□ ささいなイタズラ心 □



部屋に戻ってみると、沙織ちゃんが椅子に座って紅茶を飲みながら待っていた。
沙織ちゃんはこちらに気くと、笑顔を浮かべながら立ち上がった。

「おかりなさい、お姉さま。あら、ムウもいらしたのですね」
「ただいま、沙織ちゃん。ついさっきまでムウと一緒だったのよ」
「おはようございます、アテナ。今日はと出かける予定でしたので……」
「あら、そうだったのですか。もしかして、お邪魔だったでしょうか?」

沙織ちゃんの目が、すごく興味がありますと言わんばかりに輝いた。
あまりに好奇心に溢れていたものだから、根掘り葉掘りと聞き出されてしまうんじゃないかと、気おされるように動揺してしまう。

「そ、そんなはことないわ。今日は急にどうしたの?」
「今日はですね、これをお持ちいたしました」

沙織ちゃんに笑顔で紙袋を渡されてしまい、思わず受け取ってしまう。
気になって中を見てみると、手のひらサイズの箱がいくつも詰め込まれているみたいだった。

「えっと、これは……?」
「髪染めとカラーコンタクトレンズです。髪染めは、専属の薬で落ちるタイプ、カラーコンタクトレンズは使い捨てタイプの物にしました。もちろん、度は入っていません」

今から買いに行こうとしていた物が用意されていて、驚いてしまう。
思わず呆然と沙織ちゃんを見てしまった。

「これ、いったいどこから……」
「グラード財団の研究施設で急遽、開発いたしました。もちろん、安全性は考量しています」

たしかに市場に流れている物を買うよりは、ずっと安全かもしれない。
とりあえず中身を出してテーブルに並べてみると、コンタクトレンズの入ったケースと髪染めが入った箱が5,6個ずつ入っていた。
それにトリートメントらしき物と使用方法の書かれている紙が1枚だけ入っている。

「髪色は、チョコレートブラウンにしています。目の色は、青色にしていますが……良かったでしょうか?」
「ありがとう、沙織ちゃん。それだけで充分よ」

「ふふっ……では今から、試していただいてもよろしいですか?」
「え、今から使うの?」
「ええ、感想を聞きたいのですが……ダメでしょうか?」
「そんなことはないけど……」

もしかしてこれは、新しい服を買ったら試着してみるのと同じ感覚なのではと気づいた。
ふと沙織ちゃんを見てみると、とても期待に満ちた目でこちらを見ている。
それを見ると、とても後でなんて言えなくなった。

「わかったわ、ちょっとまってね」
「はい、お待ちしております」

笑顔の沙織ちゃんに見送られ、備え付けられた浴室へと向かった。
そこでアイカテリネに手伝ってもらいつつ、説明書のとおりに髪を染めて、髪の薬液を洗い落とすついでにシャワーを浴びて、コンタクトレンズを装着する。
初めてのコンタクトレンズは、途中で瞼を閉じてしまって着けるのにかなり苦労したけれど、なんとか目に装着できた。
鏡の前で確認してみると、髪色と瞳の色が違うだけで、なんだかいつもと違っていて新鮮だった。

「ど、どうかしら?」
……ずいぶんと印象が違って見えますね。ですが、これはこれで……」
「ムウ?」
「いえ、なんでもないですよ」

なぜかにっこりと笑顔を返してくれたけれど、絶対に何かあると思った。
ムウとは対照的に、なぜか妙に静かな沙織ちゃんを見てみると、何かチェックするようにこちらを見ていた。

「もう一工夫、欲しいところですね……髪を巻き毛にして、化粧は少し濃い目で……」
「あの……沙織ちゃん?」

沙織ちゃんは、真剣に考え込んでいるらしくて反応が無かった。

「本当は黒髪のままの方が、良かったのですが……こんな機会はめったにありませんし、仕方ないですね。アイカテリネさん、化粧道具をお持ちしてもらえません?」
「は、はい!かしこまりました!」

アイカテリネが慌てて化粧台に仕舞っていた化粧道具を取り出し、準備し始めた。
沙織ちゃんは化粧台の椅子を引いて待ち構えている。

「え、ちょっ……2人とも?!」
、諦めましょう。あの様子だと、止まりませんよ」
「さあ、お姉さま。こちらに座ってください」

沙織ちゃんのところまでムウに手を引かれ、椅子の方へと連れて行かれる。
椅子に座ると、化粧道具を持った沙織ちゃんが、ものすごく楽しそうに化粧を施しはじめた。
その間にアイカテリネが髪を巻き始め、あっという間に形が整った。

「ふふっ……これならきっと、お姉さまと気づく人はいません。完璧です」
「まるで別人のようですね……化粧でここまで変わるとは……」

驚くムウと満足そうな沙織ちゃんを他所に、思わず鏡を見つめてしまう。
ゆるやかに波打っていた黒髪が、緩くふわりと巻かれた甘いチョコレート色になっている。
少し濃い目の化粧のせいかもしれなけれど、なんだかいつもより大人っぽい雰囲気が出ていた。

「……なんだか、自分じゃないみたい」

思わず鏡を見つめていると、誰かが扉をたたく音がした。
急いで立ち上がり扉を開けてみると、シオンさまが居た。

「急にすまない。アテナが……」
「……シオンさま?」

どこか呆然とした顔でこちらを見るシオンさまに、何かあったのかと思って首をかしげてしまう。
シオンさまは、少しして何かに気づいたように何度か頷いた。

、その格好は……いったいどうしたのだ……?」
「え、あの……その、沙織ちゃんが色々としてくれたんです」
「なるほど、それでアテナはを探していたのだな……」

沙織ちゃんがシオンさまのところへと近づいた。
普段の女神の微笑と違い、どこか悪戯が成功したような笑みを微かに浮かべているのに気づいた。
たぶん、ちょっとだけ驚かせて見たいという小さなイタズラ心でも沸いていたのかもしれない。
それはそれで、なんだか可愛らしくみえる。

「シオン、驚きましたか?」
「驚くも何も……まさかここまで変わるとは……小宇宙に気がつかなければ、気づかぬところでしたよ」
「ふふっ……女性というものは、化粧ひとつで印象がずいぶんと変わるものなのですよ」
「ほう……さようでございますか。良い勉強になりました」

シオンさまがあまりにも感心したように見てくるので、少し居心地が悪い。
普段と違ってクルクルに巻かれた髪が物珍しいのか、シオンさまは近づくと髪の先に触れるように手を伸ばしてきた。
至近距離から真っ直ぐ向けられる視線に、金縛りにあったように動けない。
そのまま見つめるようにシオンさまを見ていると、ムウに肩を捕まれて後ろへと下がらせられた。

「シオン、物珍しいからといって、あまりを見つめないで下さい。穴が開いたらどうするんですか」
「なっ……少し触るくらいならば良いではないか!それに、そう簡単に穴など空きはせぬ!」
「ふふっ。そうですよ、シオン。気持ちはわかりますが、急な行動にお姉さまも困っていましたよ」
「ア、アテナまでそうは仰いますか……」

気がつけば沙織ちゃんもすぐ横に来ていて、ムウと沙織ちゃんとシオンさまに囲まれている状態だった。
なんだかすごく居づらい。もういっそうのこと、普段の自分の格好に戻りたいと切実に思った。

「えっと、あの、そろそろコレ落としてくるわね」
「あら、化粧をもう落としてしまうのですか?せっかくですし、そのままお散歩に行ってみてはどうですか?」

お散歩と言っているけれど、たぶん詮索に出かけては?という意味なんだと思う。
本来なら、この後はムウと買出しで出かける予定だったんだけど、用事が終わってしまったし、沙織ちゃんの言う散歩をしてみてもいいのかもしれない。
それにこのままの状態で部屋に居るよりも、ずっと気が楽になるかもしれない。

「そうね、とりあえず少し散歩してみるわ」
お姉さま、もし女官長に見つかってしまった時は、アテナ神殿に仕えるものと答えてください」
「そうだな、アテナ神殿ならばアテナに直接使えるものということだ。女官長も納得しよう」

沙織ちゃんの提案に、シオンさまは満足するように目を細めた。
女官長ならさすがに聖域で働いている侍女と女官の把握くらししているはずだから、沙織ちゃんの提案はとても助かる。

「ありがとう、沙織ちゃん。じゃあ、ちょっと出かけてくるわね」
「ええ、いってらっしゃい、お姉さま。また、夕食時に」
「うん、ちゃんと夕食までには戻るわね」

部屋から出るところを見られないように、アイカテリネに誰も居ないのを確認してもらう。
誰も居ないとわかると、急いで廊下を目指した。
扉を開けて廊下へ出ようとした時、なぜかムウに呼び止められた。

、そこまで送りましょうか?」
「ううん、大丈夫よ。それにムウと一緒に歩いていたら目立つでしょう?」

それに侍女や女官達に見られて余計な詮索を入れられたら、後が大変なことになりそうな気がする。
珍しくムウが少し残念そうな顔をしたので、どうしようかと少しだけ悩んでしまった。

「そうですか……がそういうのでしたら、仕方ありません」
「今日はごめんね、ムウ。また後でね」
「はい、また後ほど……」

軽く笑みを向けると、ムウも微笑み返してくれた。
部屋まで来てくれたムウには少し申し訳ないような気がするけれど、また次の機会に誘ってみることにして、今度こそ急いで廊下へと出た。