□ 望む形 □



沙織ちゃんと二人でシオンさまを見つめていると、シオンさまにしては珍しく、言葉をすぐに出さなかった。
たぶん、沙織ちゃんとの会話を途中で遮ってしまった形になったことが気になっているのかもしれないと考えていると、少しして遠慮気味に口を開いた。

「アテナ、お話の最中で悪いのですが……そろそろ、話を進めていただけませぬか?」
「ええ、わかりました。話が逸れていたようですね」

沙織ちゃんは、さっきまでの少し物悲しい雰囲気を見事に消して、いつものように凛と背筋を伸ばした。

「賊から聞き出した話によると、どうも賊はお金で雇われていたようです。そのため主犯が誰なのか、いまだ解っていないのです」
「女神のお膝元である聖域で、このような行いは許されるものではない。まして巫女を巻き込んだ以上、絶対に逃がしはせぬ」

どこか忌々しげに話すシオンさまの声音は、普段とは違い冷たさを秘めていた。
それに同意するように沙織ちゃんも神妙な顔で頷く。

「ですから犯人が捕まるまでの間、お姉さまには護衛を付けたいと思います。もちろん護衛は黄金聖闘士の中から周期的に選びますが、お姉さまから指名してもかまいませんよ」

黄金聖闘士の護衛がつくと聞いて、少し驚いた。
あれはアイネが襲われていたようなもので、実質のところ私は飛び込んだようなものなのに。

「沙織ちゃん……私に護衛なんて、大げさよ」
「何を言っておるのだ?、人の噂というものは一日で千里を駆けるという。巫女が襲われたという事実だけが聖域に噂として広まっているのだぞ?その中で巫女に護衛がつかなかったとすれば、それはそれで色々な邪推が入るであろう」
「ええ。ですからお姉さまには、どうしても護衛が必要なのです」

理解はできる。けれどそこには、ただ護られる存在としての歯がゆさがあった。
本来なら聖闘士として、アテナを護る立場なのに、巫女という立場がそれを覆す。
ふいに金色の影が動いたと思ったら、シャカが沙織ちゃんの前に進み出ていた。

「アテナ。の護衛に黄金聖闘士をつけると言うのでしたら、この乙女座バルゴのシャカにお任せいただけませんでしょうか?任務も終わり、次の任務までの間、教皇宮に滞在して巫女であるを必ずお守りいたしましょう」

シャカが護衛につくと聞いて、少しばかり焦った。
それはつまり、シャカとほとんどの行動を一緒にしなければいけないってことで……シャカの自分に対する想いを知った今、どう接すればいいのか少し困る。
けれどそれは私とシャカの問題で、それを知るはずのない沙織ちゃんやシオンさまは、軽く頷いて了承しようとしていた。

「シャカですか……そうですね。では、シャカ。巫女の護衛の任務を請け負っていただけますか?」
「このシャカ、謹んでお受けいたしましょう」

シャカは沙織ちゃんに対して膝を付き、礼をすると沙織ちゃんは満足したように微笑む。

「頼みましたよ、シャカ」
「シャカ……立場上、余が護衛に付くことはできぬ。しっかりとを護るのだぞ」
「わかっております、教皇。このシャカ、命に代えても守り抜いて見せましょう」

シャカは珍しく顔に笑みを浮かべている。
それに対してシオンさまは、少しばかり面白くなさそうに顔をしかめている。
なんだか悩みの種が増えたような気がした。。

お姉さま、本当はこのまま聖域に泊まりたいところなのですが……実は、ブルーグラードとの商談を中止してこちらに来てしまったのです」

沙織ちゃんは、まるで家に忘れ物をしてしまったみたいな軽い口調で話すけれど、かなり重大なことじゃないのと驚いた。
しかもブルーグラードといえば、たしかポセイドンと縁が深い場所だったはず。
いくら聖戦で勝ったといっても、ポセイドンも神なので、それはそれで不敬にあたるんじゃあと焦った。

「さ、沙織ちゃん……それってポセイドンのところの?」
「え、ええ。そうです」

あまりにも不思議そうに返事を返す沙織ちゃんに、一瞬だけ頭痛がするかと思った。
でもよくよく考えたら、沙織ちゃんもアテナの化身なのだから同じ身分。
同じ身分同士なのだから、ありなのかもしれないけれど……。

「それって、大丈夫なの?」
「すぐに戻りますから、大丈夫ですよ。最近、お姉さまと一緒に居られる時間が少ないので、せめて夕食を共にしたかったのですが……」

少し目を伏せて、どこか悲しげ雰囲気を纏った沙織ちゃんに思わず安心させるように微笑む。
やっぱり神の化身同士、案外気軽な仲なのかもしれないと少し思ったけれども、それよりも今は、沙織ちゃんを悲しませたくないという思いのほうが強かった。

「また今度、一緒に食べましょう。時間はいつでもあるもの」
「ええ、そうですね」

にこりと嬉しそうに微笑む沙織ちゃんに、なんだかちょっとだけ嬉しくなってしまった。
沙織ちゃんは急いで戻らないといけないからと、12宮の入り口前に停めてある自家ジェット機へと向かうことになった。
自家ジェット機まで見送るために、その場に居る人たちと一緒に12宮を降りていくと、自家ジェット機の前でカミュとデスマスクが待機していた。

「あ、カミュとデスマスクが護衛だったの?」
「ああ、か。ここに来た時に、教皇が自らここまで下りてきて、私たちはここでアテナの帰りを待つように言われたのだ」
「まあ、俺たちはアレだな。艇の良い見張り役ってことだ」
「口が悪いぞ、デスマスク。アテナが乗ってきた乗り物だと知る者はごく一部。知らぬものが興味を抱いて、近寄ってくるかもしれぬ。そのような時に、アテナの乗り物に何か悪戯でもされては困るのだ。黄金がいれば、誰も悪戯などしようとは思わぬだろう?」

満足気に頷いたシオンさまを見ると、たしかに誰も近づかないけど……黄金の使い方を間違っている気がして苦笑が漏れる。
沙織ちゃんは沙織ちゃんで「とても良い案ですね」と微笑んでいるし、カミュは考え込んでるし、デスマスクにいたっては何か言いたそうにしかめっ面をしてる。シャカは全く動じてなくて、なんだかシャカらしかった。
カミュとデスマスクには、やっぱり同じようなことを考えているんだと、二人に変な仲間意識が芽生えそうになった。

「沙織ちゃん、急がないと相手先が待っているんでしょう?」
「そうでしたわ。あまり長居をしては、いけませんね」
「いってらっしゃい、沙織ちゃん」
「アテナ、道中お気をつけて」
「ええ。では、行ってまいります」

沙織ちゃんがカミュとデスマスクを連れて自家ジェット機に乗り込こむと、すぐに空へと飛んで行った。
完全に姿が見えなくなるまで見送ると、戻るために教皇の間へとむかう。
戻る最中、結局は沙織ちゃんと食事ができなかったけれど、シオンさまと食事をとることになった。
それを知ったアイネはすぐに食事の支度のためにと部屋を後にする。シオンさまはシャカの方へと振り向くと、声をかける。

「ふむ。これより先は余がついておるのでシャカは下がっておれ。処女宮に帰って、荷物を纏めてくるがよかろう。部屋は……の向かいの部屋を一時的に使用しても良い」
「御衣に」

シャカは一礼すると、扉の向こうへと消えて行った。
シオンさまはシャカが消えると、こちらの方に視線を向けてきた。目が合うと、赤み帯びた瞳をふいに緩められた。
近い距離で微笑まれると、胸が高鳴って心臓に悪い。その視線から逃れるように視線を逸らす。

、さきほどのことだが……なにやら納得いかぬという顔をしておるな」
「シオンさま……私は、聖闘士であることを捨てたことはありません」
「わかっておる。聖闘士として育てられたのだから、そう思うことは当たり前なこと……だが、教皇が私のみであるように、またアテナの巫女も1人のみしか存在せぬ……」

巫女は確かに1人。そして教皇も1人。
まるでアテナである沙織ちゃんを挟んで対のようだと思った。
恐らく、同じ権限を持っているのだから対になってしまったんだろうと、ぼんやりと考える。
だったら、もしかしてシオンさまも同じように悩んだことがあるんじゃないかと気づいた。

「シオンさまも……矛盾した思いを抱えたことがあるんですか……?」
「……教皇として、その役割を演じねばならぬときもある」

シオンさまにしては珍しく、小さく溜息を吐いた。
やっぱりシオンさまにも立場上、納得のいかなかったことがあるのだとわかった。

「たとえば、今……自分の手でを護りたいと思っていても、それは叶わぬ。教皇という立場がそれを許さぬのだ。だが、それを仕方ないものと思ってはいない。なぜなら、それも私の使命であり、全うしなくてはならないからだ」
「……使命」

ぽつりと呟くように言った言葉は、静かな部屋の中に沁みるように響いた。
その一言にシオンさまは頷くとゆっくりと口を開いた。

「我々、聖闘士はみな使命を持っている。アテナを護るという使命をな。それと同じで、巫女であるということも1つの使命だと思えばよい」
「聖闘士と同じで……巫女であることも使命だとしたら、私は護られる存在としていなければならないのですか?戦う術を知っているのに、ただ護られているだけだなんて……」

とても矛盾していて、どうしても悩んでしまう。自然と顔が俯いて、視線が床へと落ちていく。
たとえそれが使命だとしても戦う力があるのにどうして、と納得ができなかった。
頬に何かが触れる感触がして、驚いて顔を上げるとシオンさまの指が頬を滑るように触れていた。

……今、この聖域の中で巫女の存在はとても不安定なのだ。ほんの些細な綻びでさえ、どんな亀裂へと変化するのかわからぬ。もしもが納得いかぬというのであれば、少しずつ変えてゆけばよいことだ」
「変えてゆく……?」

まるで不意打ちを食らったような衝撃があった。
どうして今まで気づかなかったんだろうと、自分でも呆然とする。

「そうだ……ゆっくりと変えてゆけばよいのだ。自分の望む形へと……私とて、初めから教皇であったのではない。教皇へとなっていったのだ」

シオンさまの言うとおり、初めからなんて人はいないのだと思う。
時間と共に形成されていくものなのかもしれない。

「ふふっ、そうですよね。初めから教皇なんて人がいたらびっくりしちゃいます」
「うむ。今は納得がいかぬであろうが、自然と自分の形になってくるはずだ」

シオンさまの言葉が、不思議と胸の中にすんなりと落ちていった。
自分の形……それはきっと、自分本来の姿。だったら私は、それに近づけるように努力をするしかない。
結局のところ、自分は自分であるのだから。

「シオンさま……ありがとうございます。私、護られるだけの存在にはなりたくありません……けれど、今はそれを甘んじて受けます。結局のところ、私は私であることには変わらないのだから……」
らしいな」

なんだか自分自身を思い出したようで、ずっと心が軽くなった。
嬉しくて微笑むシオンさまに微笑み返すと、ふいにシオンさまの表情が固まった。
けれどすぐに笑みを深くすると、頬にあった手がすべるように顎へと移動して、軽く持ち上げられる。
自然に流れるようなその動作に、違和感を感じることもなく従う。

「……
「ぁ……」

どこか熱を帯びた瞳に、動けなくなった。その熱情を秘めたような瞳を以前にも見たことを思い出す。
あの時は、シオンさまの記憶の中の人物と重なっていたようで、シオンさまの様子もおかしかった。
混乱した頭で何も考えれなくて、早まる心臓の鼓動だけが聞こえる。
2人しか居ない空間で、控えめに扉を叩く音が部屋に響いた。
それを合図に、シオンさまとの間の空気は元の状態へと戻っていって、どこか安心した。