□ 秘なる感情。 □
教皇の間の玉座にゆったりと座ると、この間のことを思い出した。
久々にアテナと巫女と3人での夕食が終わり、巫女が一礼をして席を外すのを見届けていると、アテナが巫女の後を追うように席を立った。
その際、なぜかこちらの方に視線を送り「シオン。無理強いは、いけませんよ」と微笑みながら告げて立ち去った。
やはりあの時、巫女に手を出していたのを見られてしまっていたのかと、ため息を零した。
別に困る理由もないが、それよりも食事中での巫女の反応のほうが大問題だった。
「いったいどこで、何があったというのだ」
あの反応の仕方は、明らかに誰かが心の中に居る。
今まで大切にしていたものを奪われてしまったような錯覚に陥り、到底容認できるものではなかった。
物思いにふけっていると扉が開き、シャカが姿を現した。シャカは玉座の前まで進むと、一礼し膝を折った。
「教皇、お呼びでございますか」
「シャカか……少しばかり、聞きたいことがある」
「聞きたいことでございますか?」
不思議そうに顔を上げたシャカを目の端で捕らえると、なにげないことのようにゆっくりと頷いた。
「この間、巫女からお香の移り香が漂っておった。それが処女宮に漂っている匂いととても酷似してたのでな、巫女に聞いてみたのだが……シャカのところで眠っておったそうだ」
「たしかに巫女は、私のところで眠っておりました。ですがそれは、巫女の体調を思ってのこと……」
「ほう……なら、巫女には指一本触れていないと?」
「……巫女が寝ぼけており、その際に触れてしまったことがございます。ですが私からは、触れてはおりません」
「では、巫女から触れてきたと……そう言いたいのだな」
シャカが嘘をつくとは考えに難い。ならば本当に二人の間には何も無かったのだろうと推測する。
だが、まだ疑問が残っている。よく考えればシャカは自から巫女の護衛をしたいと申し出た。
それはあの時点ですでに巫女に惹かれていたという可能性が高い。それを巫女のそばに置くなど、やはり危険極まりない。
「そうか……なら、もう1つ。燐華の護衛の話をしている時にシャカは自ら志願した……その真意を知りたい」
「真意とは?」
「なぜ、自らが護衛をすると言ったのだと聞いておる」
「燐華は、アテナの巫女でございます。その巫女を守るのも、また我らの使命……」
まさにシャカが言うとおり巫女を守るのも使命だが、シャカが好意を抱いているとすれば、話は別だ。
シャカの方に顔を向けると、探りを入れるように視線を向けた。
「使命か……では問うが、そこには私情が一切入ってはいないと?」
「は?私情でございますか?」
「そうだ。巫女の幼い頃を知っておるが……ずいぶんと美しく成長しておる。さながら、咲きかけの蕾みというところか……だがいずれ大輪の花になることは間違いない。その前に、どれだけの者が吸い寄せられるか……シャカも例外ではなかろう」
「……私情がないといえば、嘘になります」
やはり思っていたとおり、シャカも同じように惹かれていたのだろうと確信した。
「ですが教皇、それは貴方も同じではないのですか?」
微かにだが、どこか自虐めいた笑みが浮かんだ。
もう隠す気など全くなかった。アテナにも気づかれてしまっているのだ、いったい今更自分の感情を押し殺してどうなるというのだ。
今はただ、巫女に嫌われたくはないという想いがあるので、おとなしくしているだけだ。
「教皇、巫女には想い人がいられます」
「ほう、それがどうしたというのだ?」
シャカは驚いたように息を飲んだ。それを見て、面白いものでも見つけたように笑みを浮かべてしまう。
巫女はおそらく、私に信頼の情でも寄せているのだろうということは気づいていた。
その感情を利用して少しずつ距離を縮めているが、少しずつ成果は出ている。本来なら確実に警戒されるであろう行為も、最近では悪ふざけ程度に受け取られている。
「教皇っ……教皇は、巫女の幸せを考えてはいないのですか?!」
珍しくシャカが感情を抑えこむのに失敗したように声を荒げた。
巫女の幸せは重要なことだったが、ふいに幸せの定義とは、いったい何を指して定義としているのだろうかと考えた。
「それは今現在のことであろう……最終的に、幸せになれば問題は無い」
あの首筋に付けた所有の証も、誰かに見られてしまう可能性が高いことも考量し、わざと付けた。
いっそうのこと巫女の想い人に見つかり、そのまま険悪な雰囲気になるなりして、巫女との距離を広げてしまえば良いとさえ考えてしまう。
「教皇……貴方は……」
どこか複雑そうに、それでいて呆然と呟いたシャカに、もうこれ以上は話すこともないと判断する。
シャカから聞きたいことは聞き終えた。今のところ、シャカと巫女との間に何も無いことは解ったが、やはり近くにおいて置くのは危険だ。
さて、どうしたものかと悩んでいると、ふと1つだけ急ぎではないが重要な仕事があったことを思い出した。
元々はカミュに頼むつもりだったが、黄金聖闘士なら誰が行っても変わらぬだろうと考えた。
「この話はもう良い。それよりもシャカ、ブルーグラードに赴いて書簡を届けてくれぬか?」
「書簡ですか?」
「うむ。近々、アテナの巫女のお披露目をすることになったのだが、それに関しての正式な招待状だ。書簡には、その日程などを記載しておる」
「お披露目……?」
本来はカミュに渡すために、あらかじめ準備しておいた書簡を教皇服の袖から取り出すと、シャカへと近づいた。
「今更と思うかも知れぬが、海界も冥界も興味を持っておるようでな……アテナと話し合って一度は姿を見せることにしたのだ。どちらにしろ、巫女も飾りではない。今後、アテナが忙しい時などに代理として勤めを果たさなければならぬのでな」
もっともな事を言い、書簡をシャカに手渡すとシャカは「このシャカ、たしかにお受けしました」と一礼し、教皇の間から出て行った。
おそらく、シャカも巫女から距離を取らされるための任務だと気づいていたのだろうが、断るはずがないとわかっている。
それがただの嫉妬心からの行動だと自覚はあるが、それを止める気はすでに無かった。
fin.