□ 予感 □
依頼されていた聖衣の修復にひと段落ついた頃、気分転換にと思い白羊宮の外へと出る。
心地の良い風に当たっていると、ふいに巫女を思い出した。
もしかして巫女にあえるかもしれないという、何の根拠もない理由で教皇宮まで散歩してみることにした。
さすがに自分自身で呆れてしまうが、それでも止められない想いに従うように、教皇宮へと足が進む。
12宮も半分を超えた辺りで、不機嫌そうなミロと遭遇した。
「おや、ミロではありませんか。ずいぶんと機嫌が悪いようですが、どうかしたのですか?」
「ああ、ムウか……先ほど教皇に呼ばれてな。聖域内部で賊が出たらしいのだが、そいつらが誰に雇われたかを吐かせるためにスカーレットニードルで少しばかり拷問をしてきたところだ」
「聖域内部に賊がですか?おかしいですね……簡単に入れることは、まずできないはずですよ。まず、誰かの手引きが合ったとしか……」
ミロは苦虫を噛み潰したような表情で頷く。
それを見て、自分の考えが間違っていないことがわかった。
「教皇もそう言っていたが、その手引きが誰かわからなくてな。普通の人間なら、スカーレットニードルを一発も打てば、痛みに耐え切れずに全てを洗いざらい話す。そして今回も全て話した……だが、肝心の手引きについては、フードを被った奴に前金と兵士の服を渡されただけで何も知らないとしか答えないのだ」
つまり目先の金目当てに、後先のことを考えずに聖域に兵士の格好で侵入し、捕まったということだろうか。
なんて浅はかな者たちだろうと、哀れみさえ覚える。
「その賊は、いったい何を目的に聖域にもぐりこんだのですか?」
「地下倉庫に居る女を痛めつけてほしいという依頼だったそうだ」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
まるで気に食わないから痛めつけろといっているような、あまりにも幼稚な依頼。
馬鹿げているの一言に尽きるが、まさか地下の倉庫にわざわざ行くような女性が居るなんてことがあるのだろうかと考えてしまう。
「地下倉庫に、女性が来ることなどあるのですか?……ああ、女官か女中なら地下に置いてある物を取りに来る可能性がありますね」
「ああ、襲われたのは女中だったそうだ。幸いにも、巫女が発見して未遂で終わったそうだがな」
巫女という言葉に、思わず反応してしまう。
襲われたという女中には申し訳なく思うが、どうしても巫女の方を心配してしまう。
「巫女の方は、無事なのですか?」
「ん、ああ。もちろんだ。アテナの巫女と言っても聖闘士であることには変わりないからな。そこらへんの賊が束になって襲ってきても負けることは、まずないぞ」
「たとえそうだとしても、万が一ということもありえます」
つい本音が出てしまい、ミロが何か珍しいものでも見るような目つきで見てくる。
普段から客観的に物事を見ているだけに、珍しいのだろう。
それよりも、今は巫女の無事を自分の目で確認したいという気持ちの方が勝っている。
「今、巫女はどちらに居るのですか?」
「巫女なら自室に戻ったが、後で教皇の間に来るように呼ばれているらしい。居るとしたら、自室か教皇の間のどちらかだろう」
「部屋か教皇の間ですね……ありがとうございます」
ミロにお礼を言うと、教皇宮を目指して行く。
強いといっても女性であることは変わりないのだから、自分の目で無事かどうかを確認したかった。
それもあるが、ここ最近は巫女に避けられていたので、どんな口実にしろ会いたいという想いもある。
焦る想いを抑えるように急ぎ足で12宮を上っていき、教皇宮へと向かう。教皇宮へ足を踏み入れると、声をかけられた。
「ムウさま?アリエスのムウさまではありませんか?」
「え、ええ。そうですが……」
声のした方を振り向くと、金褐色の髪を高く結い上げた女官が、にこりと微笑みを浮かべて立っていた。
女官は綺麗な動作で一礼すると、顔を上げた。
「わたくしは女官を務めております、カサンドラと申します。ずいぶんと、お急ぎのようでございますが、どうかなさいました?」
「アテナの巫女の無事を確認しにきたのですが……」
「ああ、巫女さまですか。それなら、ご無事でございますよ」
女官は笑みを絶やさずに告げるが、無事なことくらいはミロから聞いていたので知っている。
それよりも、自分の目で早く巫女を確認したかったので、適当に女官を撒いてしまおうと考える。
とりあえず無難に礼を言ってと考えていると、女官は目を何回も瞬かせると急に俯いた。
「どうかしたのですか?」
「目に……っ、ゴミが入ったのかも、しれません……っ」
両手で顔を押さえて俯く女官をないがしろにするわけにもいかず、様子を伺ってみる。
よほど目が痛いのか、女官は両手で顔を抑えたままふらりと一歩進んできた。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……少し、見ていただけますか?」
「かまいませんが……少し、顔を上げてもらえます?」
顔を上げた女官の瞳には、涙が薄っすらと浮かんでいたが充血しているわけではなかった。
もし本当に目にゴミが入っていたのなら、痛みで目が少しでも充血しているはずだと気づく。
けれど見ると言ってしまった以上、見ないわけにもいかなかった。
仕方なく、そっと顔を抑えると瞼の周囲を引っ張って本当にゴミが付着してないかの確認をしてみる。
「……とくに、ゴミはらしきものはついていないようですが……本当に、目にゴミが入っていたのですか?」
「ええ……先ほどは、本当に痛かったのです。もしかして、涙と一緒に流れていたのかもしれません」
困ったように微笑む女官に、妙な違和感を抱いた。
まるで勝ち誇ったような微笑みに見えたからだと気づいたが、それを表に出さずに、軽く微笑む。
「それは、よかったです。では、私は急いでいますので……」
「ええ、ありがとうございました」
礼を取り、頭を下げている女官をその場において、急いで巫女の部屋と向かった。
少しして、廊下のずっと先の方で、シャカが誰かを抱えて歩いている後ろ姿が見えた。
シャカが誰を抱えているのかまでは解らないが、珍しいこともあるものだと興味深げにシャカの方へと近づいた。
まさか自分の大切にしている女性がその腕の中に居るとは、その時は露ほどにも思っていなかった。
fin.