□ 小さな変化 □



一言で言うなら、最悪だった。あれから知り合いにあって声をかけるたびに誤解されて、なぜか祝い品を貰うということを繰り返した。
目的のインクを買ってからは、これ以上は誤解されたくないため知り合いにあっても声をかけることは控えた。
ただただムウに見つかってしまったことを悔やみながら歩く。

「はぁ~……なんでよりによってムウに捕まったのかなぁ。前も白羊宮の前で発見されたし……」
「白羊宮は、出入り口ですよ?そんなところを見知った小宇宙の持ち主が通り過ぎようとしてるんですから、聖域を出て行くことくらい予想しますよ」
「つまり、小宇宙でばれたってこと?でも私、小宇宙を放出してないわよ?」
の小宇宙は、たまに不安定に揺れているんです。おそらくアテナの血にまだ馴染んでいないのかもしれません」

たしかにムウの言うとおりアテナである沙織ちゃんの血を飲んでからは、たまに違和感を感じることがある。
嬉しかったり楽しかったりすると小宇宙が体から溢れ出しそうな感覚を何度か感じていた。でも実際に漏れていたなんて驚きだった。

「あれ、でも私の素顔を見られた時って……沙織ちゃんの血を飲む前よ?」
「それは、本当に偶然です。雨の音が凄かったので、外に見に行ってたんですよ」
「そう……つまり、私の運が悪かっただけなのね」
「……そうなりますね」

もう少しで町の出入り口に差し掛かったときに、背後から視線を感じた。
思いっきり誰かに見られているような……そう、素人丸出しの気配が背後から注がれている。

「ねえ、ムウ……私の気のせいかな?なんだか後ろからの視線を感じるんだけど……」
「気のせいではありません。私も感じていますから」

完全に町の出入り口を出てから、後ろを振り返る。小さな影が慌てて建物ごしに隠れた。
判りやす過ぎて思わず笑いがこぼれそうになるけど、それを押さえ込んだ。
正体を確かめようと近づこうとしたら、ムウが手を引っ張ってきたので後ろの方に後ずさるように下がった。

、後ろに。……誰ですか、さっきから後を付回してるようですが」

ムウの視線の先、ちょうど小さな影が逃げ込んだ場所から人が出てきた。癖のある赤茶色の髪と青い瞳にまだ幼さの残る顔立ち。
顔にはそばかすが散らばっていて、よりいっそう幼く見えた。10代半ばくらいに見えるその少年に、凄く見覚えがあった。
でも記憶の中では、もう少し幼かったイメージがあったため、半信半疑で見てしまう。

……後つけて、その、ごめん」
「え、もしかして……ルーカス?」
「知り合いですか?」
「うん……町での知り合い」

やっぱりルーカスなんだと、改めて思った。そういえば氷付けにされて二年も経っているんだから、その間に成長しててもおかしくない。
ルーカスは地面の方を見ていたけど、ちらちらとこちらを何回か見ると、やっと目を合わせてくれた。

「果物屋のおばちゃんが、が仮面はずしてたって……それで、婚約したって言うから……俺、信じれなくて」
「はぁ……だから後を着けて様子を見てたの?」
「だって!は聖闘士だろ!?力技なんてできるわけねえよ!もしかしたら弱みでも握られて仕方なくってことがあるかもれしねえじゃん!」

町の人たちのように、凄い勘違いをしているらしいルーカスをみて、なんだか頭が痛くなってくる。
できることならこの誤解を今すぐにでも解きたいけど、良い言い訳が思いつかない。
興奮しながら話しているルーカスをなだめるようにゆっくりと話しかけた。

「別に弱みなんて握られて無いわよ?」
「はあ?!だったらなんで仮面取られてんだよ!」

自分で転んでお風呂を貸してもらって、しかも慌てて出たせいで素顔を晒しましたなんて恥ずかしすぎて言えない。
ここは適当に言って誤魔化そうと決めた。

「……いや、これは……なんていうか、ほら「ルーカスさんでしたか?あなたには関係の無いことです。それはと私の問題ですからね」」
「ム、ムウっ!何言ってるのよ!」

人の話を遮るように割り込んだあげく、平然と言い放ったムウに焦った。これで事態がまたややこしくなると思うと、頭が痛くなる。
ルーカスもルーカスで凄いムウを睨んでいるけど、ムウは相変わらず涼しい顔で受け流している。

「俺は絶対に認めねぇからな!」
「あなたに認めてもらわなくても結構ですよ。私は気にしませんから。行きますよ、
「ちょっ……ムウっ!もうムウったら!!」

ムウは講義の声も無視して、引きずるように手を引っ張って歩く。ルーカスは、やっぱりムウを睨みながらその場立っていた。
どんどんと距離が離れて行くルーカスが気になって何度もムウを止めようと声をかける。
けれど何度名前を呼んでも全く後ろを向いてくれない。町の出入り口からだいぶ距離が離れて少しいらだち始めた頃、やっとムウが振り返った。
そのときに凄い違和感に気づいた。それは感覚的なものに近いけど……ムウにしては、いつもより喜怒哀楽がはっきりしているというか。

「今日のムウ、なんだかおかしいわよ?」
「……たしかに、今日の私は……少し、おかしいのかもしれません」

ムウにしては珍しく、少し俯きかげんで何か考え込んでいるようだったけど、それも一瞬のことだった。
さっきの表情がまるで気のせいだったのかと思うくらい、普通の顔に戻っていた。

「ムウ……いったいどうしたの?」
「気にしないでください。何もありませんよ……それより、ルーカスさんはが好きみたいですね」
「はあ!?急に何言ってるの?何を勘違いしてるのか知らないけど、ルーカスは私に懐いてるだけよ。あの子は昔、孤児だったの。それで盗みをして生きていくことしか知らなかったから、もっと別の生き方を教えてあげたの。そうしたら、あんなふうに懐かれたのよ」
「あれは……懐くというよりも、恋い慕っているんですよ。気づきませんでしたか?」

妙に真剣な雰囲気で言うムウに、いったい何を言い出すのかと笑ってしまう。
ルーカスには今までずっと姉のように接していたし、前に恋愛相談とかされたこともあるので、さすがにそれはムウの思いすごしだと思った。

「あははっ……まさか、それはないわ。きっと姉のように思っているはずよ。あーっ!それよりもどうするのよっ!みんなに誤解されまくったじゃないの!」
「はぁ……彼も苦労しますね。どうするもなにも、が巫女なったからと話してややこしくなるよりもマシですよ。それに結婚と勘違いしたにしても、この荷物……町でお祭りでもしたいのですか?」

ムウの視線の先は、ムウの手を塞いでいる大量の荷物へと注がれていた。
このお祝い品代りの荷物は、無言の圧力がかかっているように見えた。

「わ、私が悪かったわ……」
「わかってもらえて助かります。目的のインクも買ったことですし、帰りますよ」

来たときと同じように、ムウのテレポートで聖域へと移動する。目の前の広がる聖域の光景に、帰ってきたことを実感した。
全くと言っていいほど羽が伸ばせない一日になったことに、こっそりと溜息をこぼした。