□ 蜜なごり □
ムウが部屋から出た後も首もとの指輪を指で確かめるように何度も触れる。
幸福感に浸っていると朝の忙しい時間帯だったことをすっかり忘れていたらしく、さきに気づいたアイネが慌てたように話しかけてきた。
「さま、新しいお洋服をお持ちしますね!朝食の方も軽いものをご用意いたしますから、少しお待ちください!」
「え、新しい服……どうして?」
アイネは、なぜか言いづらそうに視線を逸らすと、なぜか頬を薄っすらと染める。
その反応を見て、何か変なところでもあったのかなと思っていると、答えづらそうにアイネが口を開いた。
「さま……あの、ですね……首の辺り、教皇さまがお気づきになられましたら、大変なことになるかと……」
「首……?」
首にいったい何があるんだろうと、不思議に思った。
もしかして、さっきからアイネが視線を逸らしたり、曖昧に言葉を濁したりしてる原因は首にあるんじゃあ……と、気づいた。
「あっ!もう時間が無いので、すぐにお持ちしますっ」
慌てて小走りに走り去っていくアイネを見送ると、首にいったい何が……と、不思議に思いながら身づくろい用の鏡台の前に行き、鏡に掛けてある布を取った。
さっきは急いでいたので適当に服を着ただけで確認までしていなかったけれど、鏡で自分の姿を確認して驚いた。
「……なに、これ……」
露出されている首の辺りから胸元まで、赤い花びらを散らしたような跡が無数にできていた。
もう蚊に刺されたなんて言い訳ができないレベルで、こんなものを見られたら確実に問い詰められる。
呆然と見ていたけれど、すぐにまさかと思いつつ胸元をちょっとだけ捲ってみると、服の中までしっかりと紅が刻まれていた。
これは隠さないと不味い……と、考えながら冷や汗を流していると、すぐにアイネが服を持って部屋に入ってきた。
「さまっ!こちらのお召し物をどうぞ」
「あの、これ……どこから?」
「少し前に、教皇さまが露出度が高すぎるとおっしゃられて……」
沙織ちゃんもかなり露出度が高い服を着ているのに、どうして私だけに?と、少しだけ疑問を抱いた。
そこでふと別のことに気づいた、沙織ちゃんからではないということは……この服を用意したのはシオンさま?
「もしかして、これ……シオンさまからの贈り物?」
「はい。教皇さまからの贈り物ということにはなります」
さすがにシオンさまの贈り物をクローゼットに放置にはできない。
しかも沙織ちゃんの送ってくれた外出用の服とは明らかに違うので、クローゼットに仕舞うことも無理っぽい。
それにどちらにしても、首の周りを隠さないといけないから、ありがたく着用することに決めた。
「あの……お部屋の掃除をいたしますので……その、今日はテラスでお勉強をなさっては?」
「そうね。天気も良いし、たまにはいいかも……」
「かしこまりました。では、軽いお食事と教皇さまにテラスでのお勉強をご希望とご伝言をいたしてきます」
「ありがとう、アイネ。お願いするわね」
アイネは軽く会釈をすると、すぐに扉の外に小走りで走っていく。
渡された服を軽く広げてみると、今の服ととても似ているけれど、しっかりと首元まで隠れるようなデザインだった。
急いで服を着替えると、胸の辺りに教皇の兜に付いている飾りの紋様が刺繍で掘り込まれているの気づいた。
金糸で掘り込まれた紋様はとても繊細で美しく、感心するように魅入ってしまう。
扉を叩く音が聞こえたので返事をすると、すぐに台車に朝食を載せてアイネが部屋に入ってきた。
「さま、お食事をお持ちいたしました」
「ありがとう、テーブルに置いてくれる?」
「かしこまりました」
部屋に運び込まれた朝食はサンドイッチとサラダと紅茶でとても食べやすそうだった。
急いで朝食がセットされたテーブルの椅子に腰掛けると、サンドイッチに手を伸ばす。
「シオンさま、なんて言ってたの?」
「はい。"たまには気分転換に良いだろう。先に待っておれ"、とのことです。あと、シャカさまが扉の前で待機しております」
「扉の外に?なんで中に入ってこなかったのかしら?」
いつ部屋から出るのか解らないのに、ずっと扉の外で待っているなんて、シャカにしては行動がおかしいような気がした。
アイネは考えていることに気づいたらしく、申し訳なさそうに頭を下げた。
「も、申し訳ございません。差し出がましいのですが……その、先ほど朝食を取りに出た際に、シャカさまが部屋の外で扉を叩こうかと迷っていらっしゃったみたいですので……さまは、朝のご準備をしておられますと申し上げましたら、待っていると……」
「あ、それでなのね。……気にしなくても大丈夫よ。シャカなら自分で判断したと思うし……」
シャカは唯我独尊に見えて、判断力に優れている。
それに物静かでもはっきりと物事を言ってくれるので、傍にいるとなんだか落ち着く。
サンドイッチを全てお腹の中に収めると、次はサラダに手を伸ばしてフォークで頂いた。
「それにありがとう、すごく助かったわ。あんな状態……恥ずかしすぎて見せられないもの」
「い、いえっ……そんな……ありがたい、お言葉です」
照れるアイネに思わず、頬が緩む。アイネには見られてしまっていたけれど、同性だから恥ずかしいというより、照れてしまう。
でもあんなにいっぱい跡を付けられていたなんて……しかもいつも着ている服だと、隠しきれない場所に。
まさか……わざと?ムウに限ってそんなことは……と、そこまで考えて最近のムウの行動を思い出した。
もしかしたら……ありえるかもしれないと、少し思ったところで、なぜか嬉しいという感情が湧き上がってきて、感情を誤魔化すように紅茶を飲んだ。
「あっ、さま、あと15分少々でお時間ですよ!」
「もうそんな時間?じゃあ私、出かけるから後はお願いね」
「はい!かしこまりました」
教材を抱えて部屋から出ると、シャカが扉の横の壁に持たれるように待っていた。
シャカは、すぐに気づいたらしく、振り向くと壁から離れた。
「おはよう、シャカ」
「ああ、やっと出てきたか。おはよう、」
「待たせてたみたいで、ごめんね。今日はテラスで講義だから、テラスまでいい?」
「もちろんだ。では、行こうか」
頷くと、すぐにシャカは歩き出した。隣に並んで歩いていると、ふいに先日のことを思い出した。
シャカは返事は気にしないと言っていたけど、だからといってずっと甘えるわけにもいかない。
なによりも、もう心は決めてしまったのだから。
「朝の時間だが、外で待てば良いのかね?」
「いつもはね、9時くらいにシオンさまが部屋まで着てくれるから……」
「教皇が部屋まで?」
「うん。用事がないかぎり……というか、お休みの日以外、ほぼ毎日着てるけど」
シャカは少し驚くと何か考え始めたらしく、静かに押し黙っている。
妙な沈黙が続いたけれど、その沈黙を破るように静かに話しかけた。
「あの、ね……あとで、時間が空いた時でいいから……少しお話してもらってもいい?」
「あ、ああ。わかった」
どこか心ここにあらずという感じのシャカに違和感を感じたけれど、時間が無かったので聞かなかった。
それにきっと、あまり深入りしすぎてもいけない気がする。
テラスの入り口前まで来ると、シャカに御礼を言って1人でテラスに入った。