□ 押し問答の果て。 □



カサンドラに待たせたことを謝り、アイカテリネが戻ってきたことを告げると、頭を軽く下げてどこかへ立ち去った。
立ち去る一瞬、睨まれたような気がしたけれど、おそらく気のせいじゃない。

「あの……さま、申し訳ありません。わたしが不甲斐ないばかりに……」
「気にすることはないわ、アイネ。たぶんあれ、私に対してだと思うし……」
「そんなっ!さまに対してそんな失礼なこと……っ」
「平気だから大丈夫よ。それになにか被害があるってわけじゃないし……それよりも時間がないから、急ぎましょう」

あまり良く思われていないことは、とっくに気づいていたので、あまり気にならない。
それよりも沙織ちゃんを待たせるわけにはいかないと思い、アイカテリネにすぐに食べれそうな食事の用意を頼むと汗を流しに浴室に向かった。
汗を流し終わると身支度を整え、用意されていたサンドイッチとサラダとスープを食べて食事をすませた。
急いで向かいの部屋に待機している童虎に声をかけ、童虎と教皇の間の方へと急いだ。

「シオンさま?ですけど……」
「ああ、か。アテナなら、もう着ておるぞ」
お姉さま?」

扉を空けると、教皇の間の奥にある椅子に誰かが座っていた。
藤紫色の長い髪に、すぐに沙織ちゃんだと気づいて駆け寄った。

「沙織ちゃん、お帰りなさい!今回のこと、もうシオンさまに聞いてるの?」
「ええ。お話は伺いしました。前回のことといい、今回のことといい……本当に、いったいどうなってしまっているのか……」

聖域内でのことに、沙織ちゃんは少し悲しげに視線を落とした。
悲しげな様子を見ていると、少し胸が痛かった。

「せめて……少しでも、中がどうなってしまっているのかが解ればいいんだけど……」
「ああ。だが、それが難しいところだ。女官や女中を1人ずつ呼び出し、話を聞いていくというわけにもいかぬしな……」
「そうじゃのう。ほとんど手詰まり状態じゃ……」

童虎の言うとおり、なかなか良い考えが浮かばなくて、思わず溜息を零してしまう。
でもたぶん、女官達はどうなっているのかは気づいてる。
だから、あの時アイカテリネをドブネズミ扱いしていたんだと思う。

「もういっそうのこと、私が女中か女官のふりして聖域内を調べるっていうのは……?」
「あの……それは変装をするということでしょうか?」
「え、あ、うん……まあ、そうなるかも。この服装だと、近寄っただけですぐにアテナの巫女だって気づかれるでしょう?女官や女中の服装だったら、今よりずっと動きやすいし……」

前に女官がアテナの巫女だと気づいて、すぐに立ち話を止めた事を思い出す。
たぶん同じ立場や自分よりも下の立場になる女中なら、もしかしてうっかり話すかもしれない。
そう考えたら、やっぱり巫女服を着て歩くよりも、ずっといいかもしれない。

「いや、それはならぬ」

まさかシオンさまに反対されるなんて思ってもいなくて、どうして驚いてしまう。
沙織ちゃんも童虎も、シオンさまが反対したことが不思議そうにシオンさまの方を見ていた。
シオンさまは、何かを迷っているように視線を泳がした。

「シオンさま、どうしてですか?可能性があるなら、した方が今よりもずっとマシです」
「だがしかし「シオン、何を迷っているのですか。このまま手をこまねいているよりも、お姉さまの提案を受けるべきでしょう」
「わしもとアテナに賛成じゃ。なにより、今のところそれが一番良い案だと思うぞ」
「沙織ちゃん、童虎……」

童虎と沙織ちゃんに押し切られるように、シオンさまは少し考えるように押し黙った。
けれど少しして、諦めたように小さな溜息を吐くと、こちらの方に近づいてきた。

「わかった。ただし、条件をつける。まずは……小宇宙を完全に消さぬこと」

小宇宙を完全に消さないという事は、小宇宙を感じとれる人にはすぐに居場所がばれるんじゃあと思ったけれど、すぐにそれができるのは一定の人間だけだと気づいた。
さすがに女官や侍女は感じ取れないので、少しくらい小宇宙が出ててもばれない。
しかも最小に抑えれば、ある程度の距離まで近づかないと簡単に感知されないはず。
それくらいなら、まだ出来そうな条件だったので頷く。

「それと、女中の姿の間は聖域からは出ぬように……とくに教皇宮からは、なるべく離れるようにすることだ」

シオンさまは真剣に話しているけれど、なぜか確実に小宇宙の位置で居場所を特定するということを宣言されたような気がした。
もしかして、ほぼ監視体制に入ってしまうんじゃないかという、なんともいえない危機感を覚える。

「あとは……そうだな、朝の特訓と午後からの講義は必ず出るように。今のところは、それくらいだ」
「え……それって、けっこう厳しいような気が……」

いつも通りの生活をしながら、空いた時間に聖域内を散策というのは、できそうだけど厳しいような気がする。
しかも今の話を聞いていると、常に小宇宙で位置の把握をされて、朝の特訓も午後からの勉強も気を抜くなということだと思う。

「何を言っておる。これでもかなり譲歩した方だが?」
「譲歩って……どこが」

つい言ってしまうと、シオンさまは少し考えるように視線を逸らした。
けれど、すぐにこちらを真っ直ぐに見つめ、そして諭すように、また一歩近づいてくる。

「ふむ、には休日も取らせているのだ……それに夕方の時間や、私の予定が入っている時など時間が空いているのだろう?問題はないはずだ」
「たしかに問題はないですけど……」
「なら、いいではないか」

どことなく勝ち誇ったように悠然とした笑みを向けられる。
心なしかずいぶんと近い距離で、しかも顔が整っているぶん、どうしても顔に熱が篭って胸が高鳴ってしまう。
思わず後ろの方へと距離を取って下がっていくと、「お姉さま……押されてますわね」という楽しそうな沙織ちゃんの呟きが聞こえてきた。
なぜか余計に恥ずかしくなってきて、もうなんでも良いような気がしてきた。

「わ、わかりました!もうその条件でも良いです!」

耐え切れずに言ってしまった一言に、シオンさまはすごく満足げな笑みを浮かべた。
完全に敗北状態になってしまったのを童虎は呆れたような目で見てくる。

「とうとうが折れよったのう……」
「仕方ありませんわ。シオンは、初めから譲る気がなかったようですし……」

なぜか楽しそうな笑みを浮かべている沙織ちゃんと童虎に何も言い返せない。
扉を叩く音が聞こえ、少ししてサガが扉を空けて入ってきた。
手に書類の束を抱え、真っ直ぐに歩いてくる。

「教皇、失礼します。さきほど話していた件ですが、他の不振な書類をお持ちしました」
「ああ、サガか……ご苦労だった」
「あら、そちらが例の書類ですか?」

沙織ちゃんは、サガの持っている書類に興味があるらしく、サガに近づいていった。
サガはアテナが居ることに少し驚いていたけれど、すぐに表情を柔らがせる。

「アテナ、お戻りになられていたのですか……」
「ええ。お話を聞いて、すぐにこちらに参りました。こちらの書類、わたしがお預かりしても良いでしょうか?」
「この書類をですか?それは、かまいませぬが……」

沙織ちゃんはシオンさまから許可を貰うと、沙織ちゃんはサガから書類の束を受け取った。
そして書類の束を確認すると、両手で抱きしめるように持ち、嬉しそうな笑みを浮かべる。

「ありがとうございます。できれば、他の書類も渡して頂けませんか?この書類以外の……そうですね、なるべく他の方が記入した書類も欲しいのですが」
「御意に。このサガ、すぐにお持ちします」

サガは沙織ちゃんに頭を下げると、すぐに教皇の間から出て行った。
それを見送ったあと、沙織ちゃんがその書類をどうするのか気になって、沙織ちゃんの様子を見るように近づいた。

「沙織ちゃん、それをどうするの?」
「こちらの書類。少し、わたしの方で調べてみようかと思いましたの……」
「他の人が記入した書類も調べるって……あ、もしかして筆跡鑑定とか?」
「ふふっ……さすが、お姉さまです。このようなこと、グラード財団の力を持ってすれば、簡単ですのよ」

沙織ちゃんは、それは可愛らしく微笑んで見せた。
きっと書類の件は、沙織ちゃんに任せれば大丈夫な気がして、沙織ちゃんに微笑み返した。

「なんだか頼もしいわね。じゃあ私は……アイネに侍女服でも借りに行こうかな」
、服ならこちらで用意するが」

シオンさまの提案は嬉しいけど、さすがに新調するのは不味いと思い、否定するように首を横に振った。

「いえ、服を新調したらすぐにばれてしまうかもしれないですし……それに、人の口に戸は立てられないって言うじゃないですか」
「そうか……の言うとおりだな。なら、そちらはに任せよう」
「ええ、お姉さまに任せましょう。では、わたしはすぐにでも書類をお調べしますね」

そのまま沙織ちゃんは、書類の束を持ってグラード財団に戻るため日本に帰っていった。
シオンさまは、12宮の外で待機させていたアテナの護衛の黄金聖闘士のところまで付き添うと言って、沙織ちゃんに着いていった。
見送るために着いていこうとしたけど、アイカテリネに服を借りに行かなければいけないことを思い出して、童虎を連れて自室へと戻ることにした。