□ 兆し □
シャカに抱かかえられながら、廊下の向こうへと消えて行く巫女を見送ることしかできない自分に苛立ちを覚える。
時間をかけて巫女の気持ちをこちらに傾けようとしていたことが失策だったのかと考えるが、今更になってはどうすることもできない。
それにあの時の状況と巫女の様子からして、下手に動いて距離を置かれては誰かに先を越されてしまうのは簡単に予測できた。
次の行動を考えていると、さきほどから巫女の周りに居た女中が、なぜかその場から離れずにおずおずと声をかけてきた。
「あ、あの……っ、アリエスのムウさま……お願いですから、巫女さまを……惑わせないでください」
「惑わす……とは?」
すこぶる機嫌が悪かったせいか、思っていたよりも低い声が出てしまった。
女中は微かに身震いしながら必死に言葉を紡ごうとしている。
あまりの焦りように、この女中はよほど気が小さいのか、それとも自身の態度が原因か……恐らく両方だなと考えた。
「わ、私……初めは、巫女さまとムウさまが、秘密の関係か何かだと……そう、思い込んでいたんです。けど、さっきカサンドラさまとムウさまが……その、ずいぶんと仲睦まじそうに……して、らしたので」
カサンドラという名前に、ついさきほどの女官が確かそういう名前だったのを思い出した。
そしてこの女中が見たというのは、ついさっき目を見てほしいと言われ近づいたときの光景なのだろう。
この女官はずっと巫女と行動を供にしていたとしたら……もしかして巫女もその光景を見ていたのかと気づいた。
「それは……もしかして、巫女も一緒に見てしまったのですか?」
今にも泣き出しそうな女中は、返事の変わりに頷いた。
なんてことだと、あまりの折の悪さに頭痛がしてきそうだった。
「はっきり言いますが、勘違いですよ。たまたま目にゴミが入ったので見てほしいと言われたのです。カサンドラという女官の方には全く興味はありません」
女中は驚いたように目を見開くと、こちらの方を凝視してくる。
その驚きように、なんの疑いもなくその女官と関係が在ると思っていたのが見て解った。
このようすなら、巫女の方も同じような勘違いをしていそうだと判断する。
「え……っ、そ、そうなのですか?」
「もちろんです。それとも、私が嘘をついているように見えますか?」
女中は少しだけ間を置いて、首を左右に振る。その様子からして、どうやら納得したようだった。
それにしても、なぜ"惑わす"という言葉になったのかが気になる。
これだと、まるで巫女が"惑わされている"と……そこまで考えてやっと、まさかの可能性に気づいた。
「で、何をどうして"惑わす"という単語が出てきたのですか?……もっと原因らしいものがあるようにみえるのですが……」
「あっ……えっ、と……その……」
女中は自分の失言に気づいたのか、視線を左右に動かしながら必死に何かを考え始める。
言い訳でも探しているのかもしれないが、巫女関連に関しては言い訳をさせる気なんて、更々なかった。
「巫女が、私のことを気にしているのですよね?……しかも、女中の貴女が気を揉むほどに……」
女中は呆然とこちらを見ていて"どうしてそれを"と言いそうなくらいの驚きようだった。
その様子から、自分の考えが間違っていないことがわかった。考えれ考えるほど、思い当たることがある。
最近、全く巫女に会えないのは……もしかして、巫女自身が避けていたという可能性も見えてきた。
だとしたら、あのカサンドラという女官とのことも隠れてみていた?と、そこまで予測できる。
「カサンドラという女官の方と私が話しているとき、実は影から巫女と覗いていましたね?」
「どっ、どうしてそれを……っ」
思わず"貴女の反応からですよ"と、言いかけて言葉を飲み込んだ。
とすると、シャカと巫女がぶつかったと言うのは、カサンドラと話し終わる少し前。
つまり巫女は、カサンドラと話している最中に逃げ出して、シャカとぶつかった。
しかもシャカにぶつかるなんて、前を全く見ないで走ってたことになる。
「無我夢中で逃げるようなことが……?」
「あの時、巫女さまは……様子が少しおかしかったんです。だから、私っ……」
つまりそこから"惑わしている"という考えが浮かんだとわかった。
それにしても、カサンドラとのことで勘違いして、あげくに無我夢中で逃げたということは……もしかして嫉妬していた?と、心が浮かれそうな結論に結びついた。
まだ確信したわけではないが、この女中も"様子がおかしかった"と言っている。
だとしたら、やはり巫女は意識している。しかも嫉妬するということは、自分の望んでいる方向にということだ。
「貴女が心配しなくても、大丈夫ですよ」
「大丈夫、と……いうのは……?」
「貴女が心配しなくても、私は巫女のことを愛しているからです……とても深く、ね」
もう蓋をすることができないくらいに想いが募っていて、いまさら逃がす気なんてない。
ましてや誰かに譲るなんて無理なことだと、シャカとシオンを思いだしながら、くすりと自嘲にも似た笑みが漏れる。
息を呑むように侍女が驚いているが、そんなものは全く気にならなかった。
「でも、貴女はどうしてそこまで巫女のことを?」
「わたし……巫女さまが、大好きです。とても優しくて、強くて……誇り高い……ずっと、お側にいたいと、仕えたいと心の底から初めて思えるようになった方です。だから私、巫女さまの侍女として、少しでもがんばろうって……そう、思ったんです」
どこかうっとりと幸せそうに話すのを見ていると、それが彼女の本心からの言葉だとわかった。
それと女中の格好をしているが、実は侍女だったと知った時は、少しばかり驚く。
そしてそれが、シオンが巫女を護るための防御策の1つなのかもしれないと考える。
「巫女の侍女だったのですね」
何気なく言った一言に、侍女は何かに気づいたように背筋を正し始めた。
「ご紹介が遅れました。巫女様の専属の侍女を仰せつかった、アイカテリネと申します」
言い終わると同時に、頭を下げて礼をする。
完璧とまでは遠いが、どことなく優雅さをもった礼は、彼女の本質からきているのだろうと薄っすらと思った。
それに根も素直そうなところを見ると、きっと巫女との相性も良かったのだろう。
これならきっと、巫女との間もこの侍女なら繋いでくれるかもしれないという、小さな希望が見えた。
「アイカテリネさんに……少し、頼みたいことがあるのですが……」
「頼みたいこと……?」
不思議そうに首を傾ける侍女に、安心させるように微笑みかける。
巫女の心が完全に傾くのを自然に待つことよりも、傾かせてしまえばいいと……内心で思いながら、話を進める。
「ええ。貴女が勘違しているということは、きっと巫女も勘違いしていると思うのです……ですから、巫女と少しばかりお話をさせていただきたいのですよ」
「お話……ですか?」
「そうです。今の巫女の状態なら、なかなか話を聞いてくれないと思うのですよ。ですから、なるべく巫女と2人で話す時間が欲しいのです」
「だったら、私からも巫女さまにご説明いたしますが……」
ゆっくりと首を振って、侍女の申し出を却下する。
侍女が言っていることは、立場や異性ということを考えると正しい対処の仕方だとは思うが、それをしてしまうといつまで経っても巫女との関係が築けない。
「きちんと私の言葉で、巫女の誤解を解きたいのです。人伝いで説明しても、誠意など伝わらないでしょう?」
「誠意……そう、ですよね。わかりました」
侍女にはまだ少しばかり迷いがあったらしく、考えるように視線を泳がしていたが、少しして何かを決意したように話し始めた。
「……巫女さまは、お忙しいのであまり教皇宮からは出ません。ですので、2人きりでと言いますと、お部屋に直接着ていただくしか方法はないと思います……。ムウさまが、お部屋にいらした時に……私は、こっそりと部屋を退出させていただきます」
「お心遣い、ありがとうございます……では、今晩にでもお邪魔させてもらいますね」
急なことで驚いている侍女に、軽く微笑みながら礼を言ってその場を離れる。
きっとこの侍女なら、言ったとおりに巫女と2人きりにさせてくれるだろうと考えて、次の行動へと移る。
巫女との小さな頃の約束を果たすために、少し前から用意していた物を取りに白羊宮へと戻った。
fin.