□ 聖闘士として □



沙織ちゃんが日本へと戻ってしまってからは特になにもなく、いつもと同じようにシオンさまの講義で一日が終わる日々が続いた。
ただ、時々シオンさまが何かを聞きたそうに口ごもり、視線をこちらに向けている時があるけれど、この間のこととムウからの指摘もあり、あまり深入りするのも危険な気がして気づかないふりをして過ごした。
今日もいつもと同じように、シオンさまが部屋に来るまでに朝食と身支度を終わらせていると、控えめに扉を叩く音が聞こえてきた。シオンさまが来たのかと思って扉を開ける。
挨拶をしないとと思って扉を開けると、シオンさまじゃなくてシャカが扉の前に佇んでいた。

「え……シャカ?あ、おはよう。今日はどうしたの?たしか今日は、シオンさまがこちらに出向く予定のはずだけど……」
「すまない、。明日からの任務を言い渡された。傍に入れるのも、今日までになりそうだ」
「そっか……今までありがとう、シャカ。でもまた急よね。シャカが行かないといけないような場所なんて、かなり危険なところなの?」

神に最も近いと言われるだけあって、シャカはかなりの実力がある。
そのシャカに与えられた任務と考えれば、自然とかなり危険な任務だと想像してしまう。

「いや、別に危険な任務ではないのだが……。シベリアの方……海界のあるブルーグラードの方まで出向かなくてはいけないことになった」
「え、そんなところに?それだったらカミュに頼んだ方がいい気がするんだけど……カミュは任務から帰ってないの?」
「私もそういった詳しい話は聞いてはいない。ただ、教皇に書簡を届けるようにと言われたのだが……教皇には教皇の考えというものがあるのかもしれない」

少し困ったように話を濁そうとするシャカを見ると、ますます謎だった。
それだったら別に巫女である私の護衛をしているシャカじゃなくても、他に空いている黄金聖闘士にでも頼んだらいいはずなのに、どうして護衛の任を解いてまで?と、不思議でしかたない。
考え込んでいると、シャカに名前を呼ばれた。ふとシャカを見ると、閉ざされた瞼の向こうの瞳が何かを探るように、ジっとこっちを見ているような感覚に陥った。

「……は、近々冥界と海界に紹介をするという話は聞いているかね?」
「冥界と海界?いえ、とくには聞いてないけど……」
「ふむ……なら、私から余計なことは言わないことにしよう。には、そのうちに教皇自らがお話になるだろう」
「え、ええ。わかったわ。なんだか気になるけれど、とりあえずシオンさまに聞けば良いってことね」

シャカの言うとおり、ここで1人で考えているよりもシオンさま本人に聞いた方がずっと早い。
名案を思いついたように思わず笑みを浮かべると、シャカも小さく笑みを浮かべた。
ふっと空気が緩やかになったその時、場の空気を壊すような声が響いた。

「私が、どうかしたのか?」
「教皇……」
「えっ、シオンさま?!あ……おはようございます」

不意打ちのような登場に驚いていると、シオンさまはいつもと違い何かに苛立っているようだった。
朝からいったい何があったのだろうと思ったけれども、この状態のシオンさまと過ごさないといけないと気づいて少し焦った。

「おはよう、。ここで立っていても仕方なかろう。部屋へと入らぬのか?」
「え、あ、はい。そうですね」

返事を返したとたん、いきなりシオンさまは部屋の中へと入ろうとしてきた。
そのままシオンさまに押される形で部屋の中へ入ると、扉を閉められる。
護衛が今日までなのに、シャカに挨拶らしい挨拶もしていないことに、やっとこの時に気づいた。
シャカの話だと今日はまだ聖域にいるみたいだったので、あとで挨拶に行こうと考えて、シオンさまの後を追って部屋に配置されている椅子に座った。

「シオンさま、今日は何をするんですか?」
「ああ、今回は海界についての話だ」
「海界……というと、ポセイドン率いる海闘士(マリーナ)の話ですか?」
「うむ……それも、含まれるな」

今までの天球図を用いた星読みの計算や過去暦に礼儀マナーと違って、聖闘士としてすごく興味深い話で楽しみになってきた。
一応、海界の基本的な話は知っているけれど、教皇であるシオンさまからとなると、色々な話が聞けるのかもしれないという期待が大きい。
浮き立つ気持ちのまま待っていると、シオンさまはいくつかの資料らしき古い本を2,3冊ほどテーブルの上に置くと、その中から一冊を広げた。





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シオンさまが持ってきた本はとても古く、古語で書かれていて読めなかった。
けれどシオンさまの目的は本の内容よりも挿絵の方だったらしく、軽い説明とともに挿絵の方を指差し、話を続けた。
どの挿絵も色褪せているけれど、鱗衣(スケイル)の特徴はしっかりと書かれていて多少挿絵に問題があっても、どんなものかを想像できた。
海将軍が守護する七つの柱とその中心となっているメインブレドウィナ等の挿絵も描かれていて、もしかしてこの本は読めるようになると、かなり面白いのかもしれない。
挿絵の資料の他に、シオンさまの話も興味深かった。
ずっと昔、城塞都市アトランティスを地上進行のための前線基地としていたけれど、敗戦しアトランティスは無くなってしまった。
でもアトランティスの話は、各地で伝承として残っていることや、アッテカの土地を巡ってアテナと聖戦を繰り広げたこともあったらしい。
漠然と神話の時代から海界とも聖戦をしていたという話だけでなく、過去にどんな戦いがあったのかは聞いていて勉強になった。
今は壷に封印されてしまったけれど、ポセイドンがソロ家の直系を宿主にしている辺りが、アテナ像の前に生誕するアテナと違っていて興味深かった。

「ポセイドンがソロ家の直系ということは……冥界の王、ハーデスも違うんですか?」
「ハーデスか……ハーデスは、その時代の一番心が清らかな人間の身体を寄り代とし、宿る。その際、器とされる人間には六芒星のペンダントを付けて目印とするようだ」
「一番心の清らかな人間……神っていっても、やっぱり色々と違うんですね」

素直に感心していると、珍しくシオンさまが小さく笑っていた。
別に変なことを言ったつもりは無いけれど、もしかして気づいていないだけで口走ってたかもしれないと、ちょっと不安になってきた。

「シ、シオンさま?私、何かおかしなこと言ってましたっけ?」
「いや、が普段と違い、楽しそうだったのでな。やはり、も聖闘士であったのだなと思ってしまったのだ」
「なんだか、微妙に失礼なことを言われてるような気がするような……」

まるで私が、普段は聖闘士の欠片も見えないのにと言われているような気がするのは、なぜだろう。
思わずジーっとシオンさまの方を見ると、シオンさまは笑いを引っ込め、代わりに柔らかく微笑んだ。
綺麗に整った顔立ちで微笑まれると、心臓に悪くて、つい視線をそらしてしまう。
視線だけ逸らすというのも何かおかしい気がして、つい頭ごと横にしてしまった。
シオンさまは、それを機嫌が悪くなったと勘違いしたようで、そっと頭を撫でられた。

「ああ、すまぬ。そう聞こえてしまったのだな。私が言いたいのは、普段のと違い、おとぎ話を催促する子供のように好奇心に溢れておったのだ。きっと話の内容が興味深かったのだろうとは解っていたのだが……。その話が、かつての聖戦で戦った宿敵の話だったのでな、あまりにも聖闘士らしいと思ってしまったのだ」

まさにシオンさまが言ったとおり、聖闘士として話に興味があったのだけれど、それが態度に出ていたということが解ってしまって、さらに恥ずかしかった。
だからつい、本心だけれども言い訳がましい言葉が口をついて出てきてしまった。

「私は、アテナの巫女ですけれど……やっぱり聖闘士です。聖闘士であることを捨てたつもりは無いです」
「そうだな。は立派な聖闘士だ……」

納得するような返事が聞こえると同時に、頭を撫でていた手が離れていった。
暖かなぬくもりが離れ、少しだけ名残惜しいような不思議な感覚があったけれど、それもほんの少しのことだった。

は……聖闘士として、もっと高みへ上りたくはないか?」
「高みへ……?それは、強くなれってことですか?」

それはいったいどういうことだろうと不思議に思ってシオンさまの方をみると、さっきまでの微笑が完全に消えて教皇としての顔がそこにあった。
だから、これには自分自身の答えをしっかりと伝えなければいけないと感じ取り、シオンさまに視線を向けた。

「そうだ。なら、今以上に強くなれる……聖闘士としての小宇宙の高み、セブンセンシズに目覚めてみたくはないか?」

ふいに白銀と黄金の決定的な差は、音速と光速の動きの差とセブンセンシズにあることを思い出した。
そしてシオンさまが言いたいことは、黄金聖闘士と同等の強さを得てみないかと、そう言われているのに気づいた。
たしかに強くはなりたい。けれどそれは、今まで培ってきた何かを失うような、どこか何かが変わってしまうような気がして、ためらってしまう。

「セブンセンシズ……。私は、大切なものを……護りたい……だから、」

ためらってしまい、なかなか言葉の先が出てこない。
それでも返事を待っているシオンさまを見ると、言わなければいけない衝動にかられてしまった。
何かを振り切るように"強くなりたい"と、はっきり告げると、シオンさまは返事に満足したらしく、口角を微かに上げ、小さく微笑んだ。