうもシオンさまから執務室に行くと童虎が聞いていたらしいので、童虎を連れ立って執務室へと急いだ。
執務室の扉を叩くと返事が返ってきたので、扉をあけて入るとシオンさまと女官が居た。
女官にしては、着ている女官服の襟や裾の部分に刺繍が入っていて、少しだけ華美な印象があった。

……どうかしたのか?」
「あの、こちらに女官長がいらっしゃるって聞いたのできたんですが……」
「女官長?ああ、アデライードなら来ているが……」

明るいミルクブラウンの髪を肩下で綺麗に纏め上げた女性が振り返った。
モスグリーン色の瞳は、どこかカサンドラを思い出す。
柔和な印象の垂れ気味の目尻をさらに下げ、少し微笑むと一礼をした。

「巫女様、はじめまして。わたくし、女官長を務めさせていただいております、アデライードと申します。わたくしにご用事とは、いかがされましたか?」
「え、ええ。アイネのことなんだけど……」
「アイネ……アイカテリネでございますね。アイカテリネの件でございましたら、さきほど教皇にもご報告いたしましたが……謹慎という形で部屋に待機させております。その間の世話役といたしまして、カサンドラが巫女様のところに出向いているはずですが……」

女官長は、少し不思議そうに首をかしげた。
謹慎という言葉に、アイカテリネに何か疑いがかかっていると確信した。
たしかに、少し前にサガやシオンさまの達の前でアイカテリネに聞いたら良いって言ったけれど、こんな形でなんて望んでいない。

「それは、アイネに嫌疑がかかってるって事かしら?」
「実情といたしましては、巫女様の唯一の侍女であるアイカテリネが疑われるのが当然かと思いますが……」
「アイネはそんなことをするような子じゃないわ。それにアイネがしたっていう証拠はあるの?」
「証拠でございますか?サガ様に渡っていた申請書でございますが、あの申請書はアイカテリネ経由でわたくしに送られたもの。巫女様が必要としているものとして、サガ様にお渡しした次第でございます」

サガの手元にあった申請書、それがアイカテリネの出したものだと聞いて、頭の中が混乱してしまう。
どうしてアイカテリネがそんなものを出したのか悩んでも仕方がない。
とりあえず、アイカテリネに直接話を聞いてみないと何も解らないことはわかった。

「でも、だからと言って「……あの者は市井の出身。お金欲しさに巫女様の使用する備品を市場へと流し、金銭に換えた可能性もございます」」
「アデライード、そのことに関して可能性は少ないと、余は考えているが……。それにアイカテリネの出自に関しては、先々代の女官長の紹介状もあるのだ。身の上に関しては、全く問題は無い」

シオンさまは、どこか疲れたように溜息混じりに話した。
もしかして、何度か同じようなやり取りをしていたのかもしれないと、少し思った。

「ですが教皇、以前に聖域内に賊の進入があり、その場面にアイカテリネも居たというではございませんか。自作自演の可能性も捨て切れません」
「それは曲解し過ぎではないか?あの娘に、そのような演技ができるとは到底思えぬが……」

シオンさまの言うとおり、あの時アイカテリネは必死に自分よりも巫女である私の方を心配していた。
それを自作自演で襲わせたなんて、とても考えられない。

「……私もその場面に居たけれど、とても演技になんて見えなかったわ。そもそも、あそこに私が訪れたのは本当に偶然よ?下手したら、私が助けに入らなかった可能性だってあるんだし……」
「たしかにの言うとおりだ。余もすぐに駆けつけたが、あれは自演できるような状況ではない……むしろ、あれは……」

シオンさまが何かを考えるように口ごもったけれど、何を言いたいのかわかった。
沙織ちゃんも言っていたけれど、どう見ても誰かに仕組まれたものだった。
アイカテリネの話だと、女官長も女官に加担している可能性もあるので、下手なことは話さない方が良いかもしれない。
女官長は、珍しく口ごもったシオンさまをじっと見つめていた。

「教皇?」
「その話は、まだ解決されたわけではない。今ここで話しても全ては空論にしかすぎぬ。、用事はそれだけだったのか?」

シオンさまに言われて、すっかり話が脱線していたことに気がついた。
元々は女官長に、本当にシオンさまの許可を得ての行動だったのか確認のために来たのを思い出した。

「いえ。アイカテリネの代わりにとカサンドラを送ってきたのは、シオンさまの許可があってのことかと聞きたくてきたんです」
「それか。私から指名はしていないが……アデライードの報告では、アイカテリネの話が終わるまでの間は、別の女官を世話役にあてがうという話だった」

女官長から報告ということは、さっき部屋にカサンドラが居た事を考えると、おそらく事後報告。
なら、今からちょうどシオンさまに報告という形で許可をとろうとしたんだと気づいた。
今ならきっと、間に合うような気がする。ここで引いたらアイカテリネは侍女として、もう働けなくなるような気がした。

「それが問題なんです。今の話からして、そんな簡単に戻れるとは思えません……実質、アイネを解任したようなものじゃないですか」
「そうともとれるな……」
「聖域の安全と巫女様の身の安全を確保するには、これが一番良い方法でございます。どうか一時の感情に身を任すことなく、賢明なご判断をお願いいたします」

目を軽く伏せながら話す女官長に、なんだかすごく牽制された気がした。
それに女官長の言い方だと、全ての原因はアイカテリネにあるみたいに聞こえてくる。

「なんだかのう、ややこしい話になっておるようじゃが……巫女の侍女の処遇は巫女に任せたらどうなんじゃ。そもそもじゃ、シオンが無害だと判断したのなら、別に問題はなかろうて」
「ですが童虎様……今後のことを考えても、これが最良かと……」
「女官長、お主はちと喋りすぎじゃ。意見するならまだしも、さっきから巫女の話を否定しておる」
「わたくしは、聖域を思って申し上げたのでございます」
「それはここに居る皆も同じことじゃ。だがのう、やり方というものがあるじゃろう?」

女官長は動じることも無く、じっと童虎の方を見つめる。
そんな女官長の視線を、童虎は全く気にすることはなく、なぜか軽快に笑い飛ばした。
シオンさまは溜息をつくと、女官長を見据える。

「アデライード、はっきり言わせてもらうが……どうもアイカテリネに全ての罪を被せて、話を丸く収めてしまおうとするところが見える。それでは、何の解決にもなってはおらん」
「シオンさま……。アデライード、貴女の言いたいことは解るけれど……本当にそれは正しいことなの?」

問いかけるように聞くと、女官長は全く表情を崩すことなく、真っ直ぐに見つめ返してきた。
その表情からは、何を考えているのかは全く読み取れない。

「……安全性をより高めるために、必要なことでございます」
「それは、アテナの巫女である、私に対する安全性よね?だったら、必要ないわ。自分の身は自分で護るもの。アイネの謹慎を解いてちょうだい」
「……かしこまりました」
「アイデライード、ついでにアイカテリネに執務室に来るように伝えといてくれないか」
「仰せのままに……教皇」

女官長は、とくに何も言うこともなく、頭を下げると部屋から出て行った。
それを見送ったあと、いつもと違う神経の使い方に気疲れが出てしまい、思わず溜息を零してしまう。
シオンさまはそれに苦笑すると、近くにあった椅子に座るようにとすすめて進めてきた。
一言お礼を言ってから、シオンさまにすすめられるまま椅子に座った。