□ なだまる想い □



ムウに抱きしめられているのが、あまりにも心地良くて、眠りかけてしまった。
ゆっくりと顔をあげると、穏やかな翡翠色の瞳と目が合う。
そのとたん愛しげに微笑まれて、すごく満ち足りたような幸せな気持ちになってしまった。

「落ち着きましたか?」
「う、うん……。ありがとう、ムウ」

腕の中は心地よかったけれど、いつまでもこのままということはできない。
離れようとすると、なぜかそのまま押し倒されてしまった。
気づけば地面へと寝転がされて、青い空が目に眩しくて目を細めた。

「ムウ?どうかしたの?」

不思議に思ってムウを見上げると、いつの間にか花を一輪、摘んでいた。
こちらに手を伸ばして耳元に触れ、髪を掻き分けると、手に持っている花を耳元に差し込んできた。

「やはりには、花が似合いますね」
「え、あ、ありがとう……」

自然な動作で髪を撫でてくるけれど、突然の行動に何か違和感を感じる。
そもそも、どうして押し倒されているのかが謎だった。
これはもしかして、逃げたり話を誤魔化したりすることを防ぐための措置なのじゃないかと気づいた。

「それで……シャカとは、いつもどんな話をしているのですか?」
「え、別にたいしたことは……本当に雑談って感じだし……」
「シャカが雑談ですか?」

ムウはどこか信じられないらしく、微かに目を細めた。
機嫌が悪いせいか、普段の柔らかな雰囲気と違って見えて、少し怖い。

「う、うん。普通に話したら普通に返事してくれるけど……」
「そうですか……」
「ムウ?どうかしたの?」
「いえ、何もありませんよ」

前々からシオンさまに注意するようにとかシャカから距離を置くようにとか言われているけれど、結局は守れていない。
もしかしてムウを怒らせたのではないかと不安になってくる。

「……本当に?なんだか妙に静かというか、行動がおかしいというか……もしかして、怒ってる?」
「……怒っているように見えますか?」
「う、うん……」

ムウは珍しく溜息を吐くと、少しだけ雰囲気を和らげた。

「私も、まだまだですね……、別に怒っているというわけではありません」
「怒ってないの?じゃあ、なんで……」
「そうですね……ただ、少し焦ってしまったというべきでしょうね」

ムウにしては珍しく、考えるように少し視線を泳がせた。
そんなムウをつい見つめてしまう。

「焦る?」
「少し目を離すとすぐにシャカやシオンがのそばに居るでしょう?あの2人は他の黄金聖闘士と違い、に好意を持って傍に居るんですよ……」
「ムウ……」
「解ってはいるんです。にそんなつもりは無いと……ですが、あの2人にそんなことは関係ありません」

たしかにムウの言うとおり、シャカやシオンさまは気にしていないみたいだった。
シオンさまの方は気づいていないだけなんだと思うけども……気づいたら、やっぱり怒るのかなと思ってしまう。
前に沙織ちゃんが話した時に、すごく反応していたから、言ってしまえばどうなるのかと少し怖くなった。

が巫女である以上、シオンや黄金聖闘士との接触はさけられません……アテナを守ることと同時に、アテナの巫女を守るのは聖闘士として当然のことです」
「アテナの巫女としてのことだから、別に私個人の意思じゃないわ」

地上の愛と正義のため、アテナを守るための聖闘士なのに、どうして黄金聖闘士に守られているのかが、まだ納得できない。
巫女だからというのは解っているけれど、本当にそれでいいのかと考えてしまう。

「ええ……知っていますよ。が、ただ守られるだけの存在は嫌だと思っていることも……ですが、周囲はそれを許さないでしょう?」

ムウの言うとおり、初めから私のことを知っている人たち以外は、アテナの巫女として見ていて、私個人を見ていない気がする。
だからシオンさまに専属の侍女や護衛をつけるように言われ、立ち振る舞いにも注意するように言われたんだっけ。

「だから私は……」
「今以上に強くなりたいと……シオンの話しを受け入れたんですね」
「うん……それに私は、聖闘士として育ったから……守られるよりも、守りたいの」

シオンさまは少しずつ変えていけば良いと言っていたけれど、どうすればいいのかなんて解らない。
だから今は、できることを少しずつするしかない。
ムウは嬉しそうな笑みを浮かべると、そっと頬に触れてきた。

は、ですね……小さな頃から、何も変わっていない」
「そうかしら?……あの頃からずいぶんと変わったと思うけど……でも、もしかしてムウが近くに居るからかも」

小さい頃から知っているせいか安心してしまい、つい気軽に話してしまう。
それに恋心を自覚してから、ほんの少ししたことが幸せで、傍にずっと居たいと思ってしまう。
ムウは少し驚いたように目を見開くと、こちらを覗き込むように見てくる。

「私が近くに居るから……?」
「うん。ムウに触れているとね、すごく幸せな気持ちになれるの」

今だって押し倒されているのに、まったく嫌な気がしない。
むしろ、触れる体温が心地いいとさえ思ってしまえそうだった。

、攫ってもいいですか?」
「ムウになら……攫われてもいいけど……」

つい反射的に返事をしてしまったら、ムウは驚いたように目を見開いたけれど、すぐに幸せそうに微笑んだ。
でも実行すると大問題になって、大掛かりな捜索が行われそうな気がするけれど、ムウと2人一緒なら逃げ切れるような気がする。
きっと沙織ちゃんが悲しむから、なるべく遠慮したいと少し思ったけれど、それは言えなかった。

「実はここで思い出の1つでも作っておこうかと思いましたが、気が変わりました」
「え、思い出って?」
「いっそうのこと、ここで抱いてしまおうかと考えていたのですが……」

だから押し倒されていたのかと、今頃になって気づいた。
それは確かに強烈に記憶に残るけれど、でもそれをされると、すごく気まずい。
はっきり言って、沙羅双樹の薗でシャカの顔をまともに見れないかもしれない。
ふいに影が覆いかぶさると、唇に柔らかな感触が触れた。
それがムウの唇だと気づいたころには、すぐに離れていった。

「今はこれで……。さて、そろそろ戻りましょうか」
「うん。あまり長居していると、心配かけちゃうかもしれないし」

ムウが離れるのを確認すると、急いで体を起こして立ち上がった。
ムウの気が変わらないうちに、早く沙羅双樹の薗から離れようと思いムウの腕をとると、早足で出口の扉へと向かった。