□ つかの間の逢瀬 □



あれからシオンさまはとくに何も言わなかった。
たぶん、沙織ちゃんがいるから何を言っても静止されることがわかっていたのかもしれない。
食事も終わり、部屋の前で待機していたシャカに連れられて部屋へと戻ろうとした時に、沙織ちゃんに声をかけられた。

お姉さま、せっかくですから一緒に寝ませんか?」
「え、いいけど……沙織ちゃんのベッドで……?」

以前、沙織ちゃんが石のベッドで眠っていたのを思い出した。
あの後、シオンさまの講義での小休憩にシオンさまに話してみると、考えるといってそのままだったので少しだけ気になっていた。

「ああ、それなら別室にベッドを配置してもらいましたので大丈夫ですよ」
「ということは……石のベッドは、あのままってこと?」
「ええ、あれがないと何か物足りないような違和感があるのでそのままです」
「沙織ちゃん……それ、相当なじんでるんじゃあ……」

もしかしてあのままでも良かったのかもと、複雑な心境だった。
沙織ちゃんは、どこか茶目っ気を含む笑みを浮かべると、少しだけ頭を横にかしげた。

「ふふっ……見慣れてしまって、もう置物みたいなものです」
「あると落ち着くってことね」
「ええ、落ち着きます。けれど、使うには不便で仕方ありませんでした。お姉さまの気遣い、とても助かりました」
「そんな……気にしなくてもいいわ」

結果的には良かったのかもと、思わず苦笑が出てくる。
すっかりシャカを放置していたのを思い出して、慌ててシャカの方を振り返った。

「ごめん、シャカ。私、沙織ちゃんのところで眠るわね」
「ああ、わかった。では、私は部屋に戻るとする」

立ち去るシャカを見送ると、誘われるままアテナ神殿の奥にある、沙織ちゃんが普段使っている寝室に向かった。
寝室に入ると本当にベッドが設置されていて、しかも天蓋付で装飾も細かく所々に金色の輝きが見える。
どうも金具の部分に金の飾りが付いているらしく、さすがは女神が使用するベッドと感心してしまった。
寝巻きに着替えてベッドに向かうと、すでに沙織ちゃんがベッドで待っていたので、沙織ちゃんの横に入った。

「ふふっ、こういう風に眠るのって少しだけ憧れていました」
「なんだか、すごく女の子らしいことをしている気分だわ……」
「あらお姉さまったら……お姉さまも女性だって事、お忘れではありません?」

沙織ちゃんの言うとおり、うっかり忘れてしまうこともある。
女を捨てて聖闘士として生きてきたのに、仮面の下を見られてもすぐには女らしくなんてなれない。
それにムウに素顔を見られたのは想定外だったのだし、まして恋人関係なんて当時の私から見たらびっくりしすぎて挙動不審になってるかもしれない。

「そ、それはたしかにそうだけど……ついこの間まで仮面を被ってたんだし急には……」
「それもそうですわね。でも、こういうのも楽しくありませんか?」

たしかに、なんだか内緒話をしているみたいで楽しい。
少しだけ視線を沙織ちゃんの方へと向けると、視線が合い二人でくすくすと笑った。

「うん、楽しいかも」
「そうでしょう?」

その日の夜は、夜が大分更けるまで色々な話をした。
乗馬が好きでよくしていたことや、おじいさまのプラネタリウムでの話も聞いていて楽しかった。
私も聖闘士での修行で失敗談や嬉しかったことなどをたくさん話し、やがて気づいたら沙織ちゃんと2人で眠ってしまっていた。
翌日の朝早くには沙織ちゃんは仕事があるからとシュラとアフロディーテを護衛につけて日本へと戻っていった。


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 前日にアテナ神殿で寝泊りするからとシャカに伝えてたはずなのに、シャカは現れなかった。
任務を確実にこなすシャカにしては珍しくて、きっと何か大事な用事でもあったのかもと考えたけれど、もしかして時間が早すぎたのかもしれないことに気づいた。
よく考えたら、沙織ちゃんが6時に出立したので、まだ7時にもなっていない。
それに朝食の時間までまだ1時間以上もある。

「もしかして、今なら自由に行動できるんじゃあ……?」

これは、ある意味チャンスかもしれないと思い、瞑想するように小宇宙をできるだけ抑える。
そして周囲に人が居ないかを確認するとアテナ神殿から白羊宮めがけて12宮を駆け下りた。
白羊宮の居住区域に入ると、リビングの方へと向かい、扉を静かに開ける。
まだ早い時間に朝食の準備をしているムウの姿が見えた。
ムウはすぐに気配に気づき振り返った。ムウにしては驚いたらしく、どこかきょとんとしている。

?」
「おはよう、ムウ」

なんだかムウの反応が可愛くて、くすくすと微笑むと、扉からの短い距離を駆け足で走りムウめがけて飛び込んだ。
ムウは戸惑いながらも、がっちりと両腕で受け止めてくれた。

「どうして、ここに?」
「昨日の夜、沙織ちゃんと一緒に寝たの。それで沙織ちゃんが早朝に出立したからアテナ神殿の入り口まで見送ってたんだけど、部屋に戻ろうにもシャカが来なかったの。それで、つい……着ちゃった」

ちょっとした悪戯みたいに小さく笑みを浮かべるとムウは、どこか困ったように穏やかに微笑み返した。

「まったく、貴女って人は……。見つかったら、怒られるかもしれませんよ?」
「その時は、その時よ。……まあ、それは軽い冗談で……ただ、ムウに会いたかったら……」

愛しいという想いから、緩やかに微笑み告げる。
言葉を最後まで言い切る前に、顎に手をかけて上を向かされ、口付けられた。

「え、ぁ……んっ」

いきなりのことに驚いてしまったけれど、目をつぶり受け入れるようにそっと背中に手を回した。
抵抗することもなく受け入れていると、だんだんと深くなってくる。
日の光が差し込んできて、まだ朝だということを思い出して袖を何回か引っ張ると、仕方なくという感じに離してくれた。

「ムウ、まだ朝なんだけど……」
が可愛すぎるのが悪いんです」

可愛いという言葉になれなくて、恥ずかしくて思わず視線を逸らしてしまう。
ムウは照れていると気づいたらしく、くすくすと小さな笑いを零すと「やっぱり可愛いじゃないですか」と言いながら抱きしめてくる。

「なに、それ……。そ、それより貴鬼くんは?」
「貴鬼なら、まだ寝ていますよ。昨日は遅くまで、がんばっていたようですから」

まだまだ幼さの残るムウの弟子を思い出した。師にあたるムウと違い、とても感情の豊かそうな子という印象だった。
遠く離れたジャミールから聖域まで来るくらいだから、修復師と聖闘士の修行にすごく励んでいることはわかる。
きっと彼は、次代の牡羊座アリエスの黄金聖闘士になり、先代達の想いを引き次いでいくのだろうと思うと、感慨深いものがあった。

「ふふっ、貴鬼くんはきっと、立派な聖闘士になるわね」
「そうなってほしいところですね」
「あら、ムウの弟子だもの。きっとなるわよ」

ムウが何を作っていたのかを気になって、そっとムウから離れると台所の方へと向かう。
台所のテーブルの上には、シンプルに野菜サラダとベーコンエッグが用意されていた。
辺りに香ばしい匂いが漂っているから、たぶんパンをまだ焼いている最中だと思う。
少しご馳走になろうかと考えたけれど、きっと部屋に戻れば朝食が用意されているかもと思ってあきらめた。
急に寒気らしきものを感じて振り返ると、ムウが恐ろしく冷めた目で見ていた。
いきなりのことで混乱してしまい動けなくなってしまった。

……首筋のそれ、いったいどいうことですか?」

ムウに言われてから、シオンさまに付けられた跡が首筋にあるのを思い出した。
沙織ちゃんの話で昨日の夕食には気づいていたのに、眠ってしまってそのまま忘れてしまっていた。
首筋を隠すように掌を当て、自分の失態に後悔した。
こんな跡、さっさと隠してしまえばよかったのに、どうして何も考えずにここまできてしまったのかを悔いる。
ただ、ムウの静かな怒りを肌で感じてしまい縮こまるだけしかできなかった。