□ 噂に潜むもの □



いわれたとおりに自習をしようと思い、シオンさまが以前に持ってきた古い歴史書を本棚から取り出して開くと、教わったとおりに古い文字を解読して、朗読する。
ムウは古い文字が読めるらしくて、たまに読み間違って内容の意味が解らなくて悩んでいると教えてくれた。
シャカは朗読するのを静かに聴いていたけど、たまに疑問に思ったことを色々ときいてくる。
そのたびに色々と考えるけど、どうしてもわからなかったら関連の資料を調べていく。
ふと窓の外を見ると、空が薄暗くなり始めていて、ずいぶんと時間が過ぎていたことに気づいた。

「ムウたちは用事とかなかったの?ほら、鬼貴くんとかの様子を見に行ったり瞑想の続きをしたりとか……」

人数が多いせいか、いつもシオンさまと二人きりの時よりも賑やかで穏やかな時間だった。
すっかり時間のことを忘れてしまっていて、2人に用事があったら申し訳ない。

「瞑想はここに来るまでに終わらせたが……」
「鬼貴なら大丈夫ですよ。終わったら自分から私のところに報告に来るはずです」

二人そろって、まるで当たり前のことのように返事を返してきて、なんだか安心してしまう。

「そ、そう。でもそろそろ沙織ちゃんのところに行かないと……」
「もう時間ですか……」

窓の外を見ると、ムウは少し残念そうに息をついた。

「うん。だから着替えたいんだけど……」
「着替え?そのままでも十分ではないかね?」
「さすがにちょっと……それにほら、黄金聖闘士全員集まるから、ちゃんとした服を着ないと……」

珍しくアテナと教皇、そして黄金聖闘士全員が集まるのに、さすがにいつもどおりの服装は、まずいと思う。
一応、クローゼットに正装としての服が用意されているし、たまにはアテナの巫女として、ちゃんとした服装をしないと。

「仕方ありません。部屋から出ましょう、シャカ」
「着替えなら仕方あるまい」

ムウとシャカが部屋の外に出ると、まるでタイミングを計ったようにアイカテリネが部屋に入ってきた。
アイカテリネは扉の外が気になるらしくて、何度か扉の方に視線を送っていた。

「扉の外に何かあるの?」
さま、ムウさまとシャカさまが扉の外でお待ちしているようですが……」
「え、2人とも先に行ったんじゃないの?」

確認するために扉を開けてみると、扉のすぐ横に2人とも並んで待っていた。
2人ともすぐに気づいたらしく、こちらの方に振り返ってくる。

、準備は終わったのですか?」
「まだだけど……ムウとシャカは、先に行かないの?」
「行く先は同じですから、ここで待っていようかと……」

ムウの言うとおり、行き先は同じだけど、準備にすごく時間がかかりそうだから、待っていてもらうのは気が引ける。

「でも、結構時間がかかるかもしれないし……」
「別にかまいませんよ。向こうで待っていても、同じでしょうから」
「ふむ、どちらに居てもかかる時間は同じだ」
「……2人ともありがとう」

お礼を言うと、2人とも微笑んだ。
それにつられるように微笑み返すと、扉を閉めて急いで部屋に取り付けられた簡易の風呂場で湯浴みをした。
時間もないから、あまりゆっくりをしていられず、急いでお風呂から出るとアイカテリネが小さな壷を持って待機していた。

さま、香油のご用意をしていますので、こちらへ」
「え、ありがとう」

寝室に用意された防水シーツへ寝転がると、人肌に温められた香油を塗られてマッサージされる。
香油から花のような甘くてすっとした心地の良い香りがふわりと流れてきて、とても安らいで眠い。
もう少しで眠りに落ちそうな時に、ふとシオンさまのことを聞いておくと言っていたのを思い出した。
腕にも香油をぬるかたお体勢をかえたついでに、アイカテリネに尋ねてみた。

「そういえば、シオンさまって女官長と仲が良いの?ほら、そういう噂とかがありそうな感じがするし……」
「教皇さまとアデライードさまですか?……女官の噂話はあまり流れてきませんが、大変仲が良いという話なら聞いたことがあります」

そういえば最初にシオンさまに紹介されたときに、シオンさまは信用していたような気がする。
でも好意があるかって言われれば、信用はしていたけれど、それは好意からくるものではなかったかもしれない。

「シオンさまとアデライードがすごく仲が良いってこと……?」
「はい。女官長は、シオンさまが教皇に復帰してから指名されたそうですが……その、指名されるということは、それなりの関係か考えがありまして……」

アイカテリネは動きを止めると、なんだかすごく言い辛そうに視線を泳がした。
少しして、躊躇いがちにアイカテリネが口を開いた。

「その、ですね……さまが巫女となる前は、アデライードさまがシオンさまと良く一緒に歩いているのをお見かけしました」
「シオンさまが復帰後が一番忙しかったって言ってたから、その関係じゃないの?」

アテナの帰還と聖戦の後処理で、寝る時間もほとんどないくらいに忙しそうだったから、女官に指示を出す女官長ともある程度は連帯はあったはず。
どうして一緒に歩いているだけで、そんな風に見られているのか謎だった。

「そう言われてみれば、そうですが……その、アデライードさまとシオンさまが、抱き合っているのを目撃したという方もいまして……他にも、顔を赤くしたアデライードさまを抱きかかえて部屋に入っていかれたなども……」
「抱き合ってたり、部屋に連れこんでたりって……本当に?」
「はい……その頃は、色々な憶測が流れていましたが、やはりその……密かに想い合っているのではということで収まりました」

さすがに驚いたけれど、教皇としてのシオンさまを知っているから信じられない。
それにしても抱き合ってたというのには、少し前にどこかで似たようなことがあった気がする。
その時は、すごい勘違いをしてしまったけど、結局はムウが動いて誤解だって気づかされたんだっけ。
でもシオンさまと女官長のことをよく知らない人が聞いたら、たしかに2人が恋人だって思ってしまうかもしれない。

「え、それって……もしかして聖域で働いている女官と女中が全員、シオンさまとアデライードが密かに想い合っているって信じているの?」
「女官の方々は解りませんが、女中の大半はそう考えていると思います」

そういえば、前に女官の人たちが女官長に言えばいいだけってことを言っていたのは、そういうことだったんだと確信した。
それにしても女官だけじゃなくて、女中もそう考えているっていうのが気になる。

「もしかしてアイネもそう思っていたの?」
「他の女中の方に、そう教わったのはたしかですが……さまの侍女を背任して以降、噂は噂でしかないことを知りました」
「え、どういうこと……」

思わずアイカテリネの方を見ると、なぜか嬉しそうに微笑んでいた。

「教皇さまは、さまのことをとても大切にしていらっしゃいましたから……」
「そ、そう?いつも同じように見えるけど……」
「そうでしょうか?普段、私達の前で見せる顔とさまの前で見せる顔がずいぶんと違いますが……」
「そんなに違うの?」
「はい。普段は教皇として近寄りがたい威厳に満ちていますが……その、さまのことになりますと、近寄りがたさが消えて、とても人間味に溢れる方に見えます」

なぜか眩しいものを見るように幸せそうに目を細めて、嬉しそうに話す。
アイカテリネの言うとおり、シオンさまと話す時に堅苦しさを感じたことはない。
むしろ最近は、距離がすごく近くなってきて、身近にいる存在な感じさえする。
自分が巫女で、シオンさまが教皇だから、仕方ないと言えば仕方ないけど……でも訓練をしていて押し倒してきたり、首筋に吸い付いたりは少しおかしい気がする。

「たしかに近寄りがたさはないけど……あれが人間味に溢れるってことなのね……過剰なスキンシップに見えるけど」
「……過剰なスキンシップですか?」

不思議そうに尋ねてくるアイカテリネに、説明しづらくて黙ってしまう。
ふいに、小部屋でもっとそれ以上のことをされたのを思い出してしまったけれど、必死に頭の中から追い出すように、考えないようにした。
ムウの言うとおり、きっと忘れてしまった方がいい気がする。

「……ごめん、何も聞かないで」
「わかりました」

アイカテリネは何かを察したらしくて、それ以上は何も聞かなかった。
とりあえず、シオンさまと女官長が抱き合っているところを目撃されていて、二人が恋仲だと思われているということは、一度話しておいた方がいいかもしれない。