□ 選択と見極め □



シオンさまのところに行く最中に、アイカテリネを見かけた。
どうも最近この聖域にきたらしく、まだまだ未熟ということで主に下働きの仕事をしているらしい。
声をかけようと近づくと、アイカテリネは大量の分厚い本を抱えて、危なっかしそうに長い廊下を歩いていた。

「ふふっ、今日もがんばってるわね」
「巫女さまっ。あ、ありがとうございます」
「ちょっと貸して、私も手伝うわ」
「そっそんな恐れ多くてできません!」

手を伸ばそうとするとアイカテリネは、慌てて本を持って後ろに下がろうとした。
そのとたん、本が雪崩をおこして降ってきた。
上から降ってくる本を遮るように手を伸ばして、アイカテリネの腕を掴んで自分の方へと引っ張る。
その直後に本がどさどさと音をたてて落ちていく。それをアイカテリネは呆然と見ているが、はっとして振り返った。

「巫女さまっ大丈夫ですか!わ、わたしがもっとしっかりしていればっ」
「私は大丈夫よ。それよりもアイカテリネ、大丈夫だった?」
「巫女さま……巫女さまは、お優しいのですね」

アイカテリネは、どこか寂しげに微笑んだ。それに「そんなことないわよ」と言いながら本を拾い上げていく。
とても小さな声でアイカテリネが"こんなわたしに、優しい言葉をかけていただいて……"と、呟いた。
それに驚いて顔を上げると、まるで何事も無かったようにアイカテリネは本を拾っている最中で、丁度最後の一冊を拾っていた。

「巫女さま、その本もこちらにお渡しください」
「いいわ、私が持つから」
「で、でも……っ巫女さま」
「気にしないで、私が手伝いたいだけだもの。さ、行きましょうか」

アイカテリネの静止を無視して、長い廊下を図書室歩いていく。
すぐ後ろから慌ててアイカテリネが追いついてきた。

「せっかく顔見知りになったのに、巫女さまって少し他人行儀な感じがするわ……別にでいいわよ?」
「そんなっ……恐れ多くてできませんっ」

否定するように必死にアイカテリネは首を左右に振って拒否する。
その必死さに、もしかしてとても遠慮深い子なのかもしれないと考えた。

「そう?私は別に気にしないのに。なら、アイカテリネは、いつもなんて呼ばれてるの?」
「アイネです。近しいものからは、アイネと呼ばれております」
「そう。じゃあ、私もアイネって呼びたいから、アイネもって呼ぶってことでどう?」
「え、あっ、はいっ!それなら、仕方ありません……さま」

少し照れくさそうに、頬を薄っすらと紅く染めてアイネは頷いた。それを可愛いなと思い、つい笑みがこぼれる。
図書室に着くと、すぐに本を元の位置に戻した。とくに用も無いので図書室を出ると、アイネは頭を下げた。

「ありがとうございます。すごく助かりました。アテナさまが気に入るのもわかる気がします。さまと一緒に居ると、とても安心できて……なぜか暖かい気持ちになれるんです……。もっとずっと、お側に居たくなるような……」
「そんな、大げさよ。何もしてないのに……」

どこか夢見るようにうっとりと話すアイネに、佐織ちゃんを思わず重ねてしまった。
もしかしてアイネが気になるのは、どことなく沙織ちゃんに似ているからなのかもしれない。

「ふふっ、さまはご自身の魅力に気づいてないだけです。そういえば、さまはどちらに行かれようとしていたのですか?」
「シオンさまに呼ばれてたの。でもすぐにってわけじゃないから、大丈夫よ」
「教皇さまにですか?!大変!すぐに行ってくださいませ!」

慌てたアイネに押されるように教皇の執務室へと向かった。
扉を叩くとすぐにシオンさまから返事が帰ってきたので、扉を開いて中へと入る。

「シオンさま、ですが……」
か……ちょうど良い」

シオンさまの近くに、もう1人だれか女性がいる。お客様かと思ってみると、女官の服を着ていたので女官だと気づいた。
女官は気づいたらしく、高く結い上げられた金褐色の髪を揺らしながら振り向く。
顔があった瞬間、挑戦的で射抜くような光を宿した瞳とかちあった。
それも一瞬のことで、すぐに挑戦的な光は消え、底の見えないモスグリーンの瞳が柔らかく細められる。

「この者はカサンドラと言ってな、女官をしておる」
「ご機嫌麗しく、巫女さま。女官をしております、カサンドラと申します」

まるで何事も無かったように、にこりと微笑み一礼をする彼女からは、なんとなく違和感を感じた。
女性らしく綺麗に化粧がされた顔には、女官には珍しく真っ赤な口紅が引かれていた。
違和感は赤い口紅のせいかと思ったけれど、まるで固定されたように口角が上を向いて、仮面のように張り付いた笑みだと気づいた。

「以前に話した侍女の件だが、女官長たっての勧めでこのカサンドラを推薦された。家柄も昔からこの聖域に使える名門だ。仕事の面に関しても、問題ない。このことに関しては余の一存で決めようとは思っておらぬ……の好きにしたら良い」

このカサンドラという女官を侍女として側に置いても別に問題は無い。
けれど、最初の挑むような視線が忘れられなくて、どうしても了承が出来ない。。

「シオンさま、少し時間をください」
「わかった。カサンドラ、もう下がってもよいぞ」

カサンドラは扉の前で一度止まり、振り返えると一礼して部屋を退出する。
ふいにアイカテリネを思い出した。カサンドラとは、纏っている雰囲気も外見も正反対でまるで違う。
けれど、側にていてもらうとしたら、カサンドラよりもアイカテリネの方がいいかもしれない。

「シオンさまは、私の好きにしたら良いといいましたよね?だったら、私……アイカテリネという女中を侍女にしようかと思っているんです。もちろん、彼女の了解を得てからですけど……」
「アイカテリネ……?わかった。の望みなら、余の方から話をしておこう」

さっきカサンドラが立ち去った扉が気になるのか、シオンさまは扉をじっと見ている。
不思議に思っていた同じように扉を見ると、扉の向こうの方に誰かが居るような気配を感じた。
その気配を気にしていることがわかった。それもすぐのことで、少しして立ち去ったように気配が無くなる。

は、あの者をどう思う?」
「あの者って、カサンドラですか?女官にしては……あまり女官らしくない方だとしか……」
「そうか……。あの者、立ち振る舞いも動作も完璧なのだが……どうも野心があるように見えるのだ。余の気のせいだと良いのだが……」

シオンさまは少し考えているらしく、真剣な顔で扉を見つめている。
女官の野心と聞いても、どんな野心があるのか全くわからなかった。せいぜい上を目指していることくらいしか想像できない。

「女官に野心?……女官長でも目指しているとか?」
「そうかもしれぬし、違うかもしれぬ……だが、あの女官はなかなか鋭いところを持っておる。それがどう働くかということが問題なのだ……に接することで、彼女にも変化があるやもしれぬ」
「私に接することで……?あの、よくわからないのですが……なんでそこで私が出るんですか?」
のままで、ということだ」

さっきの真剣な表情と打って変わって微笑むシオンさまに、熱が顔に集中するみたいに熱くなって、胸が高鳴った。
心臓に悪いわと思いながら顔を横にそらせると、シオンさまのくすくすと笑う声が聞こえてくる。

「なんですか、それ。意味がわからないです」
は、本当に可愛いな……」

頭を優しく撫でられる。まるで子供にするような優しいその手つきが心地よくて、思わず目を瞑ってしまう。
その時、ふいに囁くような小さな声で"摘み取ってしまいたくなる"とシオンさまが言ったような気がした。
意味がわからずに不思議に思ってシオンさまの方に振り返って見ると、普段と変わらないシオンさまがいる。

「シオンさま、今何か?」
「ああ、気にしなくとも良い」

まるで何事もなかったように返事を返すシオンさまに、さっきの小さな呟きが気のせいのように感じた。
もしかして聴き間違いなのだかもしれないと考えて、追求はしなかった。

「それより、この後の予定は空いておるか?」
「あ……そういえば、ムウと師の墓参りに行く約束が……」

言葉を最後まで言う前に、シオンさまの顔が引きつったように表情が固まった。
もしかして許可が貰えなかったらどうしようと、少しだけ不安になってしまう。

「ムウ、と……?」
「ええ、ムウなら事情を話す必要も無いですし……それにもう、約束したので行かないと」

少し考えるように黙っているシオンさまを恐る恐る見ていると、シオンさまはどこか諦めたように目を瞑り、軽く溜息を吐いた。
目を開けると、どこか困ったように微笑む。

「わかった。本音を言えば、余が付き添って行きたいところだが……仕方あるまい。用事が終わったらすぐに帰ってくるのだぞ?」
「はい!わかりました、シオンさま」

シオンさまの許可を貰えたことが嬉しくて、どうしても顔が緩む。
急いでお礼を言ってきちんと頭を下げると、教皇の執務室を出て白羊宮を目指した。