□ 温度 □
日がずいぶんと落ちた頃、満たちに委員会の仕事で遅くなるからってメールをしたら、"わかりました、ついででいいので帰りに大根も買ってきて欲しいんですけどいいですか?"ってメールが帰ってきた。
「なに携帯いじってるの?ずいぶんと余裕だね」
「あ、あはは…すみません。帰るのが遅そうだからメールで遅くなって伝えたんです」
「そう、ならいいけど」
なんだか視線が痛かったから"いいよ"ってメールを返すとポケットにしまい込んだ。早く帰らないとと思いながら書類に目を通してはサインを書いていくという作業を進めていく。結局、日が完全に沈んだ頃に終わって時間を見るともう七時に差しかかる頃になってた。
「やっと終わったぁ~」
「ご苦労様。結構時間がかかったね」
首を回して、めいいっぱい背伸びをして肩をほぐしていると、かちゃんと食器が重なる音がした。目の前を見てみると恭弥さんが紅茶を入れてくれたらしく、湯気のたった紅茶が目の前に置かれていた。なんだか、ものすごく違和感が出てきた。恭弥さんっていつもこんなことしないのに…むしろ私に入れさせてたぐらいで…そっか、きっと熱でもあるんだとか思って立ち上がると恭弥さんの額に手を置こうとしたら、なぜか手をつかまれた。
「、何するつもり?」
「はい?えっと、熱でもあるんじゃないかと思って熱を測ろうとしたんですけど…」
「君ってそうとう失礼だよね…」
「え…あ、ごめんなさい。こうですね」
手をつかまれたせいで相当近くなった距離を利用して、額と額を合わせてみた。だいたい私と同じくらいの温度で少し高いくらいかなって思ってたら恭弥さんが勢いよく後ろに下がった。
「熱はないみたいですね。それにしてもなんでそんなに後ろの方に下がるんですか」
「いつもそんなことしてるの?」
「そんなことってなんですか?」
そんなことって言われていったいなんのこと言ってるのかわからずに聞き返すと、なぜかため息をはかれた。本当に言ってる意味がわからないからそのままじっと恭弥さんを見てると、心なしか顔が少し赤い気がする。
「いつも、そうやって熱を測ってるのって聞いたんだよ」
「これは私が熱を出した時に満ちるがよくしてくるんです。だからこっちの方がいいかなって思って」
「へぇ。まさか他の人にもした?」
「いえ、恭弥さんが初めてですけど…」
「そう、ならこれからは僕以外するのは禁止だよ。測るときは必ず手で測ること。わかった?」
「え、あ、はい。わかりました」
頷くとなぜか機嫌がよさそうに見えた。ちょっとだけ不思議だったけどあまり気にしないことにして、下を見るとさっき入れてくれた紅茶が目に入って、もったいないから飲もうと思って手をつけると横から「それもう冷えてるよ」と言われたから「せっかく入れてくれたんだからいいですよ」とだけ答えて口に運ぶと、以外に美味しかった。紅茶ってこんなにも美味しくなるんだって思うくらいに美味しくて思わず感心して手が止まる。
「なに。なんか文句でもある」
「いえ、紅茶ってこんなに美味しかったんですね。初めて知りました」
「当たり前だよ。僕が入れた紅茶が不味いとでも思う?」
「そうですよね、美味しくて当たり前ですよね」
やっぱり、できる人ってとことん違うんだなってちょっとだけ思った。それにしてもなんでもできそうなタイプで結構ずるいかもとか思って最後の一口を口の中に流し込んだ。香りが口いっぱいに広がるとなんだかちょっとだけ幸せな気分になった。
「そろそろ帰るから早くしたくしてよ」
「あ、はい。紅茶ごちそうさまでした」
立ち上がってすぐに、カップとソーサを洗い片付けると、書類をまとめて恭弥さんに渡してからカバンをつかむ。急いで応接室から出ると後から来た恭弥さんが鍵をかける。その後はいつもどおり校門のところで待っててバイクの後ろに座るとそのまま学校から離れていく。途中で何か忘れてる気がしてるなぁ~とか思ってたけど思い出した…大根買わないと。
「すみません、買い物をしたいのでどこかデパートとかに寄ってもらってもいいですか?」
「いいけど、何を買うの?」
「その、大根を…」
「………なんで大根?」
「満がついでに買ってきて欲しいって…さっきメールで着たんです」
「ふぅん、そう。なら少し戻るよ」
言うと同時に横の道を曲がって入っていく。少し行ったところからまた曲がって大通りに出ると、そのまま進んでいって気がついたらかなり大きなスーパーの前に出てた。ありがとうございますってお礼だけ言うとそのままスーパーの中に入っていって、入り口のすぐ近くの野菜売り場から特価と書かれている大根を一つ持ってレジへと向かって行く途中で小さな子供が泣いているのを見つけた。もふもふとした髪から角らしいものをつけて、牛の服を着た子供…とりあえず声でもかけてみることにした。
「ねぇ、君どうかしたの?」
「うぇ~ん!ランボさんはぐれたもんね!」
「そう、迷子になったんだ…ね、じゃあお姉さんと一緒に探そうか?」
牛柄の子供は泣き止むとじっとこっちの方を見てくる。なんだか目とか鼻とかから色んな液体を垂らしてたからポケットからハンカチを出して脱ぐっていくとなんとか見れる顔になった。
「…おまえ、誰?」
「私? 。君は…」
「ランボさんだよ」
「そっか…じゃあランボくん。お母さん探そっか?」
「うん!」
元気よく頷いた時、出口の方から急いで入ってきた女の人が「ランボくん!ここに居たのね」と言いながら近づいてきた。ランボくんは嬉しそうにその人に走っていったのを見て、この人なんだって思った。
「ごめんね、置いて帰っちゃって…あら、あなたは…」
「お母さんですか?この子迷子になってたみたいんだったんで見つかってよかったです」
「あらあら、なんだかお世話になったみたいね。ありがとうございます」
「いえ、気にしないでください」
「ほら、帰りましょうね。ランボくん」
「うん!ランボさん帰るもんね!」
二人を見送ると、外で恭弥さんを待たせてることを思い出して、急いでレジでお金を払うと恭弥さんの方に小走りで向かった。着いてみるとそこまで機嫌が悪そうなことはなかったからちょっと安心した。
「大根買えた?」
「はい。待たせてすみません」
「そう、なら早く帰るよ。あんまり遅いのも問題だと思うしね」
いったい誰のせいでこんな時間になったのか突っ込みたかったけどさすがにそれは言えなかった。かわりに黙って後ろに座り込むと、そのまま家まで送ってもらってそこで分かれた。満に大根を何に使うのって聞いたら、秋刀魚(さんま)にそえる大根おろしに使うんですって言われた。もちろん、ちゃんとその日の晩御飯に出てきた。