□ 追憶の回想 □
沙織ちゃんがアテナだと気づかずに、アテナに向かってタメ口で話してしまった。
そういえば、沙織ちゃんの小宇宙は普通じゃなかった……なんであの時点で気がつかなかったんだろう。
頭を抱え込んで悩んでいると、何かを勘違いした沙織ちゃんが困ったように見つめてたけど、それを気にする余裕も無い。
「お姉さま、どうかしたのですか?頭でも痛いのですか?」
考えてても仕方ないから、とりあえず謝ろうと思い、ベッドから降りると姿勢を正す。
正式なポーズってなんだっけと必死に記憶の中を探って、思い出そうとするけど……あ、習ってなかった。
仕方ないから、適当にするしかない。背筋をきちんと伸ばして、片膝を地面について腕を曲げて頭を下げる。
「申し訳ありません、アテナとは知らずに無礼の数々を……」
「いえ、頭を上げてください。わたしは確かにアテナです……ですが、木戸沙織でもあるのです」
言われてから気づいた。そう、私は沙織ちゃんの人格を否定して、過去のことをなかったことにするところだった。
ゆっくりと顔を上げると、なんだか泣きそうな顔をした沙織ちゃんが居た。
「ですが、私は……」
「普段のお姉さまで居てください。それが、木戸沙織としての、私からの願いです……聞き入れてもらえますか?」
必死さを目に宿してる沙織ちゃんを見てしまったら、断る理由なんてなかった。
聖闘士としての一瞬の迷いがあったけど、ゆっくりと頷くと、嬉しそうに沙織ちゃんが微笑みながら飛び込んできた。それをがっしりと受け止める。
「ありがとうございます!」
「ううん、いいの。私のほうこそ、ごめんね」
コホンと咳払いが聞こえてきて、そこでやっと他の人が居たことを思い出した。
慌てて沙織ちゃんから離れて緑の髪の青年の方へと視線を向けると、どこかあきれたような視線とぶつかった。
「もう話は済んだか?」
「え、ええ。ありがとうございます。えっと、貴方は?」
「シオンじゃ。教皇をしておる」
どう見ても、10代後半の青年を見て疑問に思った。
教皇シオン……あれ、シオンさまってもっとお年を召していたような……最後に姿を見たのは、13年ほど前だったから記憶もおぼろげだけど……え、また偽者?と、思考がどんどんとループしていく。
「久しぶりじゃな。」
「え……本物のシオンさま?……あの、どうやって若返ったんですか?」
「いや、まあ……色々あったのじゃ」
何がどう色々とあったら、こんなに若返るんだろうと疑問に思ったけど、きっと私が氷漬けにされている間の出来事だったんだろうということで、無理に納得することにした。
「それにしても……大きくなったのう。ますます母親に似てきておる」
「お母様は……」
「うむ、知っておる……本当に、残念だったのう。あやつは、聖闘士としても優秀だった……」
過去を懐かしがるような、優しい声で話すシオンさまを見ていると、色々と思い出した。
今はもうこの世に居ない母は、父から聖闘士だったと聞いた。
とても優秀な教皇の弟子だったけど、父と恋に落ちて聖闘士をできなくなったと……。
だから、シオン様は母の師匠でもあるからこそ、心に過ぎるものもあるのかもしれない。
「今までよくがんばったな、」
まだ幼かったあの日のように、優しく頭を撫でられた。
母が死んだ時も、父が死んだ時も、そして聖闘士として強制的に伯父に聖域に送り込まれた時も、まるで現実味が無くて泣けなかった。
なのに、労わるような優しい眼差しと暖かい手で触れられると、まるで心の枷が取れたように、これが現実なんだと急に知覚した。
自然と視界が揺らいで、頬に熱いものが幾重にも流れていく。
「シッ……シオン、さま……ふぅ……ぅっ……うっ」
涙が止まらなくて、嗚咽が漏れる。ふいに、誰かに包まれた。
しっかりとした体つきでシオンさまだと気づいた瞬間、今だけは泣いても良いんだと言われているみたいで、思いっきり縋りついて泣いた。
どれくらいそうしていたかは解らないけど、ずいぶんと落ち着きを取り戻した頃、そっと離れた。なんだか心が軽くなった気がする。
「……っ……あり、がとう、ございます……」
「よい、気にするな」
よくよく考えたら、凄く恥ずかしいことをしていた気がする。ほんのりと顔に熱が集まる。
仮面の中が、泣きはらしたせいで蒸れているので、顔を洗いたいと願うと、気兼ねなく手洗い場を貸してくれた。
そこで顔を洗ってから、やっと一息ついて、二人のところに戻った。
「では、皆のもとに行くとするか」
「皆って……誰か居るんですか?」
「ああ、黄金聖闘士が集まっておる」
頭がまた止まった。アテナの時の衝撃に比べたら可愛らしいけど、今度は12宮を守護する黄金聖闘士が集まってるって……いったい何をした私。
反応が無い私をみて、シオンさまがフッと笑った。
「案ずるでない。ただ、皆が礼を言いたいと申しておったのでな。それだけじゃ」
「ええ。お姉さまのお力添えがなければ、このような奇跡は起きませんでした」
「奇跡……?」
まるで私が奇跡を起こしたような言い方だった。だけど、全く身に覚えが無くて思わず沙織ちゃんを覗き込んでしまう。
何かに察したように、沙織ちゃんが驚いた。
「もしかして、覚えていないのですか?」
「沙織ちゃんに力を貸したことは覚えてるけど……それが何に使われたのかは知らないの」
「そうですか……あの、どうして氷の中にいらしたのですか?」
沙織ちゃんが戸惑いがちに聞いてきたところをみて、今まで気を使っていたのかもしれない。
「う~んっと、エリダヌス座の聖衣を授かった時に、嬉しくてシオンさまに会いに行こうとして……合いに行ったら、別の人が教皇になってたでしょ?だから貴方は誰って聞いたら、敵として扱われたみたいで、たまたま教皇と謁見していた水瓶座の黄金聖闘士に追われるはめになったのよ。まあ、確かにいきなり乗り込んだ私も悪いかもしれないけど……」
「まあ……それで氷の中にいらしたのですね」
「全く……仕方ないとはいえ、あやつは碌な事をしておらんな」
沙織ちゃんとシオン様は二人揃って溜息を吐いた。たぶん、二人ともあの人物の正体と私が狙われた原因を知っているかもしれない。
「それで、あの人は誰だったの?」
「あれはのう……双子座のサガだ」
「はい……?」
確かアテナを守るのが12宮を守護する黄金聖闘士だったはず……いったい何を間違ったらそうなるのかが謎だった。
「いや、まあのう……気持ちは解るが……あれでもれっきとした黄金聖闘士だ」
「少し、複雑な話になりますが……」
沙織ちゃんは、私が知らない今までの経緯を話してくれた。
双子座はその性質ゆえに悪と善の二つの人格を持ち、そして悪が勝ってしまい、まだ赤ん坊のアテナの命を狙ったこと。
そしてアテナは、射手座の黄金聖闘士により日本に逃れたこと、そこで偶然私と出会ったこと。
そして全てを知り、偽のアテナとして扱われながらも聖域に戻り、青銅聖闘士たちと共に、教皇に成りすましていたサガを倒し、サガの悪の心も砕いたこと。
そして、ポセイドンと戦いハーデスと戦い、沢山の聖闘士たちの命が散ったこと……もう聖戦が終わっていることには驚いた。
「そっか……聖戦は、もう終わっていたんだね……」
「ええ。皆さんのおかげで再び平和になりました……そしてここからが、重要なのです」
今までのことを淡々と話していた沙織ちゃんの空気がガラリと変わった。思わず、息を呑んでしまう。
「先ほどお話したお姉さまの奇跡という話に関わる話です。聖戦が終わりました。けれど……わたしは、疑問に思ったのです……本当にそれは正しいことなのかと……本来、このような考えは神としては失格なのでしょうね」
沙織ちゃんは少し目を伏せる。確かに、聖戦は古来から何度も繰り返されてきた。
そして、それはアテナが率いる軍勢とハーデス軍は、常にどちらの戦力をも失う。
「そして、私はアテナです。ですが、命を失ったものを復活させるほどの力は無かったのです……確かに、知と戦いの女神であることは違いありません。けれど、属する力が違います」
氷の中での記憶が薄っすらと蘇る。悲しみに嘆いていたのはそういことだったんだと、納得してしまう。だけれども、ひとつだけ疑問がわいた。
「でも……私の力は、いくら蓄えられていたっていっても、神には及ばないわ」
「ですが、とても大らかで慈しみある小宇宙を感じました……慈愛に溢れ、それでいて凛としている小宇宙。とても、神に近い小宇宙です。恐らくですが……お姉さまにそのような潜在的能力が秘められているのでしょう。それが、長期にわたり蓄積されていたのでは、と考えられます」
あまりにも話が大きすぎて、なんだか頭が追いつかない。そもそも私にそんな潜在的能力があるなんて、とてもじゃないけど信じられない。
戸惑っている私に、沙織ちゃんは軽く微笑んだ。
「今は、信じられなくてもいいのです。ただ、それが事実だということは、忘れないでください」
まだ漠然として納得できずにいたけど、それでも頷く。
横から「今は、それでよい。では、教皇の間へ行くぞ。」と声が聞こえ振り向くと、シオンさまは先に進んでいた。
慌てて、シオンさまの後を追うように一緒に教皇の間へと向かっていった。