□ 確信ゆえの迷い □



執務室の書類を確認し終わった後、自室に残っている残りの書類の確認をするため、急いで自室へと向かう。
ただでさえ忙しいというのに、余計な仕事が増えてしまい頭が痛い。
廊下を歩いている最中、見覚えるの灰銀色の髪をした女性を見かけ、思わず声をかけてしまう。

「君は……たしか、巫女の侍女のアイカテリネだったか?」
「え、はい。そうですが……あ!サガさま!」

目元を紅く腫らしていて、いかにも泣いた後のようだった。
ここまでの道で、きっと何かあったのだろうと考えた。

「何か、あったのか?」
「いえ、何もございません」

いつもなら、纏わり付かれることや噂を流される可能性を考えて距離をとるが、彼女は巫女の侍女だ。
さすがに放置しておくわけにもいかない。
せめて話しくらいは聞いておいて、後で巫女か教皇にでも伝えておけばいいだろうと判断した。

「そうか。それにしては目元が赤くはれているが……」
「あ、その……これは、……」
「私でよければ、話を聞こう」

安心させるように微笑むと、アイカテリネは少しだけ頬を紅くしてうつむいた。
様子を見るように少し待っていると、躊躇いがちに口を開いた。

「……わたしは、やはり巫女さまの侍女に相応しくないと……。身分も家柄も不相応、役柄にあっていないと……誰も認めてはいないから、と……」
「それを決めるのは、他人ではなく巫女だ。人のいうことなど気にする必要はないと思うが……なにより、アイカテリネは巫女からの指名だ。もっと自分に自信を持て」
「そう、ですよね……。私は、巫女さまに選んでもらったのに……」

少しずつと弱弱しくなっていく声音に、どうしてそこまで落ち込んでいくのかと、不思議に思った。
巫女が望んでいるからこそ巫女の傍にいれる。それだけで十分な答えは出ているはずだ。

「私が言うのもあれだが……アイカテリネは、巫女を信じてはいないのか?」
「え、いえ!巫女さまの言うことは全て信じております!それだけは間違いありません!」

アイカテリネは驚いたように目を見開くと、首を左右に振って必死に訴えた。

「そうか。なら巫女自身がアイカテリネを望んだということも、信じるということだな?」
「は、はい!」
「だったら、何も悩むことはないだろう?」

驚いたように目を見開くと、何度か瞬きをして呆然と「そう、ですよね」と、呟いた。
何かが吹っ切れたように、さっきまでの暗い影はなりを潜めた。

「すみません、サガさま。つい先ほど謹慎処分を受けてしまい、自室へと戻る最中だったんです」
「謹慎処分?なぜそんなことに?」
「私にもよくわかりません。急に女官長のアデライードさまに呼び出されて、自室で反省するようにと……」

女官長の名前を聞いて、そういえば女官長の名前はそんな名前だったことを思い出した。
それよりも、おそらくアイカテリネが謹慎処分を受けたのは、ついさきほどの出来事が原因だなと考えた。

「それで……普段なら、気にしないようにしていた周りの声も……なんだかそれが真実のように聞こえてきたんです」
「周りの声?……ああ、妬みや嫉妬か……」

そういう感情には身に覚えがあった。
それを押さえ込むのがどれほど至難の業か……知っているだけに、相手のことを攻められない。
そしてそれに対する言葉を、自分は持ってはいない。
ふと視線を上げると、深い海のような紺碧色の瞳と目が合った。

「サガさまは……巫女さまのことを、どう思いますか?」
「どうとは……?」
「わたしは、巫女さまが大好きです。心からお仕えしたいと思えた方です……」

幸せそうに目を細め、口元に微かに笑みを浮かべた。
本当に幸福そうに微笑む彼女を見て、彼女は心の底から巫女を慕っているのだと思わされた。
けれどもすぐに笑みを消すと、真剣な表情でこちらを見据える。

「失礼と存じ上げてお聞きします。以前、一度だけ教皇さまに聞いたことがあります……サガさまは、謀反を起こしたことがあると……」

自分がしてしまった過去の行いを思い出し、心臓が跳ねるように動悸が激しくなる。
教皇を暗殺し、教皇へと成りすました。
それどころか偽の教皇だと気づいた彼女を賊として扱い、カミュに後を追わせた。
結果、彼女は氷の眠りにつくことになった。
そのことを、この巫女の侍女は知っているのだろう。
そしておそらく、巫女に害があるかどうかを、判断しようとしている。

「巫女さまは、きっとサガさまのことを恨んだりすることはありません……強い方ですから、受け入れてしまうと思います」

アイカテリネの言うとおり、彼女はその行いさえ受け入れてくれた。
あの時の衝撃は、今も忘れられない。

「ただ、わたしが疑問に思ったんです。……巫女さまは気にしなくても、サガさまはどうなのかと……」

アイカテリネが聞きたいことは解る。 巫女に対して、どういう気持ちを抱いているのかを聞きたいのだろう。
今まで意識することは避けてきた。だが、それを明確にしろと言われている気がする。

「私は……」

光を美しく反射する黒髪に、樹木のような安堵感を抱かせる焦げ茶色の瞳。
容姿は女神アテナと並んでいても、全く見劣りがしない。
聖闘士だったこともあり、凛として力強く、なおかつ包容力があり優しさも持ち合わせている。
正直に言ってしまえば、惹かれるなという方が無理がある。
ただ、自分が巫女のことを想っても良いのだろうか、という迷いの方が強い。

「彼女を、アテナの巫女と認めている……。アテナの巫女である以上、彼女を護るつもりだ」
「そうですか……。失礼なことを、お聞きして申し訳ありません」

本心を隠した当たり障りのない言葉にアイカテリネは満足したらしく、穏やかな笑みを浮かべると深々と頭を下げた。

「いや、気にする必要はない。君は、巫女のことを思って聞いたのだろう?」 「わたしにできることが少しでもあれば、お役に立ちたいんです。今日は、ありがとうございました。では、失礼します」

アイカテリネが立ち去った後に、ふと昼間のことを思い出した。
巫女と手合わせをした時、巫女は戦闘に対する飲み込みが早く、つい手加減を忘れてしまった。
その後、偶然の結果とはいえ、巫女と密着してしまったのは、予想外の出来事だった。
ふいにその時の甘い香りと首に絡んだ柔らかな感触を思い出し、自然と鼓動が早まり顔が火照る。
それを誤魔化すように歩く速度を速めると、急いで部屋へと向かった。




fin.