□ 束の間の休息 □




インクが切れたので買いに行きますとこっそり書置きをして、部屋から逃げ出した。
任命式が終わり、巫女の部屋となった客室に通された次の日からはいきなり勉強が始まった。
本当に息が詰まるような思いで、朝から晩まで勉強勉強勉強……思わずため息がこぼれる。
まだ礼儀作法は巫女としての振舞い方や挨拶の仕方や微笑み方の訓練ぐらいまでで、なんとか耐えれるけれど……問題は星読みだった。

「あれをどうしようっていうの……だいたいそれぞれの星の意味合いも星の座標も星の属性も全部暗記でなおかつ今後の星の動きを計算して先を読めって?!しかも過去の異変が起きたときの天球図の文献ってどれだけあるのよ!あの資料と一日中睨めっこしていたら頭がおかしくなるわよ!」

さすがに息抜きが必要だと自分で判断をして、町へと繰り出すことにした。
そこからは早かった。部屋に来た女官に無理に頼んで女官の服を借りて、シオンさまが来る前に十二宮を駆け下りていく。
調子よく12宮を下っていき、あと少しで12宮を突破できるところまで来たのに、見覚えのある声に止められた。

、どこに行くんですか?」
「あ……ムウ。ちょっと、散歩に」
「その格好で、ですか?」

ムウの視線が来ている服に注がれる。
本来なら、沙織ちゃんが用意してくれた巫女の服を着用しないといけないのに、今来ている服はどう見ても女官が着ている質素な服だった。
どうやって誤魔化そうかと考えて、視線が泳いでしまう。でも、感の良さそうなムウを騙し切ることなんてできない気がする。

「あ、あはは……見逃して、くれない?」
「ダメです。いったいは、何を考えてるんですか?自分が巫女という立場を忘れたんですか?」
「ちょ、ちょっと息抜きしに街に出かけようとしただけじゃない!」
「だったら、教皇かアテナに頼んで許可を貰ってから出かければいいじゃないですか」

たしかに正論だ。私だってそれくらいは、きちんと分かっていて二人に頼んだ。
でも二人は、身の安全と周りが落ち着くまではと言って許可をくれなかった。

「ちゃんと頼んだわよ!でも、もう少し落ち着いてからって言われて……それで……」
「勢いで、出てきたと言う訳ですか……」
「で、でもっ!ちゃんと、インクを買いに行きますって書置き残してるから……大丈夫よ」

このままだと時間ばかり経って、見つかってしまう。なんとかしてムウを巻かなければと気ばかりがあせる。
いっそうのこと、強行突破するべきかと悩んでいるとムウの溜息が微かに聞こえた。

「はぁ……仕方ありませんね。私が護衛として付いていきます」
「はあ?!なんで私がムウなんかと一緒に行かないといけないの?」
「……自室まで、戻りますか?」

ムウがにっこりと微笑む。その微笑に、冷や汗が背筋を伝って流れ落ちる。ここで断れば、確実に戻されることを悟った。
なら、我慢してムウと一緒でも街に行くべきかと悩んだけど……街でまいてくれば問題ないと判断した。

「わかったわよ。ムウと一緒に行けばいいんでしょ」
「ええ、そうです。では、行きましょうか」

前に進んで歩いていくムウの後を慌てて追いかける。12宮の入り口を少し通り過ぎるあたりでムウが止まった。

は、いったいどうやって街に行くつもりだったんですか?」
「え、それは……走ってだけど?たまに訓練で街まで走ったもの」
「はぁ……やはりそうですか。それだと時間がかかるので、私のテレポートで行きましょう」
「テレポート?別に早く着ければそれでいいけど……」

ムウが手を乗せなさいといわんばかりに手を差し出す。
そういえば、実際に見たことはないけど、ムウはテレポートとサイコキネシスが得意だという話を思い出した。

「さあ、手を。そして目を閉じていてください」
「う、うん」

そっと手を乗せて目をつぶると、暖かな小宇宙が流れ込んできた。穏やかなのに力強い、ムウの黄金色の小宇宙。
それがなんだか全身を満たしていくようで、とても不思議な感覚。次に重力の流れに逆らうような、ふわりとした感覚が全身を襲った。

「着きました。もう、目を開けてくれてもいいですよ」

目をそっと開けてみると、そこは街へ続く道沿いの片隅だった。少し遠くのほうに、街の入り口が見える。

「うわ……本当に着いてる」
「当たり前ですよ。テレポートしたんですから。ほら、行きますよ」

ムウと一緒に街に向かって歩き出す。久しぶりの街への買い物は、凄く嬉しくて楽しい、思わず顔が綻んでくるのが自分でも分かる。

「行く場所は決まっているんですか?」
「うん。ちょうどインクが切れてて、書置きにインクを買いに行きますって書置きしてるから、インクを買わないと」

街の中に入るとても活気があり賑やかだった。昼間なのせいか買い物をする人で街は込み入ってる。
このまま人ごみに紛れればムウをまけるかもしれないと思い、さっさと人ごみの中に飛び込もうとすると、右手を誰かに捕まれた。
振り返ったらムウが手首をしっかりとつかんでいた。

「な、何するのよ」
が迷子にならないように、手を繋いだ方がいいかもしれません」
「迷子って……いったい人をいくつだと思ってるの?ならないわよ、迷子になんて」
「そうですね……ですが、私も護衛として着いてきているので、それくらいは我慢してください。それに、故意的に迷子になる可能性も捨てれませんしね」

最後の一文を微笑みながら言い放ったムウを見て、息を呑んだ。完全に私の動きを読まれている、そう理解できた。
手首を握っていたムウの手は、私の右手を繋ぐように握ってくる。断る理由が思いつかないので、そのまま溜息をついて諦める。

「はあ……わかったわ、手を繋げばいいんでしょ!繋げば!」
「ええ、わかってもらえて助かりますよ。では、行きましょうか」

非常に不本意だけれど、ムウに手を引かれるまま街の中を歩くことになった。
そしてそのままの状態で雑貨屋へと向かった。